2003年大会INDEX
2003年日本平和大会国際シンポジウム パネリスト発言

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イブ・ジャン・ギャラス


フランス平和運動
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私は、イラク戦争反対の国際的な運動で得られた経験、2005年のNPT再検討会議とヒロシマ・ナガサキ被爆60周年に向けての行動、外国軍事基地の問題について発言します。


イラク戦争反対の行動


 世界中でイラク戦争に反対しておこなわれた諸国民の行動は非常に大きな規模になりました。史上初めて、2003年2月15日、世界のほぼすべての国で数十万人から数百万人の人々が集い、行進したのです。この意味で、この日は歴史的な日となり、フランスでは2004年2月15日にこれを記念した集会・デモが予定されていますが、これに続いて3月20日にも、今度は世界中で行動がおこなわれることになっています。

 ヨーロッパで組織化された平和運動があるのは、おもにイギリス、ドイツ、イタリア、そしてフランスなどの国です。ほかの国にも平和運動はありますが、それほどしっかりと組織化されていません。イタリアでは、イラク戦争反対の行動を通じて、「平和のテーブル」を中心としたネットワークができ、広がりつつあります。それぞれの国で、ドイツのATTAC、イギリスのCND(核軍縮運動)、フランス平和運動などの平和組織や他の団体が中心になって共同行動の調整を行っています。

 フランスでは、「イラク戦争ノー、公正で平和な民主的な世界イエス」というネットワークが100を超える組織でつくられ、毎月1、2回パリで会議を開いています。このネットワークはほかの国々のネットワークとも頻繁に連絡を取り合っています。ネットワークの名称は、私たちが戦争を拒否し、平和の文化という視点から、どのような平和と発展をめざすのかを具体的に明らかにしています。

 ヨーロッパでの行動は、2002年11月にフィレンツェで開かれた欧州社会フォーラムで起草された文書をもとに組織されました。この文書の利点は、ヨーロッパの市民社会の大部分を代表するたくさんの組織の代表たちが、長い時間をかけて討議したうえで採択されたということです。この文書を土台にして、異なるいくつかのネットワークを中心にして、行動に人々を動員するという作業がすすめられたのです。

 世界社会フォーラムおよび2002年にフィレンツェで、2003年にパリで開かれた欧州社会フォーラムは、この文書で掲げられたテーマをできるだけ多くの市民や組織に知らせるとてもよい機会でした。フランス平和運動はパリの社会フォーラムでは、平和の建設をテーマに「平和の枢軸」と名づけた常設のワークショップを主催しました。フォーラムの期間中、フランス平和運動が中心となって青年の国際集会も開かれました。フランス平和運動はアフリカ北西部や東欧諸国の青年代表の参加を援助しました。欧州社会フォーラムに向けてフランス各地でも社会フォーラムが開かれ、フランス平和運動は積極的に参加しました。この活動の延長として、この秋にはいくつかの地方や都市で「平和会議」がおこなわれる予定で、盛りだくさんの行事が準備されています。

 フランスでは、行動への各組織のかかわり方には大きな差がありました。特に2002年11月から2003年4月にかけて行われたデモについては、その一つひとつを良く組織され、メディアが確実に取り上げるような行動にするため、長い時間をかけて詳細な議論を重ねたうえでおこなわれました。フィレンツェの欧州社会フォーラムの採択した宣言を基礎にしたおかげで、組織間にあったさまざまな立場の違いの多くを乗り越えることができました。私たちが直面した問題のひとつは、私たちの運動が他の目的に利用されるという危険性でした。一部の組織―基本文書に署名した組織も、そうでない組織もありました―が、行動をその目的からはずれたスローガンを宣伝するために利用しようとする動きを阻止しなければならなかったのです。このためにネットワークは、「スローガン管理部」を設置し、こうした動きを行っていたグループにたいし、それをやめるよう求めざるをえませんでした。これは、私たちがスローガンをイラク戦争反対と平和をもとめるたたかいに限定すべきだと考えたからです。
 
この経験からは、たくさんの教訓を学ぶことができました。
○ 市民社会のさまざまな層のつながりの強化
○ 目標とそれを一般市民にアピールする効果的な方法を深く検討できたこと
○ ネットワークとして活動したことにより組織間の対話がすすみ、相互に高めあえたこと
○ 協力組織でも、時には互いに無視したり、敵対・ライバル視していた組織によりよい相互理解が生まれた。これがイラク戦争以外のテーマに関しても共同行動の企画を可能にした。
○ フランス平和運動内でネットワークで活動する経験
○ 「平和の文化」という考えを中心とする立場を打ち出し、それがパリでのヨーロッパ社会フォーラムで承認されたこと。

 「イラク戦争ノー、公正で平和な民主的な世界イエス」というネットワークの調整役をつとめたことで、フランス平和運動の知名度は高まりましたが、それと同時に私たちは、様々な出来事をもっと緻密に分析しなおし、他団体が開発したやり方でもそれを取り入れ、また情勢分析の主要な点をそこなうことなく、合意をとりつけるために、分析の部分を交渉することを学びました。
 
ネットワークに参加する組織としては、共同で作成した文書を尊重しなければならないことは当然ですが、ネットワークとして決定した行動以外では、個々の団体は、論調、分析、取組みについて、完全な自由を保持しています。
 
反イラク戦争のネットワークとしての行動は各国レベルにとどまらず、ヨーロッパレベルにまで広がりましたが、その一方で、市町村、地区、県、地方など、各国の地域レベルでも取り組まれました。地域の状況にはそれぞれ特殊性があり、私たちはそれに個別に対応しなければなりませんでした。フランス平和運動は一部の地域での取り組みの調整にあたりましたが、他の地域では、他の団体がその役割を果たしました。しかしながら、その結果のひとつとして、フランス平和運動の支部(委員会)が新たにつくられ、また既存の支部も拡大したという成果が生まれました。
 
図式化すると、フランス平和運動を中心にして、以下の三つのレベルの共同、三種類の団体の共同の円を描くことができます。
‐ 平和運動 (5つか6つ)
‐ 労働組合や政党を含む他の団体
‐ 海外・国際組織

これら各組織のもつ多様性を共有することで、私たちは、「平和と非暴力の文化の10年」の枠組みの中で国連とユネスコのおこなった8つの提案を取り入れるまで前進することができました。当時の状況は、戦争の文化と平和の文化の対立という悲しい対立を際立たせていました。しかし、同時にそれは、戦争に反対することに満足しているだけでは不十分であり、その段階を乗り越えて、平和を打ち立てるために行動する段階に進まなければならないことを明らかに示したのです。

しかしおそらく中心的な教訓は、できるだけ広範な市民社会が共同して行動する必要性です。政治家や政治勢力にたいして訴えることは不可欠ですが、そのような訴えは、異なる考えや感性をもった広範な国民各階層の共通した訴えとなって、はじめて現実の効果をもつのです。

ここで「イスラム教のベール問題」と短絡的に呼ばれている問題について少しお話しておきたいと思います。フランスで言われる「世俗性・宗教性排除」の基本にあるのは、私的、個人的、個別的な領域と、社会的、政治的組織の領域の分離です。誰もが、自分が選んだ宗教の神を信じる、あるいは信じないかの選択をする権利を持ち、自身に適した思潮を選択し、それに所属する権利があります。教団はいずれも国家の助成金を与えられることはなく、国家は個人の自由の領域に介入することはできません。この限界は、いうまでもなく、国家と宗教というふたつの社会組織の基礎の間に対立がないことであり、これこそがまさにフランス議会で現在審議中の、学校で目立つ宗教的象徴を身に付けることに関する法案の目的です。実際、子供の学校教育は国がおこなう公共・義務教育であり、宗教から独立います。教室では様々な宗派の子どもたちが机を並べているので、彼らは必然的に互いの服装や行動などなどを尊重しあわなければなりません。フランス社会の基盤のひとつであるこの非宗教性は、平和の文化の重要な要素です。


核軍縮

ストックホルムアピールが大きく拡がるなか、偉大な科学者であるフレデリック・ジュリオ・キュリーの提唱で、1940年代末に生まれたフランス平和運動は、現在、当時と状況は大きく変化していますが、創設当時に最重要とされたこと、すなわち市民社会のニーズや切実な願いに深く根ざした組織であるという原点に立ち返っています。第二次世界大戦の終結や、広島と長崎への原爆投下から間もないあの時期には、避けなければならない当面の危険は米ソ間の核戦争でした。世界規模での運動が、核不拡散条約(NPT)と包括的核実験禁止条約(CTBT)の交渉を開始させ、その締結を可能にしました。しかし、80年代から90年代初めにかけて、平和運動の動員力は大きく低下し、平和主義勢力は弱体化してしまいました。残った平和運動にも、特に核兵器反対など平和の特定の分野への専門化の傾向が見られるようになりました。日本やフランスなどいくつかの限られた国のみが、困難な状況のもとで、一般的な平和運動を維持することができました。1991年ソ連が崩壊し、人びとは平和の時代がようやく訪れると信じました。資本主義の勝利による「歴史の終結」であると、発言したり書いたりしたりした人もいたほどです。

残念ながらそのような事は起こらず、この10年間は、人間の歴史上、最も戦争による死者の多い時代のひとつとなりました。国内の対立が原因の内戦やしばしば外部からの隠れた干渉をともなった各種の共同体間の紛争が起こり、そのなかで原理主義、地域主義、テロリズムなどが台頭しました。

また、アメリカの影響下で自由主義的グローバル化もすすみました。しかし世界社会フォーラムや地域社会フォーラムをつうじた諸国民の反撃と、国連の行動においてNGOの果たす役割の比重が大きくなったことにより、諸国民や市民社会の代表にも発言権が与えられ、密室での決定を阻止することができるようになりました。平和の文化は、世界中の市民によってもたらされた答えの主要な軸となっています。力強い社会運動の復活により、私たちはまさに文明の飛躍を経験しています。

この5年間、核兵器にたいする市民の不安感は再び増大しています。主要な脅威は核兵器の拡散です。世界で50ヶ国近い国が、数年間で核兵器を製造できる技術を保有していると推定されています。現在のところ、このなかでNPTに加盟していないのはイスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮の4カ国にすぎませんが、これをゼロにしなければなりません。

今後、核兵器反対の行動はフランス平和運動の中心的な活動となるでしょう。2003年10月におこなわれた核軍縮デーの取組みをつうじて、特に核兵器反対で行動している他の平和運動との関係を強化することができました。核軍縮デーの成功は、私たちが今後、より多くの人々を動員することができることを予想させるものでした。

諸国民が行動すれば、各国政府に、NPTの枠内でおこなった約束をもっと積極的に履行させることができます。この目的で、廃絶2000のなかで、私たちはイギリスの平和団体と共同し、力を合わせて、ヨーロッパの二つの核保有国にたいし、両国がEUをつうじて協力して軍縮の取組みの推進役となるようにせまる行動が計画されています。90年代半ば以降、フランスとイギリスは、国際レベルで共同の軍縮政策の策定をすすめています。もし仏英両国政府が、ヨーロッパ統合の過程のなかで、核兵器を放棄すると公約すれば、それによって国際的な軍縮の力強い流れが生まれるでしょう。両国の要請と、秋葉忠利広島市長が提唱し、“平和市長会議”が引き継いだ行動の延長として、EUとして京都やオタワで開かれたのと同様の国際軍縮会議開催のイニシアをとることもできるでしょう。IAEAの査察を受け入れるようイランに圧力をかけた欧州諸国の最近の取り組みは、将来の明るい展望を開くものでした。これはまた、軍縮の分野での前進は、武力ではなく外交から生まれることを証明するものでした。

