2004年大会INDEX

2004年日本平和大会in佐世保 国際シンポジウムパネリスト発言

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ジミー・マッシー


イラク従軍・元米海兵隊員

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 ずいぶん前、私は米軍基地を世界中に戦略的に配置することがなぜ必要であるか理解していました。しかしそのころから世界は変化していますし、それ以上に重要なことに、技術が大きく進歩しました。以前は、国際的な緊急事態や、戦時のときに、世界のいくつかの国々には必要な時間内にたどり着くことができませんでした。しかし今日、空や海で多くの技術進歩が見られます。もし軍事物資や武器が必要であれば、アメリカは飛行機や戦艦、潜水艦を駆使することで、短時間でその場に到達することができます。

 私は今が、アメリカが世界中に軍事基地を置くという形の占領をやめるときだと思います。アメリカは帝国主義を求め、植民地を求めています。私は、沖縄の人々はこの貪欲な行為の最悪の部分を目撃していると思います。沖縄の土地の良い部分のほとんどを取り上げて米軍基地にしているだけでなく、町の周辺部には米軍人のための大規模な売春街が存在しています。このような経験をしてきた地元沖縄の人々には、自らの土地と生活を取り戻す権利があります。
 
 アメリカが軍事基地を持つべきだと思う場所が二ヶ所あります。それはハワイ、グアムです。これらはアメリカの領土であり、もし緊急事態が起こったときに、空中・海上輸送のあらゆる先進技術を使って必要な時間内に物資やそのほかのものを届けるために、これらの基地はおかれているのだと思います。外国領土での軍事基地占有は、まったく不必要であり、直ちにやめるべきです。

 次に、私がイラク滞在中に目撃し参加した残虐行為について話を進めたいと思います。私はカリフォルニアのトウェンティナイン・パームスにあるアメリカ軍第七海兵隊、第三大隊に所属していました。私たちの部隊は、2003年1月にクウェートに展開し、3月にイラクを侵略するまで滞在しました。そして私は2003年5月15日に救急用ヘリでイラクから出ました。

 みなさん、イラクの人々は私たちを自分たちの国に迎え入れました。メディアの報道とは裏腹に、私たちはそのために戦う必要はありませんでした。アメリカは、空からビラを撒き、米軍は皆さんを助けるために来ました、皆さんは日々の普通の生活をしてくださいと大規模に宣伝しました。落とされたビラには、学校や病院を開け、毎日仕事に行くようにイラク人に呼びかけていました。そしてイラクの人々はまさにそのとおりにしました。彼らは完全に米軍に協力的でした。米軍が無実の人々を殺害し始めるまでは。そしてそのときが、「反乱者」出現の始まりとなったのです。
 そのころから私たちは、イラク人はみなわれわれに対する潜在的な脅威であるか、あるいはテロリストであると述べている諜報資料を毎日手にするようになりました。当初から、イラク軍は救急車や一般の車両で爆弾を運んでいると聞かされていました。それを念頭に、私たちは検問所を設置しました。そして仮想地域を設定したのです。もし車両がグリーンゾーンに入ってきたら、両手を空にかかげて止まれのサインを送り、車両の上に威嚇射撃をします。もしその車両が止まらずにレッドゾーンに入ってきたら、車両に向けて発砲します。このようなことが起こるたびに、私たちは車両を調べましたが、何も見つかりませんでした。爆弾も武器も、テロ活動につながるような何の証拠も見つかりませんでした。私たちが見つけたのは、罪のない男性、女性、子どもたちばかりでした。

 今でも忘れることができず、しばしば夢に出てくる事件があります。その事件をレッドキア事件(Red Kia incident)と呼びたいと思います。私の所属する部隊は検問所にいて、このレッドキアが検問所にスピードを上げて近づいてきました。車はグリーンゾーンに入り、私たちは威嚇射撃をして止まれと命令しましたが、止まりませんでした。車がレッドゾーンに入ったので射撃を加えました。車は私の軍用車の前で止まり、いつものように私たちは車の中を調べました。車には四人乗っていて、全員着飾った青年でした。運転していた青年は不思議なことに銃弾も受けず、かすり傷ひとつ負っていませんでした。残念ながら他の三人は瀕死の重傷でした。私はすぐに衛生兵を呼び、何かできることがあればと思い基地の軍医のところまで連れて行かせました。この間ずっと、運転手は縁石に腰かけ、頭を抱えながら泣いていました。彼は取り乱していたと思います。数分後、衛生兵が他の海兵隊と一緒に三人のイラク人を車に乗せて戻ってきました。衛生兵は、軍医もこの三人はもう手のほどこしようがないと言ったと私に告げました。生き残った運転手は走り回りながら、「なぜ私の兄を殺したんだ?私たちはテロリストではない!私たちがあんたたちに何をしたというんだ!なぜ兄を殺したんだ?」と泣き叫びました。私は彼にかける言葉が見つかりませんでした。

 このような事件は毎日のように、何回も起こりました。もし、あなたの愛する人が、罪のない人間がアメリカ軍に平然と殺されたら、復讐したくなるでしょう。そうではありませんか?復讐したいと思わない人は、ローマ法王かマザー・テレサくらいだろうと思います。もしイラクで起こっている暴動の真相や、それらがなぜ起こっているか知りたいなら、このレッドキア事件は多くの理由のひとつだと言えるでしょう。
 私たちが「止まれ」と手を上げ、威嚇射撃をしてもなぜイラク人たちは止まらなかったのか、私は何度も自問自答していました。今年はじめボストンで行われた会議に出るまで、その理由はわかりませんでした。その会議で私が発言したあと、一人の女性が私に近づき、どういうしぐさでイラク人の車を停止させようとしていたのかとたずねました。私は、手のひらを相手に向ける「止まれ」のしぐさを彼女に見せ、空に向けて威嚇射撃をしたと説明しました。彼女は本当に悲しそうな顔をして、そのしぐさはイラクの文化では「こんにちは」の意味だと言い、そのあと忘れられない一言をいいました。「テレビでサダムがいつも何をしているか見たでしょう?空に向かって銃を撃っていなかった?」私は彼女の言葉にうなずくだけでした。「わかったでしょう、空に向かって銃を撃つということはイラク人にとって祝賀を意味するのよ。」私はこの会話を一生忘れることはできないでしょう。

 ありがとうございました。