 2005年のNPT再検討会議で具体的な成果を出せるよう、圧力をかけ続けなければなりません。核兵器に関して言えば、唯一の選択肢は核廃絶しかありません。フランス平和運動にとって、この先2年間にすべき取り組みは以下の通りです。

目的:
○ まず、戦争以外の選択肢があることを証明し、軍縮に向け行動しなければならないことをしめすという私たちの意志を表明する。国際法厳守と国連の重要な役割の尊重こそが優先的に実現すべき条件である。
○ 2005年のNPT再検討における諸決定に影響力を及ぼす
○ これらの目標達成のため、諸国民、国連、多国主義の果たす役割の重要性を強調する。

手段:
 2005年11月まで大規模なキャンペーンを行い、デモ、アーティストの参加、フランス平和運動の新聞「平和への闘い」とそのウェブサイト(www.mvtpaix.org)の活用、キャンペーン独自のサイトの設置など、宣伝方法を増やし(ビラ、署名など)、核兵器の研究がおこなわれている場所でのデモのなど取り組みを続ける。

私たちが何年も続けているように、これらの活動は共同する他組織とともにおこなわれます。

以下のような主要な行動の決定の準備が現在進められ、2004年2月からは、地域の委員会、メディア、協力組織にたいしてこれらの行動の宣伝を開始することになっています。

2004年4月:廃絶2000の会議に参加し、ニューヨークの国連でのNPT再検討会議準備委員会に多数の若者を含む代表団を派遣する。
5月:市長や地方議員にたいし、広島市長の呼びかけへの支持を要請する。
5月から8月まで:地域の委員会の活動―様々な夏の見本市、会議、フェスティバルなどで、ビラ配布や署名行動などを行う。
9月から10月: 軍事核研究施設での行動。ヨーロッパ規模のイベントをおこなう可能性もある。
2005年5月: NPT会議期間に国連に大規模な代表団を派遣する。
2005年8月: 広島へ大規模な代表団を派遣する。


外国にある基地

外国にある軍事基地に反対するたたかいは、フランス平和運動の発足当初から、常に中心的な課題でした。1960年代にはフランスの国民的な行動に後押しされたドゴール将軍の政府が、アメリカ軍とNATO軍にフランス領内から出て行くことを要求しました。一方で、矛盾していますが、現在でもフランスはアフリカの5つの国(コートジボワール、ガボン、セネガル、チャド、ジブチ)に基地をおき、全部で6000人以上の兵士を配備しています。フランスとこれらの国々のむすんだ軍事「協定」は、旧植民地(1960年−1961年)にたいする宗主国の最も露骨な新植民地主義の悪弊です。フランスはドイツ領内にも90年代半ばまで基地を維持していました。ドイツにあるフランス軍兵舎はそれ以降放棄されています。また、200人以内の小規模な部隊が、フランス領ギニア、西インド諸島、インド洋、太平洋のソシエテ諸島、ニューカレドニアなど世界の殆どの地域に駐留しています。
 
労働組合や政党などのフランスの進歩勢力とともに、常に植民地戦争に反対してたたかってきたフランス平和運動は、自分たちの国土にありながら外国の軍事基地に囲まれて暮さざるをえない国民の感情をよく理解することができます。私たちは、彼らのたたかいに強く連帯し、それを支持することを表明するものです。
 
特にアメリカは、1939年から1945年の大戦で敗北した国ばかりではなく、当時同盟国であった国にまでその軍隊を駐留させています。以下の図表は、ヨーロッパ諸国に多くの米軍戦力が駐留していることを示しています。さらに、これに加えて東欧・中欧および中近東諸国にも、アメリカ軍とNATO軍が駐留し、その規模が拡大しています。このような米軍の海外駐留は、常に世界の平和の障害となっています。

世界に展開する米軍   (出典−アメリカ合衆国統計局:2000年版368ページ)

ドイツ
日本
韓国
イタリア
イギリス
ボスニアヘルツェゴビナ
エジプト
パナマ
ハンガリー
スペイン
トルコ
アイスランド
サウジアラビア

60,053人
41,257人
35,663人
11,677人
11,379人
8,170人
5,846人
5,400人
4,220人
3,575人
2,864人
1,960人
1,722人

ベルギー
クウェート
キューバ(グアンタナモ)
ポルトガル
クロアチア
バーレーン
ディエゴガルシア
オランダ
マケドニア
ギリシャ
ホンジュラス
オーストラリア
ハイチ

1,679人
1,640人
1,527人
1,066人
866人
748人
705人
703人
518人
498人
427人
333人
239人

合計
(乗務中の人員)

259,871人
40,914人

(地上勤務の人員)


218,957人


結論

 諸国民の民族自決権および政治的、経済的主権が主張されるようになったことで、世界の多くの国で社会運動の歴史的な高揚がおきています。これこそが私が先ほども述べた文明の飛躍であり、私たちはそれに積極的に参加し、貢献しているのです。

新たな平和主義の台頭も、このような流れの一部分であり、これに貢献してきたこと、そして今後も引続きこのなかで大きな役割を果たすことは全世界の平和運動にとっての名誉です。多くの分野、特にイラク戦争反対の行動で、国際的な平和運動は、諸国民に自分たちのもつ力の大きさを自覚させ、自分たちの要求を取り上げさせるために行動させることに貢献してきました。この意味で、世界中でおこなわれた2003年2月15日の行動は、人類史上、画期的な出来事でした。1991年の第一次湾岸戦争の際には、戦争開始とともに反対行動は終ってしまいましたが、今回の行動は2003年4月に戦争が始まっても終ることはありませんでした。

 平和運動は、行動における国際連帯に欠くことができない、このような新しい変化、刷新をまさに必要としていたのです。世界平和評議会(世評)や国際平和ビューロー(IPB)などの主要な国際平和組織が、変化をとげたニーズに応えられるだけの運営がされないため、必ずしも満足できる機能を果たせなくなっているだけに、この刷新は重要です。世評やIPBのなかで日本やフランスの平和運動がおこなってきた活動にもとづいて、新しい国際組織をつくることを検討してみる価値があるのではないでしょうか。

アメリカの単独行動主義と国際法と国連にもとづく多国主義とのあいだの、第三の道などないのです。

 最後に、日本平和委員会の友人の皆さんに、私を日本平和大会へ招待し、発言の機会を通じてわれわれの友情をいっそう強化する機会を与えてくださったことに心から感謝したいと思います。私たちはインド・ムンバイで行われた世界社会フォーラムで再会したばかりですし、近いうちに開催されるNTP再検討会議の準備過程で、また2005年の広島・長崎被爆60周年の準備過程においてもまた、再会することができるでしょう。

 フランス平和運動と日本平和委員会は常に協力しながら、地球上で平和を実現するための様々な考えを具体的に前進させてきました。ユーラシア大陸の両端に存在する私たちの平和運動の友情こそ、なににもまさるすばらしい将来のシンボルではないでしょうか。

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コ・ユギョン


駐韓米軍犯罪根絶運動本部 

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駐韓米軍問題とそれに対する対応

2002年に米軍の装甲車に轢かれて2人の女子中学生が亡くなってからすでに1年半がすぎました。2人の女子中学生が亡くなる1週間前には米軍の高圧線に感電して1年間闘病生活をしていたチョン・ドンノク氏の死もありました。こうして3人の犠牲者を出しましたが依然として不平等な韓米関係によって米軍による被害と犠牲は続いています。

駐韓米軍は現在、連合土地管理計画(Land Partnership Plan)と未来韓米同盟政策構想会議(略称、未来同盟会議)の名で駐韓米軍に対する大々的な再編を実行しています。

しかし1年以上も続けられているキャンドル・デモと成熟した民衆の自主意識によって米軍がかつてのようにたやすく自分たちの計画をおこなえない現実もあります。


1.最近発生した米兵による事件・事故

昨年1年間に米兵の事件はいろいろありました。新年になっても米軍問題は依然として社会問題としてとりざたされています。最近発生した事件は長くは40年、短くは2か月ほどの時間がかかりました。

1)オサン飲酒ひき逃げ交通死亡事故
2003年11月には米兵が飲酒状態で車を運転していてほかの車とぶつかり、韓国人1人が亡くなり4人が負傷する事件が発生しました。1)

事故当時、米兵はけがをした人を病院に運ぼうともせずに、米軍基地に逃亡しました。幸い米軍憲兵隊が彼をつかまえましたが韓国警察がとらえることはできませんでした。韓米SOFA2)の規定上、韓国警察が現場で捕まえられなければ、米軍側から即時身柄引き渡しを受けることはできないためです。3) 米軍当局は加害米兵をつかまえましたが、監獄に入れずに米軍基地の外の出入りのみ制限する、とても消極的な措置をとりました。その米兵は基地の中では自由に歩きまわれていたのです。ふつうの米軍犯罪の場合、3審の裁判が終わったあとで刑が確定しなければ韓国が拘束することはできませんが、今回の事件は2001年に改正されたSOFAによって、韓国検察が起訴したときに拘束できる12の重大犯罪に該当します。4)

したがって、加害米兵は韓国検察が起訴した12月30日、ソウル拘置所に収監されました。これは市民団体の監視と積極的な抗議で可能となりました。これと似た12の重大犯罪に属する事件が12月7日のプサンでも発生しました。これは米兵6人による集団暴行と凶器を使った強盗事件でした。5)

2)毒物無断放流事件
今年1月9日には毒物放流事件の被告の米軍務員マックファーランドに対する裁判がありました。6)

去る2000年ヨンサン米軍基地の霊安室から毒物470瓶を浄化処理のない下水溝に捨てるよう指示した疑いで起訴されたマックファーランドに対して韓国裁判部は懲役6か月の実刑を宣告しました。事件が発生したのち4年ぶりに裁判がおこなわれましたが、マックファーランドは韓国の拘置所に収監されませんでした。米軍当局が公務遂行中におこなわれたことだとして、裁判権が米軍当局にあると主張するからです。そしてマックファーランドは裁判に出席せず、現在までいかなる刑事処罰も受けませんでした。2000年当時、米軍当局はマックファーランドの行為が大韓民国の法律とアメリカの法律、駐韓米軍規定を破り、違反した行為だと公式的な謝罪までしましたが、韓国の法廷で裁判を受けることを望まなかったのです。これは明白に韓国の司法主権を無視する行為です。

マックファーランドは1月9日に実刑判決を受けたのち、7日以内に控訴しなければ刑が確定し、韓国の刑務所に収監される予定でした。米軍当局は韓国に裁判権がないので控訴しないと言いましたが、マックファーランドの弁護士は1月15日に控訴しました。弁護士は控訴裁判で裁判権が韓国にありはしないと証明しようとします。しかし「控訴」という行為自体は裁判を認めることなので、結局刑務所に収監されまいとする免避行為だと批判を受けています。

3)パヂュ・ストーリー射撃場増設工事
新年1月2日にはキョンギ道パヂュ市の民統線(非武装地帯の外の南方限界線を境界に南側5〜20kmにある民間人統制区域)内に位置した米軍の訓練場であるストーリー(STORY)射撃場(RANGE)増設工事のために地域住民と地方自治体のパヂュ市が反発しています。砲射撃場であるストーリー射撃場は米軍専用訓練場として1973年に米軍に供与され、現在まで使っています。216万坪(訳注:坪は面積の単位。日本の坪と同じ約3.3?)ほどの射撃場内には個人私有地が大部分でした。しかし韓国国防部は私有地の住人らに何の協議もせずに米軍に供与してしまったのです。住民は自分達の土地が米軍に供与された事実を1996年になって初めて知りました。1996年に民統線内に定着村をつくるため、韓国軍と協議していた途中で米軍供与地だとの事実を知ることになり、米軍が返還する前にはどんな使い道にも使うことができませんでした。結局農民らは国防部の低価格の買い入れで自分たちの農地を失うことになり、そのうえ賃貸で農業をしていたことも、今回の射撃場増設工事のために中断するようになり、生存に大きな脅威を受けています。国防部と米軍当局は40年のあいだ個人私有地を訓練場として使いながら、供与の事実も隠し、まともに補償もしないまま農民を農地から追い出している実情です。

ストーリー射撃場は民統線内に位置し、野生動物と自然生態系を破壊してもいます。そのうえ射撃場付近にパヂュ市で管理する取水場があり、訓練にしたがう火薬と重金属による飲み水の汚染も問題です。これを憂慮してパヂュ市は国防部に環境影響評価と原状回復のための預かり金の準備を要求しましたが、これを無視して米軍当局は工事を強行しています。米軍当局は射撃場の増設工事が連合土地管理計画ですでに国防部と合意した内容なのでなんら問題もないといいます。しかし2001年に改正されたSOFAでは米軍施設の新築、増築の際には地方政府と協議するようになっています。7)

パヂュ市との協議の過程が終わらない状態で米軍当局が自分たちの計画のために工事を強行するのは明白にSOFA規定違反であり、韓国の法によって環境影響評価を受けないのも不法行為です。それにもかかわらず米軍当局は連合土地管理計画の執行と駐韓米軍の戦力強化のために射撃場の増設工事を急いでいる実情です。


2.連合土地管理計画と駐韓米軍の再配置

韓国には3万7,000人の米兵が、約41か所の基地、54か所の小規模キャンプ(Camp)と支援基地に駐屯しており、7,400万坪ほどの土地を供与地として使っています。連合土地管理計画は駐韓米軍の効率的な運営のために基地と訓練場を統廃合しようという米国の計画であり、2001年からの韓米間の本格的な話し合いを通じて2002年3月に協定を締結し、2002年10月に韓国国会の批准を経て現在おこなわれています。連合土地管理計画によれば2011年までに28か所の基地と施設(installations and facilities)214万坪と訓練場(training areas)6か所3,900万坪など、合計4,114万坪を返還するかわりに154万坪の土地(areas)と9か所の代替施設(replacement facilities)を供与(grant)して、一部の韓国軍の訓練場を米軍側が共同で使えるよう計画しています。この計画を実行するのには約25億ドルが必要となる予定であり、韓国政府が45%を負担するのです。当時、米軍が不必要な訓練場と基地を返還するとして一時は歓迎しましたが、実際にはこの計画は、肥大した陸軍中心の駐韓米軍の体系を空軍と海軍中心に再編し、究極的には駐韓米軍の戦力を増強させようとのアメリカの計画です。

アメリカは海外駐屯の米軍に対する全面的な再編計画によって、2003年から未来同盟会議を通じて全面的な駐韓米軍の再配置の話し合いをすすめています。連合土地管理計画で除かれたヨンサン基地の移転、軍事任務転換計画、軍事能力発展計画などを論議する未来同盟会議は6回おこなわれ、ひきつづきおこなわれる予定です。米軍当局は駐韓米軍司令部の前副参謀長のソリガン(Maj. Gen. James Soligan, U.S. Forces Korea deputy chief of staff)所長の口を通じて、米2師団(2nd Infantry Division)とヨンサン基地のハンガン以南配置をはじめとする大々的な駐韓米軍の再配置計画を発表しました。8) 以後、2003年6月に第2回未来同盟会議で2か所の中心(hub)基地(ピョンテク圏とテグ・プサン圏)と3か所の補助基地(キョンギ北部連合訓練センター、クンサン基地、残留するヨンサン基地)からなる「2+3」体制に再編することで合意しました。しかし去る1月17日の第6回未来同盟会議でヨンサン基地もピョンテク圏に移転するやり方に合意しました。9)

アメリカは駐韓米軍の連合防衛力増強のために、むこう4年間に110億ドル、150個以上の能力向上に投資するものと計画し、新型パトリオット(patriot)ミサイルPAC-3とAH-64Dアパッチロングボウ・ヘリコプターを韓半島に配置しました。あわせて迅速機動旅団ストライカー(stryker)部隊の循環配置を計画しており、昨年、キョンギ北部の訓練場で初めてストライカー部隊が訓練をしました。10)

アメリカは自分たちの戦力増強の投資を掲げて韓国の国防部にも予算を増額しろと要求しました。これは厳然たる内政干渉です。

1)北東アジアの軍事覇権の掌握のためのアメリカの一方的な駐韓米軍再編
連合土地管理計画をみると多くの基地が返還、移転されますが、ピョンテクにある米空軍基地と米陸軍基地は拡張される予定であり、ポハンには海兵隊基地が10万坪も新設されます。ろくに使われなかった訓練場と管理が放漫な陸軍体系を縮小して、空軍と海軍中心に駐韓米軍を再編しようという戦略は、ブッシュ米政権の軍事戦略の基本立場として軍隊の体格は減らすが能力は伸ばす方向で展開しています。連合土地管理計画にはありませんが、新しい駐韓米軍の再配置計画としてキョンギ北部に駐屯していた米2師団がハンガン以南に移転される計画です。しかしキョンギ北部のトンドゥチョンに位置した核心基地とキョンギ北部米軍専用訓練場は、より強化される展望です。そのうえキョンギ北部訓練場と主要基地は連合訓練センターに転換され、駐韓米軍の訓練のみならず、グァム、ハワイ、沖縄などの海外の米軍の訓練場として使われる計画です。

現在の駐韓米軍の再配置計画は、駐韓米軍が韓半島の地域軍の役割のみならず、北東アジアの機動軍として活用するというブッシュ政権の構想を表しているものです。

唯一の分断状態としていつも火薬庫のような韓半島に、駐韓米軍であれ南北間であれ軍事力を増強させるのはまさに戦争の脅威を増幅させるものです。北東アジア諸国が韓半島の分断状態を解消し、政治、経済、軍事、外交の共同体を構成しようとの計画に対してアメリカが妨害をしているのです。駐韓米軍の戦力増強と再編はまさに北韓と中国の対応を呼び起こし、日本の軍事再武装を許すようになります。

アメリカは長いあいだ休戦ラインの近くに駐韓米軍を配置しておいたことに不満を抱いてきました。最近の駐韓米軍の再編論議の過程で、アメリカの官僚は米2師団が休戦ラインの近くに配置され、韓半島に戦争が起こったとき、自動介入する仕掛け線(trip wire)の概念を廃棄しました。休戦ラインの近くに配置された北韓の野砲の射程距離から抜け出たハンガン以南に米軍を配置させれば相対的に北韓を先制攻撃する可能性が大きくなります。また、中国と近いところに位置したピョンテクの米陸軍基地と空軍基地を拡大強化するのは中国をねらったアメリカの軍事戦略でもあります。最近、経済的に急浮上して朝米会談で外交的に大きな役割をしており、台湾との外交問題にまで重なっている中国に対して軍事的脅威を与えるものです。

駐韓米軍の再配置と戦力増強事業をおこなう米軍当局とアメリカ政府は「有事の際に備えるための計画」だと言います。ブッシュ政権は予防戦争の概念を導入し、全地球的にミサイル防衛体制と対テロ戦争のための戦闘力増強を計画しています。これらは9.11テロの背後でアフガンを侵攻しイラクで戦争をおこなっています。しかしいまだに大量殺傷兵器などのアメリカが言っていたテロの徴候は見つけられないまま、数多くのイラクの民衆と各国の民間人と軍人が亡くなっていっています。果たしてだれのための予防であり、だれのための備えなのか、問いたださずにはいられません。

こうしたアメリカの駐韓米軍再編に対して韓国政府でも意見が異なり、市民社会団体と国民のあいだでも受け入れることはできないという立場を出しています。しかしアメリカは自分たちの計画を韓米合意という形で執行しています。韓国のノ・ムヒョン政府が大統領に当選するとき、「アメリカに対して言うことは言う」との自主的な立場を表明しましたが、大統領に就任してからは以前よりさらに屈辱的で事大的だとの批判を受けています。アメリカの駐韓米軍再編は数十年を見通す計画ですが、いまだに韓国政府はアメリカの意図に対する対応策を準備できないまま会議に引き込まれている実情です。

私たちはアメリカの一方的な駐韓米軍の再編と戦力増強に反対し、現在進行中の連合土地管理計画の全面再協議と一方的な駐韓米軍の再配置計画の中断を要求しています。駐韓米軍の再編を論じるためには戦争時代に締結された古臭い韓米相互防衛条約の改正と戦時作戦統制権を取り戻すこと、不平等な韓米SOFAの改正がまず論議されなければなりません。アメリカが駐韓米軍を北東アジアの機動軍として活用しようとするならば、駐韓米軍の地位と役割、規模に対する根本的な論議が必要です。

2)住民のくらしをうばう米軍の政策
現在までの計画によれば大部分の米軍基地はピョンテクに集中するでしょう。それならば現在よりもっと多くの必要です。アメリカは500万坪を要求し、新設の土地の規模は交渉中です。米陸軍基地(Camp Humphreys)が駐屯するピョンテク・ピョンソンウプ・テチュリの住民は米軍基地の新設拡張反対のための篭城をすすめています。住民は米軍が駐屯する当時、むらを丸ごと奪われ、基地周辺に住んでいます。数十年のあいだ飛行機とヘリコプターの離着陸による騒音被害に苦しめられていた住民は今回、基地が拡張されてむらが再び追い出される危機に直面するや、退くまいと篭城をしているのです。基地拡張を決定するとき、だれも住民の意見を聞きませんでした。米空軍基地(OSAN AIR BASE)11)が駐屯しているピョンテク・ソンタンの住民も同じです。滑走路の近くに位置したむらの住民は昼夜をわかたず離着陸する飛行機の騒音のためにいつも苦痛を受けています。ここも拡張地域で住民は再び追い出される危機に直面しています。あるむらの住民は米軍基地が少しずつ拡張するので何回も引っ越しをしなければなりませんでした。大部分が農民なので農地を奪われればほかのことはできず、生存の脅威を受けています。

ピョンテク米空軍基地で離陸した戦闘機と戦闘爆撃機はメヒャンニ国際爆撃場で爆撃の訓練をします。もちろんメヒャンニ爆撃場にはグァム、沖縄などの海外の戦闘機も爆撃訓練をしています。メヒャンニの住民は連合土地管理計画の返還訓練場のうち、メヒャンニ爆撃場が除かれており、たいへん怒っています。そのうえメヒャンニの騒音被害訴訟がまだ終わっていないために賠償すら叶いませんでした。去る12月にメヒャンニの住民は大法院(訳注:日本の最高裁判所にあたる)とアメリカ大使館の前で抗議デモを取り組んだりもしました。

今回の射撃場増設工事で問題になったストーリー射撃場と近隣に位置したダグマ(Dagma-north)戦車訓練場も連合土地管理計画の返還訓練場から除かれました。射撃場と訓練場の近くのパヂュ・チャンパリの住民は戦車の騒音と振動、訓練による農畜産物被害、低価格買い入れによる財産被害など多くの苦痛を受けています。住民はむらの道を通る戦車の騒音と振動にたえられず戦車の行列をふさいでデモをおこなったりもしました。

このように駐韓米軍の再編課程で返還を要求する住民の声はまったく反映されておらず住民の土地を奪い新しい基地をつくろうとしています。50年以上も国家安保のために犠牲を強要された住民のくらしが依然として脅威にさらされています。軍隊と基地によって人間のくらしが犠牲になり生命が破壊されるのをこれ以上放置することはできません。依然として韓国社会で米軍は侵すべからざる聖域に属していますが、以前とは違って住民の権利を求めるためのたたかいが展開されています。


3.平和勢力の連帯でアメリカの一方的な軍事覇権主義を食い止めなければならない

新年のはじめから韓国の市民社会団体は米軍問題のために米軍基地の前で、アメリカ大使館の前で、米兵が裁判を受けている裁判所の前で、韓国国防部の前で記者会見と集会をひらいています。そして毎週木曜日の夕方にはクァンファムンで自主と平和のためのキャンドルデモ12)がひらかれています。

韓国での反基地(anti us bases)運動はピョンテク、ウィヂョンブ、トンドゥチョン、メヒャンニ、テグ、プサン、ソウルなど、地域的次元でおこなわれていますが、いつも連帯の必要性を痛感しています。地域内での連帯のみならず、地球的次元の連帯もとても重要です。

国際連帯は韓国の反基地運動に大きな力となります。2002年の女子中学生事件を解決する過程で、日本平和委員会の活動家の助けで、日本で米軍の公務中の事件に対する裁判権を放棄した事例を見つけ出し、反駁をしたりしました。沖縄の住民と活動家が米軍犯罪に対して闘争した事例は韓国の反基地運動に多くの教訓を与え、沖縄と韓国の連帯を持続的に可能にしています。直接的な連帯はありませんがプエルトリコで米海軍基地を閉鎖させた事例とフィリピンで米軍を撤収させた事例は私たちに多くの力を与えています。

国際連帯は地域に助けとなるのみならず共同の行動とビジョンで地球的次元でアメリカの一方的暴力に対抗できる力になっています。アメリカのイラク侵略戦争に反対する共同行動は韓国の多くの人々の関心を呼んできました。共同の行動のための国際会議は情報を交流し人と人のあいだの連帯をつくる出発でもあります。

国際連帯は持続的になされなければならず、情報の交流のみならず人と人が会って信頼を積んでともに闘争する空間でなければなりません。もちろん国際連帯の活動はたやすいことではありません。言語の問題、経済的問題、ビザの問題、時間の問題などの難しさがありますが、これを解決するための知恵を集めるのも連帯の中で可能です。ここにともにお集まりの方々の知恵と力で平和なアジア、平和な世の中をつくる道がひらかれることを望みます。



1 2003年11月28日の明け方、キョンギド・オサンで米兵オンケン(Onken, Jetty scott)兵長が泥酔状態で信号を無視したまま車両を運転していて韓国人が乗った車両と衝突し、韓国人1人が亡くなり、4人が負傷をおった。事故直後、米兵オンケン兵長は何の救護措置も取ろうともせずに同乗していた米兵2人とともに車を捨てて逃亡した。韓国警察は米軍車両から米兵の身分証と鉄帽などを証拠物件として確保し、米軍側に捜査協力を依頼して米兵を検挙した。現在加害米兵に対する裁判が進行中である。

2 SOFAの正式名称は「大韓民国とアメリカ合衆国間の相互防衛条約第4条による施設と区域及び大韓民国での合衆国軍隊の地位に関する協定」で、略称を駐韓米軍地位協定あるいは韓米SOFAと呼ぶ。AGREEMENT UNDER ARTICLE 4 OF THE MUTUAL DEFENSE TREATY BETWEEN THE REPUBLIC OF KOREA AND THE UNITED STATES OF AMERICA , REGARDING FACILITIES AND AREAS AND THE STATUS OF UNITED STATES ARMED FORCES IN THE REPUBLIC OF KOREA AND RELATED DOCUMENTS

3 SOFA本協定第22条5項(は)大韓民国が裁判権を行使できる合衆国軍隊の構成員、軍属または彼らの家族の被疑者の拘禁は、その被疑者が合衆国当局の手中にある場合には、すべての裁判手続きが終結しまたは大韓民国当局が拘禁を要請するときまで、合衆国軍当局がひきつづきこれをおこなう。
ARTICLE XXII Criminal Jurisdiction
5. (c) The custody of an accused member of the United States armed forces or civilian component, or of a dependent, over whom the Republic of Korea is to exercise jurisdiction shall, if he is in the hands of the military authorities of the United States, remain with the military authorities of the United States pending the conclusion of all judicial proceedings and untill custody is requested by the authorities of the Republic of Korea. If he is in the hands of the Republic of Korea, he shall, on request, be handed over to the military authorities of the United States and remain in their custody pending completion of all judicial proceedings and until custody is requested by the authorities of the Republi of Korea.

4 SOFA合意議事録第22条第5項(は)に関して3.大韓民国が一時的裁判権をもって起訴時またはそれ以後拘禁引き渡しを要請した犯罪が拘禁を必要とするに充分な重大性を備える以下の類型の犯罪に該当し、そのような拘禁の相当な理由と必要がある場合、合衆国軍当局は大韓民国当局に拘禁を引き渡す。(い)殺人、(ろ)強姦(準強姦および13歳未満の未成年者に対する姦淫を含む)、(は)身代金目的の略取、誘拐、(に)不法麻薬取引、(ほ)流通目的の不法麻薬製造、(へ)放火、(と)凶器強盗、(ち)上の犯罪の未遂、(り)暴行致死および傷害致死、(ぬ)飲酒運転による交通事故での死亡招来、(る)交通事故で死亡招来後、逃走、(を)上の犯罪のひとつ以上を含むより重大な犯罪。<新設2001.1.18>
ARTICLE XXII Re Paragraph 5 (c) 3. The military authorities of the United States shall transfer custody to the Republic of Korea authorities if the offense over which the Republic of Korea has the primary right of jurisdiction and for which the Republic of Korea has requested the transfer of custody at the time of indictment or thereafter falls within the following categories of cases of sufficient gravity to warrant custody and adequate cause and necessity exists for such custody. (a)murder; (b)rape(including quasi-rape and sexual intercourse with a minor under thirteen years of age); (c)kidnapping for ransom; (d)trafficking in illegal drugs; (e)manufacturing illegal drugs for the purposes of distribution; (f)arson; (g)robbery with a dangerous weapon; (h)attempts to commit the foregoing offenses; (i)assault resulting in death; (j)driving under the influence of alcohol, resulting in death; (k)fleeing the crime scene after committing a traffic accident reslting in death; (l)offenses which include one or more of the above-referenced offenses as lesser included offenses. <added on January 18, 2001>

5 2003年12月7日、プサン・ナムグ・テヨンドンの路地裏で韓国人大学生3人と米兵6人が韓国人2人を集団暴行した。現場で韓国人大学生と米兵1人がとらえられ米兵2人は身元を確認したが、のこりの米兵3人はまだ確認できていない。現場でつかまった米兵は暴行当時ガラスのコップで韓国人キム氏の首を刺して暴力をくわえ、キム氏の財布とケータイを盗んだ疑いを受けている。

6 2000年2月、ヨンサン基地の霊安室の副責任者だったマックファーランド(MCFARLAND, ALBERT L.)は部下の職員に死体防腐処理剤のホルムアルデヒド470瓶を浄化処理なく下水溝に捨てるよう指示した。以後、この事件を知ることになった市民団体がマックファーランドを検察に告発し捜査がすすめられ、検察は罰金500万ウォンで略式起訴したが、裁判部はこの事件を正式裁判に回付した。しかし米軍当局は公務証明書(Duty certificate)を提出し、裁判権が米軍側にあるとし、マックファーランドを裁判に出席させなかった。マックファーランドは罰金を納付しすでに韓国の裁判権行使を受け入れたが、米軍当局がこのような主張をするや、罰金を取り戻した。裁判部は3年のあいだ裁判をひらくために努力し、マックファーランドの所在が把握されず欠席裁判をおこない、2004年1月9日水質環境保全法違反で懲役6か月の実刑を宣告した。

7 SOFA了解事項第3条第1項。「合衆国は計画された(1)当初の建物の改造または撤去(移転)および(2)関連公益事業と用役を提供する地域韓国業体または地域社会の能力に影響を及ぼし得るか、地域社会の健康および公共安全に影響を与え得る、合同委員会によって範囲が定められた、新築または改築を大韓民国政府に対して適時に通報し協議する。…こうした手続きは合衆国軍隊が計画目的のために地方政府と直接調整することを排除しない。<新設2001.1.18>
ARTICLE III Paragraph 1
Consistent with the right of the United States to take "all the measures necessary for their establishment, operation, safeguarding and control" within granted facilities and areas, the United States shall notify and consult with the Government of the Republic of Korea on a timely basis about planned (1)modification or demolition (removal) of indigenous buildings and (2)new construction or alteration as defined by the Joint Committee that may affect the ability of local Korean providers or communities to relevant utilities and services, or may affect health and public safety in local communities. ... This procedure does not preclude the United States armed forces from making direct coordination with a local government for planning purposes. <added January 18, 2001>

8 2003年4月25日 ハンギョレ新聞

9 韓米両国は1月17日の第6回未来同盟会議で韓米連合司令部と国連軍司令部をふくむヨンサン基地の駐屯部隊を2007年までにピョンテクに移転することで合意した。ただし連絡所の形態の司令官ソウル事務所と50人規模の業務協力団が使う2万5,000坪とドラゴンヒル・ホテル(Dragon hill hotel)を残すこととした。ヨンサン基地の移転費用は30〜40億ドルていどかかるものと推定され、すべて韓国政府が負担しなければならない問題点があるのに正確な費用がまだ決められず、アメリカの要求に合うように移転をしようとすればもっとたくさんの費用がかかりうるが、ヨンサン基地を移転するためにはピョンテクに新しい土地を米軍基地にしなければならないため、ピョンテク住民が反発している。

10 当時、ストライカー部隊の訓練を妨げるため大学生らが訓練場に進入し、「韓半島の戦争の危機をそそのかすストライカー部隊の訓練の中断」を要求し、みんな警察につかまった。

11 オサン空軍基地は米軍が空軍基地の名を「OSAN AIR BASE」とつけ、これをそのまま翻訳したために、多くの人がこの基地はオサン市に位置するものと誤解している。オサン市はピョンテク市と隣接したところだが、米空軍基地はピョンテク市ソンタンに位置している。米軍がピョンテクにある基地の名をなぜ「OSAN AIR BASE」とつけたのか正確に知ることはできないが、駐屯する当時の都市の名を正確に知り得なかったという後文がある。

12 2002年11月16日からはじめられたキャンドルデモは400日間、毎夕おこなわれたが今年から毎週木曜日にしています。クァンファムンのキャンドルデモには、米軍によって犠牲となった2人の女子中学生を追慕し韓半島の自主と平和のためのデモでありつつ、イラク戦争に反対する平和デモでもあります。

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ジョゼフ・ガーソン


米軍基地と時代の抵抗アメリカフレンズ奉仕委員会

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日本平和委員会のみなさん、この重要な大会に招待してくださりありがとうございます。不屈の沖縄の平和活動家のみなさん、日本平和委員会のみなさんとまたご一緒でき、本当に光栄に思っております。みなさんのたたかいは、アジアと世界の人たちのお手本であり、勇気の源泉です。周知のとおり、帝国は、いつか終わりを迎え、歴史のなかに消えていくのです。

たしかに、今は、帝国が力をふるう暗く困難な時代です。海外での戦争のためにアメリカが沖縄の整理統合と利用を強化し、裁判判決では米軍基地による土地の没収に異議を唱える地主の権利が認められず、直面する問題はますます大きくなっています。

アメリカでも情勢は同じです。昨年、史上最大の平和運動を組織することができましたが、その後、私たちは、開いている窓と方法を明らかにし、イラク戦争に対する異議や疑問の声を、強力な一大勢力へと変えていくとりくみを続けてきました。イラクでは、アメリカの侵略で数万人が殺されており、負傷者の数はそれを超えています。ほとんどのイラク人は、サダム・フセインの独占が終わり安堵しています。しかし、一方では、治安はフセイン時代より悪化くなっているため、彼らはアメリカの占領が早く終わることを願っています。この間、500人の米兵が殺され、9000人が負傷し、戦場から撤退させられました。一生にわたる障害を負った兵士もいます。フセインは非公開尋問を受けていますが、フセインの弁護人であるフランス法律家ははっきりこう述べています。「裁判のなかで、つぎの点が根本問題となる。『...私はあなたの友人だった。われわれがしたことは、われわれが一緒にしたことだ。私は銃を撃った。しかし、その銃を私にくれたのはあなただ。その上、あなたは私に、あれがおまえの敵だと指図さえした。』」(注1)

アメリカ政府がすすめている戦争は、泥沼化するイラクだけではありません。戦争はアフガニスタンでもつづいており、ここでは、ハミド・カルザイ大統領はいまも「カブール市長」でしかなく、支配権はいまだ将軍らの手にあり、世界最大の現金収入作物であるアヘン用ケシの栽培も続いています。戦争は、核をもつパキスタンにも転移する兆しを見せています。米軍は、またも、フィリピンとコロンビアで戦争状態にあります。そして、世界最大の危機となりうるのが北朝鮮情勢で、ブッシュ政権は、金正日政権からの要求受け入れを拒みつづけています。

より長期的な問題を見ましょう。アメリカの議会は、新型核兵器の研究開発の財政支援を承認しました。新型といっても、広島型原爆の70倍の威力をもつものです。ブッシュ大統領再選となれば、アメリカの核実験再開はほぼ確実で、そうなれば核拡散に拍車がかかるでしょう。ラムズフェルド率いる国防総省は、外国にある米軍基地のネットワークを再構築することで、アメリカ政府の戦争遂行能力を強化しています。

アメリカとのより固い同盟を結ぼうと、中東の石油のために戦い命を落とす兵士のなかには、いまや日本の兵士も入っています。先制攻撃である「ミサイル防衛」の開発・配備には日本政府も参加を決めました。たぶん、これ以上にがっかりするのは、小泉政権がアメリカ政府の帝国主義的横暴をまね、北朝鮮に先制攻撃の脅しをかけていることでしょう。

アメリカは、圧倒的軍事力で帝国を広げ、強めようとはしています。しかし、相対的に下り坂にある支配力を持ち直そうと必死なのです。ブッシュ政権は、アメリカが恐ろしい存在であることを世界に知らしめようとしていますが、実は、アメリカはのけ者国家に成り下がっています。アメリカは、ごう慢にも権力と力量をむりやり広げようとしていますが、1930年、40年代に日本を支配していた向こう見ずな軍国主義者と似ています。いまの時点で、ブッシュ大統領再任の可能性は高いのですが、あの悪名高いIMF(国際通貨基金)でさえ、アメリカの(国家予算と貿易の)双子の赤字はアメリカと世界の経済の安定を危うくしていると警告しています。

この激動の時代、グローバルな経済、政治、軍事、文化の秩序・無秩序のありうる新しい形をめぐって、いろいろと概要が計画され、競合していますが、明らかなのは、それらが支離滅裂だということです。しかし、将来、外国にある米軍基地の撤退を含む、アメリカの支配力の急激な低下がありうるという、非常に不安定で激動の時代に生きているということは、私たちひとり一人の、また集団的な行動が、やがて、並外れて大きい影響を持ちうるかもしれないということを意味します。いまより安全になるのか、またはもっと不安定になるのかという将来の世代のあり方を決定するかもしれないのです。

経済学者でジャーナリストのポール・クルッグマンは、こう指摘しています。永続できないよう見えるものは、やはり永続しない。米軍が長期にわたりイラクに駐在することになったとしても、アメリカ政府は、イラク人へのアメリカ型の民主主義や資本主義の押し付けに失敗するでしょう。アメリカの株式市場が、選挙の年に記録的高値を付けたとしても、それは、アメリカ経済の構造的欠陥により必ず後退します。みなさん、米軍に依存した沖縄の経済が、ソ連の軍事基地に依存していた東欧や中央アジア諸国の経済より安定している保証はないのです。このかんブッシュ大統領が訪問した国では、なにが起こったでしょう。アメリカ政府の最大の同盟国イギリスを訪問したとき、事前準備でイギリス入りしていたホワイトハウスの一行は、伝統的な大統領パレードを中止せざるをえませんでした。ジョージ・ブッシュをイギリス国民から守れないと判断したからです。ブッシュが自由に動きまわれたのは、基本的に、女王の宮殿の中だけでした。ブッシュは、APEC(アジア太平洋経済協力)会議のためアジアを訪問しました。そのとき、この世界最強の人物がフィリピンにいる事が出来たのは、日中の安全な8時間に限られたのです。インドネシアの場合は、ブッシュは、3時間ぐらいいても大丈夫かなと思ったようです。中国の胡(Hu)主席がオーストラリア国会で演説する際にもらった時間は、なんとブッシュと同じでした。


アメリカのアジア(および世界)戦略と私たち


いまアメリカで、エリートらによる議論で問題となっているのは、アメリカが帝国となったか否かではなく、「どんな」帝国になっていくのかです。ブッシュ政権の単独主義的な「国家戦略声明(National Strategy Statement)」の宣言するところによれば、世界は、歴史の終わりに差しかかっており、そこでは、「唯一持続可能な国家モデル」が存在するといいます。アメリカ型の「自由、民主主義、自由経済」を採用するこうした国家のみが、「将来の繁栄」を確約される、というのです。父ブッシュのドクトリンは、どのような地域的または地球的ライバルの出現を阻止することがアメリカの外交、軍事政策の「最優先課題」というもので、クリントンの場合は「全領域支配(Full Spectrum Dominance)」ドクトリンを打ち出していました。現在のアメリカ政府の政策はこれらのドクトリンをも凌くもので、潜在的ライバルの出現を阻止するために「先制的に行動する」との脅しをかけています。これは、アメリカ史上前例を見ない政策であり、著名な学者リチャード・フォークはこれを「ファシスト帝国」と解説しています。

 この新ドクトリンは、イラクやイランといった石油を産出する中東におけるアメリカの覇権の継続上最大の障害と見なされている国や、ほんの少しの核兵器を持っているかも、持ってないかも知れない朝鮮民主主義人民共和国にだけ当てはまるものではありません。これは、「戦略的競争相手」と見られている中国や、欧州諸国にさえ当てはまるのです。9月11日というトラウマを政治的な隠れ蓑にして、これを利用することを恥とも感じず、ブッシュ政権は、地球規模の軍事十字軍として行動しています。アメリカは、軍事力を急速に強化していて、いまやアメリカの軍事費はアメリカ以外のすべての国の軍事費を合わせたほどに膨らんでいます。また、国際法や条約にも拘束されない、としています。

一方、民主党の大統領候補者のほとんどが、ジョセフ・ナイの世界観を受け売りにしています。つまり、アメリカには「率いる義務がある」が、それは見識をもってやらなくてはならない、という意見です。彼らは、アメリカ帝国の広範な権力圏を統制するには、より確かな、多国による連合体を通しておこなわれなくてはならないと主張しています。「ソフト・パワー」にもっと価値を見出す必要がある、つまり、文化的帝国主義と、連合の目下の同盟国である日本やドイツなどのニーズや野望を尊重するクリエイティブな外交をせよ、というのです。ビル・クリントンと同じく、彼らは、軍事費を本気で削減しようとはしていません。アメリカの財政赤字がアメリカと世界の経済にとって絶対に必要だと理解しているにもかかわらずです。

アメリカの「国家安全保障戦略」から、アメリカのアジア政策と野望を読み取ってみましょう。ブッシュ政権のレトリックの裏では、次のことが誓約されています。
・ 「地域的・地球的問題で引き続き率先的な役割を作り上げるよう、日本を」激励する。
・ 北朝鮮と対峙する上で、韓国との関与を継続する。
・ 「50年にわたる米豪同盟関係」を発展させる。
・ この地域全土におよぶ軍事部隊を維持する。
・ これらの同盟を発展させ、ASEANやAPECと共に「この流動的な地域における変化を統制するために、地域的戦略と2カ国間戦略を合わせたものをつくる」

ブッシュ政権が、アジアを「統制」する神授の権利を持っていると信じていることに注目してください。

「国家戦略声明」は、「アメリカとロシアは、もはや戦略的敵ではない...」と述べています。実際、ロシアは、中国を封じ込める上で役立つ存在になり得ます。「戦略声明」は、アメリカは「変化する中国との建設的関係を」追求していると述べています。しかし、アメリカ政府と中国政府が、イスラム勢力や北朝鮮の核兵器計画を封じ込めるために協力したとしても、中国は、アメリカにとって、最大の潜在的戦略競争国なのです。「戦略声明」は、父親的温情主義をもって、中国を脅しています。中国は、「時代遅れの道を進んでおり、結果的に、国家の偉大さを追求する自分に自分で足かせをかけることになる。」

金大中の面目を失わせ、妥結一歩手前であったクリントンと北朝鮮政府との交渉を挫折させて以降、ブッシュ政権は、北朝鮮と対峙することをもって、北東アジアの同盟国を調教し、北東アジアにおける自国の支配力を強化してきました。共和党も民主党もエリートたちは、長期的に欧州連合に匹敵しうる、長期にわたる統合された北東アジアの可能性を恐れています。韓国では投資家と若い世代の大多数が、いまやアメリカではなく、ますます中国に目を向けています。それは、自分たちの将来と長期間の安全保障を考えているからです。日本、中国、そしてロシアとの貿易と投資は、以前では想像もつかなかった規模に達し、いまも伸びつづけています。盧(Noh)政権は、この方向をさらに一歩進めて、より広範な北東アジアの統合を呼びかけています。そのうち、北東アジア経済の統合と地域の外交協力が進めば、アメリカ政府がどんどん取り残され、アメリカの地域・地球支配は難題にぶち当たる可能性がでてきます。

ブッシュ政権は、核兵器問題をめぐる北朝鮮との対峙を利用し、引き伸ばしてきました。それは、北朝鮮の核兵器保有という可能性を阻止し、中国の包囲・封じ込めにあたっての政治的口実をつくり、南北朝鮮の統一を阻止し、(こうなれば、米軍はゆくゆく朝鮮半島から撤退しなければならなくなる)、日本との同盟関係を強化するためです。

忘れてならないのは、今年がアメリカ大統領選挙の年だということです。アメリカは、イラクでの戦争と占領で疲弊していても、IAEA(国際原子力機関)のモハメド・エルバラダイ局長は、「北朝鮮政府の武装解除をさせる努力は、ことし『大ピンチ』に陥り得る」と警告しています。(注2) アメリカでは歴史的に、大統領選挙直前に「10月の奇襲」がやってきます。軍事的、外交的な対立があると、短期的には、大統領の支持率が上がる傾向があるか、または、和平合意にこぎつければ大統領は政治的な報酬をうけることができます。ですから、今年は少なくとも、「興味深い年」ではあるでしょう。

もちろん、北朝鮮は、アメリカをはじめとする核保有国と同様、核兵器計画を破棄すべきです。しかし同時に、私たちは、いま多層にわたり深いところで展開されているゲームについて明確な理解を持つ必要があります。これが分かれば、なぜアメリカが、北朝鮮から「OK」の返事を受け取ることを拒否してきたのか、なぜブッシュ政権が、北朝鮮が、自国の核計画を不可逆的かつ検証可能な形で破棄する誓約をした場合、それへどう対応するか明言を拒否していることが、多少見えてくるからです。

アメリカの貿易商人たちが、中国とのアヘン貿易などで利益をあげていた19世紀以来、アジアにおけるアメリカ政府の最大の関心は中国にありました。「国家戦略声明」が、中国を「戦略的競争国」と定義する前ですら、クリントン時代の対アジア政策を担当していたジョセフ・ナイはこう警告していました。20世紀で2度も、主要大国(英米)は、勃興勢力(日独)を自分達の体制に統合できずに終わり、結果、2度にわたる破滅的な世界大戦を招いた。21世紀の難題は、いかに中国をアメリカ中心の体制に統合するかにある、とナイは主張したのです。ナイが打ち出した戦略は、単純なアメとムチ外交でした。つまり、関与と威圧的封じ込めです。だから、クリントンは、最終的に中国のWTO(世界貿易機構)加盟を支持しました。一方で、「中国政府のミサイル戦力を完全に無力化」しうる、いわゆる「ミサイル防衛」をもって中国を取り囲むと脅しながら、中国との「一大取引」交渉を追求したのです。


軍事基地

「対テロ戦争」により、アメリカ政府は、中国を囲い、封じ込め、自国の体制に統合するキャンペーンを追求する新たなチャンスも得ました。このキャンペーンを私たちは、アジア全土で米軍基地を「多様化させ」、その「型を変更する」キャンペーンと見ています。

3年前に政権に返り咲くとブッシュ政権は、自分達が、1880年、1890年代にこう主張した男達をモデルにしていることを世界に知らせてきました。この男達は、やがてアメリカが世界の最強国であるイギリスにとって代わる可能性、よっては、そのために必要な軍隊の確立を構想していました。1890年代、アメリカは、フィリピン、グアム、キューバ、プエルトリコを征服し、これらの国に軍事基地をつくりました。これは、アメリカの公式の植民地主義が最高潮に達した時代で、その後、アメリカは、より精巧な新植民地主義ドクトリンを採用し、アメリカ政府の冷戦同盟構造をつくりあげ、世界銀行、IMF、WTOを創設していきました。

しかし、今日の沖縄などでの軍事植民地主義は、19世紀、20世紀と同様、地位協定といった不平等条約の上に成り立っています。米軍には治外法権が保証されており、これは、インドにおけるイギリス人、ベトナムにおけるフランス人、インドネシアにおけるオランダ人と同じ権限です。化石燃料、土地、水というもっとも重要な資源、輸送路や病院などが、植民地/新植民地主義者の手に握られています。人種差別や狂信的愛国主義という、兵士や占領者たちの目をくらますに欠かせない思想が、いまだ幅を利かせています。お菓子、アイスクリーム、映画、ファッションなど占領者が持ち込んだものが、人びとの嗜好を左右します。宣教師による文化覇権主義と同様、こうした新しい味は内面化され、占領されている国を、占領する側の経済に従属させるのに役立ちます。スービック湾の米軍基地が、清王朝を統制し、市場を占有するための跳躍台であったように、沖縄の米軍基地、日本政府、韓国政府、フィリピンのジェネラル・サントスの米軍基地は、21世紀経済のエンジンであるアジア太平洋支配、そして、そのエンジンの燃料である中東石油支配の基盤なのです。

就任以来、ブッシュ政権は、いわゆる「軍事における革命(Revolution in Military Affairs=RAM)」にたいする自身の肩入れをいとわず宣言してきました。「軍事革命」は、アメリカの戦争ドクトリン、アメリカの陸・海・空・宇宙に配備された兵器システム、そして全世界に配備した米軍基地網をふくむ軍事インフラに、情報技術(IT)をほぼ完全な形で統合するものです。

就任前の2000年、現在国務副長官であるアーミテージと、現在大使であるカリルザドの指揮でつくられた報告はこう提言していました。アメリカは、アジア太平洋地域に前方配備された部隊と基地に対する誓約を再確認すべきである。しかし報告は同時に、それらの場所を「多様化」させること、部隊・基地の重心を現在の北東アジアからやや南方に移動させる変革もおこなうよう訴えていました。ラムズフェルドが、海外の米軍基地網の再構成をすすめるなか、一部、閉鎖や整理統合がおこってくるでしょう。しかし、これは、アメリカの軍事力を増強するためにおこなわれているのです。アジア太平洋において、これは、米軍基地・部隊の重心を北東アジアからさらに南へ移すことで中国をより包囲しやすい体制をとり、いわゆる「対テロ戦争」をすすめ、ペルシャ湾の石油という東アジア経済の血液が流れる海上交通路をより完全に統制することを意味しています。

沖縄に米軍を置きつづけることは、ひき続きこの戦略の要であり、そこでは、グアムはアジア太平洋地域米軍の再生ハブとして、また1995年〜96年や沖縄返還直後におこった沖縄と日本の人々の米軍に対する激しい抵抗がみられた場合にそなえた基地として機能しています。この可能性は小さいかもしれませんが、1995年に、またこの一年半韓国で起こっている抵抗から私たちが学んだように、占領軍の残虐行為と、自分達の安全と尊厳を守ろうとする人々の不屈の抵抗は、予想に反して、うっ積した社会的、政治的な力を解き放ち、世界最強の軍事同盟の基盤を揺さぶりうるのです。

ラムズフェルドによる再構成運動で最も不安な点は、韓国にいる米軍を非武装地帯と、漢江の南ソウルから移すことです。これは、ここ沖縄での沖縄特別行動委員会(SACO)と並行した動きで、目的は、米軍の足跡を人口が多い都市にはあまり残さないこと、つまり、ある国や県における米軍の存在に対する一般人による反対を弱体化することにあります。この戦略では、韓国の世論を鎮圧できていません。実際、再配備計画を進めれば、アメリカが北朝鮮に軍事攻撃をかける可能性は高まるのであって、そうなれば、半島全土におよぶ破滅的な戦争となります。アメリカの方は、戦いで消耗されうる米軍部隊の数を減らすことができます。この計画は、韓国の政界に衝撃をあたえています。

アジアのほかの地域を見ると、オーストラリアにある米軍が強化される予定です。フィリピンの報道によると、ブッシュ政権は、「訪問部隊」協定とMSLA協定を脱け出して、基地を正式に再開させたいと考えているようです。シンガポールとのアクセス協定は拡大されています。タイとの間では、米軍がタイに戻る道が開かれた状態です。アフガニスタン侵略により、アフガニスタン、パキスタン、ウズベキスタン、キルギスタン、タジキスタンへの道が開かれ、ペンタゴンは、ゆくゆくは恒久の米軍基地となるであろう拠点をつくるよう「招かれて」います。アメリカ政府は、インドネシア軍との関係を復活させ、始まったばかりのインドとの同盟関係を強めています。

イラク侵略により、アメリカが、欧州と中東にある軍事基地のインフラを再編成する道も開けました。ドイツがこの侵略参加をためらい、イラク戦争で在ドイツ米軍基地が果たす役割に制限をかけたことで、アメリカ政府は、ドイツから米軍基地を撤退することでドイツ政府に制裁を加えようと脅しています。基地のほとんどはドイツに残るでしょうが、一部は東へ移転されています。新しい基地が、民主主義と人権の砦(とりで)であるポーランド、ルーマニア、ブルガリアにつくられ、現在も建設されています。地球の南側を見ると、アメリカ政府は、9/11テロ攻撃の原因のひとつを取り除きました。イスラムの最も聖なる土地に泥を塗るものとイスラム教徒が感じてきたサウジアラビアの米軍部隊・基地の大半を撤去したのです。これらの部隊、基地、機能は、カタールとクウェートに移されました。ジブチとバーレーンの基地は拡大されました。イラクをアメリカに仕えさせるという計画に加え、現在、サウジアラビアとOPEC(石油輸出国機構)に対するテコとして使える石油源として、米軍関係者たちは、イラクを今後数十年にわたる中東における米軍の砦として使おうと考えています。

アフリカも、アメリカの地球規模の軍事ネットワークで大きな役割を果たしています。アメリカは、大規模な軍事介入に向けて、また、アフリカの石油支配を強化するために、米軍基地「一家」をつくる協議をしています。アフリカの石油は、10年後には、アメリカが輸入する石油の4分の1を占めると見られています。この新「家族」となる「受け入れ国」には、アルジェリア、マリ、ギニア、セネガル、ザイール、ウガンダが入る見込みです。そして、ラテンアメリカでは、ビエケスにある米軍基地の閉鎖を求めるプエルトリコの人々のたたかいが勝利を収めてはいますが、アンデス山系の国々に新しく基地がつくられ始めており、カリブ海でもアメリカは軍事力を強化させています。

この復活したインフラには、いくつか概念上の柱があります。アメリカの前方配備部隊は、三つの階層にそって組織されています。1)主要ハブ基地として、日本、沖縄、グアム、イギリス、カタール、ホンジュラスにある基地。2)より小規模のセンターもしくは「前方作戦基地」として、韓国、ディエゴガルシア、クウェート、ブルガリア、ウズベキスタン、オーストラリアにある基地。3)跳躍台として、リトアニア、タジキスタン、ジブチからアンデス山系の国家にある基地。ペンタゴンは、軍事介入を強めるために、海の上に基地や飛行場もつくる予定です。


国民の共同での抵抗

アメリカフレンズ奉仕委員会(AFSC)は、ムンバイで開かれた世界社会フォーラムで、反基地をテーマに会議を開きました。フォーカス・オン・ザ・グローバルサウスと共催で開かれたこの会議から朗報があります。会議には、25カ国の参加者が、アメリカおよびその他の外国軍基地の影響力と役割、地域と国から外国軍基地を撤退させる平和活動について報告しました。分科会では、ラテンアメリカ、アジア、太平洋、インド洋、北米、欧州の8名で、共通課題を話し合い、長期的協力にむけた基礎がためをしました。私たちは、正式に、「米軍基地反対――全世界で軍事基地を閉鎖せよ」というグローバルネットワークを創設しました。私たちはこれを、軍国主義反対と帝国主義反対の両方の運動のなかに位置づけました。戦略的には、すべての外国軍基地(一部では、自国の国内基地)の撤退にむけ活動しながら、集団的な力を結集するために、地球規模の構造全体にたいする影響と危険を反映しているケースに焦点をあてる必要があることで合意しました。暫定的には、ディエゴガルシア、沖縄、イラク、北朝鮮/韓国、ビエケスといった健康と汚染除去問題がいまも大問題である場所を特定しました。今後は、南米と欧州諸国も加えていくと思います。私たちは、核兵器事故や1995年ここでおこった小学生に対する強姦事件といった重大事が起こった場合には、柔軟な対応をとり、活動の焦点を移すことでも合意しました。

また次の点でも合意しました。1)ウェブサイトの作成:すべての外国軍基地および組織化された基地反対活動がおこなわれている国を網羅する地図を含む。2)Eメールリストの作成。すでに参加している100を超える組織が入ったもの。3)米軍基地に反対する国際デーの組織。おそらく7月4日。4)平和小艦隊の派遣にむけた連帯行動の組織。これで、ディエゴガルシアの人たちを故郷に戻す。5)外国軍基地に反対するより総合的で長期的な地球規模の会議にむけた計画づくり。

これ以外にもたくさんの提案がありました。戦略、財政/資源づくり、連帯行動、3月20日のグローバル平和デモで基地反対が取り上げられるようにする、連帯促進のため反基地行事のグローバルカレンダーをつくる、このネットワークを欧州平和運動にもっと強く結びつける(今年7月ボストンで開かれる社会フォーラムに、アメリカの平和運動のリーダーたちが集まるとき)、ウェブサイトでアメリカなどの外国軍基地の犠牲者に敬意を表する、成功例から学び「失敗例」を分析することで運動同士が学びあう、などです。これらは提案の一部にしかすぎません。

アメリカの平和運動に話題を戻すと、一年前、私たちは、差し迫ったイラク侵略に反対する人々50万人を街頭に連れ出しました。これは、この日おこなわれた多くのデモのひとつにすぎず、全世界ではあわせて数百万が集い、世界最大規模のデモとなりました。ニューヨークタイムズ紙ですら、国際的な世論を「第二のスーパーパワー」と認識しました。そのうえ、悲しいことに、私たちが正しかったことが証明されました。イラクは大量破壊兵器を持っていなかったのです。サダム・フセインは、独裁者でしたが、アルカイダと何の関係もありませんでした。この戦争と占領は、関与するすべての者にとって大きな災難となっています。侵略は止められませんでした。しかし、共同の努力により、アメリカの戦争遂行能力を制限しているし、今後最終的には、イラクからの米軍につながる力を発揮するでしょう。

いま、私たちは国民に、イラクで起こっている真実を知らせています。反戦運動と経済・社会運動とをつなぐ運動をつくっています。多様な勢力の統一を追求しています。選挙の年ですから、教育し、組織するチャンスを活用し始めています。世界社会フォーラムで本当にたくさんの平和・正義勢力に教えられ、エネルギーをもらった私たちは、国に帰り、自分たちの組織と運動に新しい観点を吹き込み、問題を提起していきます。

アメリカのこの世代の平和運動にはいくつか新しい特徴があります。まず、問題は、ある戦争が逸脱している、ということにではなく、ニューヨークタイムズ紙が言っているように、私たちが帝国に対処しているという点にあること。そして、退役兵士グループ、イラクやアフガニスタンに送られた兵士の家族たち、9/11テロ犠牲者の家族が、アメリカ平和運動で指導的役割を果たしているという点です。

アメリカ最大の反戦連合体である平和と正義連合(UFPJ)は、今後一年間の行動計画を採択しました。計画には、3月20日に世界規模でおこなわれるイラク占領抗議デーへの参加、4月15日の税の日デモ参加、NPT再検討会議準備委員会の会期中である5月1日におこなわれる核軍縮全国行動への参加、7月末と8月におこなわれる民主党と共和党の全国大会での抗議行動、12月10日のUFPJ第2回全国集会などがあります。

AFSCなどの組織は、これに加えてさらに行動を起こしています。イラクへの代表団派遣、今後計画が進められるボストンでの社会フォーラムの支援、7月にボストンで開かれる民主党全国大会、アメリカのアジア太平洋における軍事行動に関する教育活動、欧州平和人権ネットワークおよびアジア平和会議との共同、新型核兵器の研究開発を阻止する運動の組織、などです。

日本とアジアからどうやって米軍基地をなくすのか、とか、アメリカの戦争をどう終わらせるのかという根本的な問題に対する簡単な答えはありません。しかし、私たちは、歴史をつくり動かすのは、何か抽象的な力ではなく、人間であることを知っています。ブッシュ政権は、危険なまでに、アメリカの力の極限にまで手を伸ばしているのであって、永続するように見えないものは、永続できないのです。

みなさんと共に活動する機会をあたえていただいたことに再度お礼を申し上げます。この大会からはアイディア、チャンス、プロジェクトなどが提起されることと思います。ぜひ意見を聞かせてください。今後も共に活動できることを願っています。

帝国はすべて崩壊します。

忍耐と想像力をもってすれば、私たちは必ず勝利します。

(注1)ニュースウィーク誌 1月12日号  ”Defending the Iraqis” 
(注2)「国連関係者は、北朝鮮の核問題を『もっとも危険な問題』と位置付けている」ジャパンタイムズ2004年1月24日付

ジョゼフ・ガーソン博士
アメリカフレンズ奉仕委員会(AFSC)ニューイングランド地域。企画責任者。平和経済安全保障プログラム責任者。AFSCの資料は、www.afsc.org/pes.htmで入手できる。連絡は、EメールJGerson@afsc.orgまたは、AFSC, 2161 Massachusetts Ave., Cambridge, Ma. 02140, USAへ。

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高草木 博

原水爆禁止日本協議会事務局長

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2003年から2004年へ
戦争から平和の世界秩序をめざして


 このシンポジウムにお招きいただいたことに感謝します。この機会をおかりして、「核も基地もない沖縄」のためにたたかいつづけている県下の平和運動のみなさんに、連帯の意を表明します。


一人ひとりの行動が平和を切り拓く時代


 この1年を振り返ったとき、もっとも深く心に刻み込まれたできごとは、ブッシュ米大統領のアメリカがおこなったイラク攻撃でした。12年にわたる経済制裁、一方的に強要した航空禁止区域と爆撃、査察を通じて調べ尽くしたイラクの政治・経済・軍事施設、世界第2位から27位までの軍事予算の総計をも上まわる米国の軍事力、トマホークミサイルから劣化ウラン弾やクラスター爆弾などの非人道兵器と、テレビ画面で見ていても余りに一方的で無残な光景でした。
 平和運動にとってもこの1年は、新たな経験と教訓に富んだ、重要な1年となりました。それは、「ニューヨークタイムズ」でさえも「第二のスーパーパワー」と呼んで注目した世界の平和運動とそれを支える世論の力でした。戦争に反対して先例を見ないほどの人々が街頭に出て行動しました。それに、世界の圧倒的な数の国の政府が動かされました。よく、「日本ではなぜ何百万人ものデモができないのか」と言われました。しかしその日本でも戦争反対の世論は、78%とか80%に達していました。武力攻撃をめぐる国連審議で、それぞれの国の、一人ひとりの行動が、国連憲章の平和のルールを守り、無法な武力攻撃の手を幾度にもわたって抑え付けました。
 戦争と平和世論のつばぜりあいは、さまざまな局面を経ながらいまも続いています。大切なことは、その一つひとつの過程で、戦争の側が道義的根拠を失い、人々の信頼を失い、足場を掘り崩していること――いま、そこを直視することが大変重要だと思います。


ひとつの帝国が世界を支配できる時代ではない

 すでに2年近く前ですが、2002年4月1日の「ニューヨーカーズ」は、「これからの世界秩序」と題するひとつの重要な記事を載せました。それは、現ブッシュ政権が「予見しうる将来にわたり米国のライバルの登場を許さない」ことを軸とした対外政策を追求していることを証拠立てるものでした。現在、ブッシュ政権はこれをさらに進めて、「テロと拡散への防止」、「米国は世界に自由をおしひろげることを使命としている」(2004年一般教書)などを口実に、米国が必要とするところにはどこに対しても武力行使をすることを公然と宣言しています(たとえば、ことしの一般教書「米国は、自国の安全を護るのに他人からの伝票を必要としていない」と述べている)。
 しかし、こうした政策の追求は、すでに顕著な破綻を示していると思います。そのひとつは、国連憲章に根拠をもたない武力行使、さらにはその背景となっている「一国行動主義」とか「先制攻撃」の政策自体が、その最初の瞬間から国際秩序の破壊として非難を受けていることです。昨年3月、アカデミー賞授賞式でブッシュ大統領に「おまえは恥だ」と非難したマイケル・ムーア監督がいま、6冊の本を推奨しています。そのひとつ、レーガン政権当時経済顧問のひとりであったポール・クルッグマンという人は、こう書いています。「第二次世界大戦以来アメリカは国際機関を中心に対外政策を築き、気ままに軍事力を使うふるい型の帝国主義国と違うんだということを示そうとしてきた…。イラク戦争を煽ったネオコンたちは違う…。彼らは戦争を好み、戦争を愛すること…この戦争がことのはじまりに過ぎないことを明確にしている」。つまり、ブッシュが「尊敬」を口にするレーガン時代の人から見ても、良識を持ってみれば、ブッシュ政権を構成する人たちは、「法の支配」を「暴力の支配」へ歴史を逆行させた「ならず者」と写っているということだと思います。
 そして、もうひとつはその行動の一つひとつを塗り固めていた、「うそ」がいま、一つひとつ剥がされていることです。イラク戦争開戦前に、「大量破壊兵器」がすでに開戦の理由とならないことを証明したのは、米国のCIAから見込まれて国連査察チームに加わったスコット・リッターさんでした。1月20日の一般教書演説ではブッシュ大統領は、こう言いました。「すでにケイ報告は、イラクが国連の目から隠した何十もの大量破壊兵器関連の計画活動と膨大な量の装置を突き止めている」。そして、米イラク調査グループ責任者のデービッド・ケイが、「大量破壊兵器は存在しない」、「もともと存在しなかった」、核兵器計画も「再開していなかった」と語ったのはわずか3日後のことでした。
 「嘘と嘘をついている嘘つきがついている嘘」という舌を噛みそうなタイトルの本がいま広く読まれているそうです。イラク問題でブッシュ政権から知恵を借りては「嘘」をオーム返しにしてきた小泉政権にたいしても、同様に徹底した「攻め」が必要だと思います。
 ことし10月の大統領選挙を前に、かつて2000年秋に選挙で負けたブッシュを大統領に押し上げたマシーンが今回も働くのは確かでしょうが、いま、世界の批判と良識あるアメリカの運動、世論がつくり出しているブッシュ政権の「無法」に対する現在の批判の高まりが、不当な戦争を許さない新しい時代を開く流れを大きく加速させることは間違いないでしょう。


危険な核政策がいっそうの孤立を招く

 こうしたブッシュの核政策の危険性について、原水爆禁止1993年世界大会に参加し、1995年ノーベル平和賞を受賞したジョゼフ・ロートブラッド博士は、「なんど強調してもし過ぎることはない」と言っています。同博士は、さらにこう述べています。「最大の変化がおこっているのは攻撃戦略のほうである…」、それは、「通常戦争計画に核戦力を統合する…」、「あらゆる手段を尽くしきった上で最後の手段と考えられていたかつての抑止ドクトリンは投げ捨てられた…、新しい政策において、核兵器は軍事戦略を構成するふつうの兵器の一部であり、他の爆発物と同じように使われる」
 さらに、同博士は、現在の小型核兵器開発についてもこういっています。「心配なのは、それが核兵器と通常兵器の区別をあいまいにすることである。核兵器の特徴は桁はずれの破壊力にある。…しかし、もっとも破壊力の低い核爆弾として、通常爆発物と量的にさほど変らないものがつくられれば、質的な違いも消えてなくなる。核の敷居は越えられ、核兵器は戦争の道具として徐々に容認されるようになる…。」(引用は、2003年7月、パグウォシュ会議への同博士のペーパー、「核問題――パグウォシュとブッシュ政策」から)
 ブッシュ政権下の核戦略は、他の国による核の危険も増幅しています。それは、アメリカの「核態勢見直し」に対応してロシアが先制核使用を自国の核政策に取り入れたこと、「核のカード」を使った北朝鮮の危険な核の瀬戸際外交が、ブッシュ政権の核使用脅迫に対抗して採られていることなどを見ても明らかです。
 ロートブラット博士が言うように、アメリカの核使用政策は、「先制行動という傾向が加わったことで、状況はさらに大きな脅威」となっています。同時に、他国には「不拡散」を強要し、「先制攻撃」脅迫を加えながら、みずからは巨大な核戦力を維持し、使用の準備を進めるなどということは、世界の秩序を根底からくつがえす無法であり、結局は、みずからの孤立をさらに推し進めることにしかなりません。
 昨年年12月8日、国連総会では一連の軍縮関連決議が採択されました。その主要なものを見ると、スウェーデン、ニュージーランドなど「新アジェンダ」連合7カ国が出した「核兵器廃絶の明確な約束」の履行を中心とする決議の賛成が133対6、同じく「新アジェンダ連合」の「非戦略核兵器の削減」が128対4、「核兵器廃絶にいたる交渉の開始」を求めたいわゆるマレーシア案さえも124対29と圧倒的大差で可決されました。留意すべきは、反対の数で、新アジェンダの二つの決議で見ればそれぞれ6と4です。NATO加盟国の数が現在19カ国ですから、核兵器をめぐる国際政治の現状が、核兵器廃絶を求める運動にどういう条件を創り出しているかは明らかでしょう。


核兵器をなくそう

 広島・長崎の被爆から55年、原水爆禁止を求める内外の運動は20世紀最後の年、核保有五カ国を含む187の核不拡散条約参加国が「核兵器完全廃絶」を達成する「明確な約束」に合意するという重要な成果を生み出しました。この到達の上に、イラク戦争反対のうねりは、世界の反核平和運動にも大きな希望をつくりだしました。「イラク反戦を上まわる行動を核兵器廃絶でやって欲しい」――長崎の伊藤一長市長は昨年8月、市庁舎を訪れた原水爆禁止世界大会への海外代表にこう語りかけました。
 来年2005年は、広島・長崎の被爆から60年の節目、そして5月には、「核兵器廃絶の明確な約束」の実行を厳しく問うべき核不拡散条約再検討会議がニューヨークで開かれます。すでにこれにむけて、核兵器廃絶を求める世界の人びとと運動が、新たな動きを開始しています。
 原水爆禁止2003年世界大会は、「2005年を核兵器廃絶への転機とする」(国際会議宣言)ため、新しい国際署名「いま、核兵器の廃絶を――ヒロシマ・ナガサキをくりかえさないために」を、最終日長崎大会に出席した7300人の内外代表の共同の意思として発足させました。
 広島・長崎の二つの被爆都市が重要な役割を果たしている「世界平和市長会議」はことし1月、「核兵器廃絶のための緊急行動 2020ビジョン」を発表し、2005年5月、ニューヨークでの100万人の行動をよびかけ、あのイラク反戦で主要な役割を果たした、全米平和正義連合が5月1日、これに応えた世界的結集を検討しています。
 日本原水協もまた、2月上旬開かれる全国理事会からことし50年を迎えるビキニデーを通じ、こうした内外の動きに呼応し、被爆国日本の運動としてイニシアチブを発揮しなければならないと考えています。
 そのひとつは、共同の問題です。日本原水協が重要な役割を果たしている原水爆禁止世界大会は、「政府、公的機関、自治体をふくめ、核兵器廃絶の目標を分かちあう広範な人びととの連帯」を方針としています。同じように、日本の原水爆禁止運動そのものでも、私たちは現在起こっている「対話」と「共同」の機運やイニシアチブを歓迎し、真に核兵器廃絶を共通の目標とする国民的結集を実現するために、全国的にもそれぞれの地方でも大いに努力したいと思っています。
 二つ目は、どのような共同も、それが力を発揮するためには、全国の草の根からの運動とそれを支持する広い世論がなければならないということです。私たちが、昨年の世界大会で「いま、核兵器の廃絶を」の署名運動を世界に向かってよびかけ、運動をスタートさせたのも、このことを展望したからにほかなりません。
 この運動は、国際的にもすでに30カ国にひろがり、非核国、非同盟国の国連大使や軍縮大使からノーベル賞受賞団体、インターネットを通じてのさまざまな国の市民から支持が寄せられ、先日、12万人が集まったインド、ムンバイの世界社会フォーラムでも、日本原水協の主催により、ここに出席しておられるジョゼフ・ガーソンさんをふくむ内外の広範な方々の協力をいただいて、広島・長崎の被爆者やインド、パキスタンの「ヒバクシャ」をふくむ「世界のヒバクシャ」集会がおこなわれました。この世界世界社会フォーラムでも、集められた署名は3000を大きく超え、「経済覇権を克服するたたかいと、原水爆禁止の運動とがひとつの流れとなって、核兵器も戦争もない公正な世界をつくろう」とのよびかけに耳を傾けました。
 わたしは、この場をお借りして、日本の原水爆禁止運動の出発点となった3・1ビキニデーの50周年までに、この署名運動を日本のすべての市区町村で運動にするよう、参加者のみなさんにもご協力をよびかけたいと思います。


核兵器も戦争もない世界に貢献する日本をつくる


 最後に、強調したいのは、テーマにある「平和の世界秩序」、私たちの言葉で言えば、核兵器も戦争もない世界を実現するには、この日本をそうした世界の実現に貢献する国に変えなければならないということです。
 本来、日本そのものが持つ理念でいえば、国際紛争の解決手段としての武力行使を放棄し、戦力そのものを保持しないことを誓った憲法をもち、その上に、核兵器を「持たず、作らず、持ちこまさず」の三原則を国是とする日本は、当然、平和な世界秩序づくりの先頭にたつべき立場にあります。
 ニセの改革イメージで国民をだましながら、小泉政治が創りだした日本は、まさにこの、本来日本が掲げるべき理念の逆を行くものです。それは、憲法をじゅうりんし、非核三原則を死文にしても、武力行使、それも先制攻撃の武力行使によって一極支配を築こうとするブッシュ政権の無法に日本を組み込むものです。その設計図はすでに2000年10月のいわゆるアーミテージ報告に示され、有事法制からイラク派兵、アメリカの先制核攻撃を前提とし、日本およびその周辺で作戦をおこなう米軍を防衛することを第一の目的とした「ミサイル防衛計画」への参加などによって急ピッチで遂行されています。しかも、その一つひとつは、テキサスの牧場で知恵をつけられたのではないかとも思えるような「ネオコン」ばりの嘘で固められています。「北朝鮮の脅威」もまた、そのために最大限に使われています。
 しかし、我々が直視すべきことは、その一つひとつのステップが、戦後一貫して憲法を護り、核兵器廃絶の世界世論をリードしてきた日本の平和の流れと矛盾をひろげざるを得ないことです。あのイラク反戦行動が示したように、「変化」は、「変化」が可能であると分かったときに大きな爆発を起こします。
 日本原水協は、「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」に国民の半数が署名し、全国の80%の自治体が非核平和宣言をおこない、国民の8割がイラク戦争に反対した、その力を確信とし、核兵器廃絶に貢献する日本、憲法の真価を発揮する日本を、それも急いでつくるために力を尽くしたいと思っています。

パネリスト・ゲストのプロフィール


〔パネリスト〕(国名のアルファベット順)

■ アメリカ
ジョゼフ・ガーソン
アメリカフレンズ奉仕委員会・ニューイングランド地域企画部長、平和・経済的安全保障企画部長

フレンズ奉仕委員会は、平和主義を重視するキリスト教徒団体で、国内外で反核運動、反戦運動などを積極的にすすめており、ガーソン氏は、政策・活動の組織の面で重要な役割を果たしている。これまで原水爆禁止世界大会にたびたび参加。2003年2月15日のニューヨークでのイラク戦争反対の大集会を組織する中心になってきた。
また、2003年12月には韓国をおとずれて米軍基地問題の会議に出席するなど、日韓をはじめとするアジアの米軍基地問題、アメリカの世界戦略の問題などで、運動の発展に重要な貢献をしてきている。また、米軍基地に反対する米国市民が集うボストン沖縄ネットワークの委員として活躍。1980年代からスタッフを沖縄に派遣し県民らと交流を続けている。



■フランス
イヴ・ジャン・ギャラ
フランス平和運動 全国ビューロー員

ジュリオ・キューリーやパブロ・ピカソなどによるフランスの反戦平和運動の伝統をうけつぐ平和団体。核兵器廃絶、軍縮と発展、平和の文化、パレスチナ問題、アメリカ諸国との連帯などの課題を重視してとりくんでいる。イラク反戦運動では、フランス国内の共同で中心的な役割をはたすとともに、ヨーロッパレベルでの運動でも積極的な役割をはたし、マスコミなどからも大きな注目を集めた。現在、2005年の被爆60周年に、大規模な青年代表団を広島、長崎に派遣する計画を進めている。また、昨年12月にパリでひらかれたヨーロッパ平和フォーラムでも重要な役割を果たし、3月20日のイラク占領反対の国際行動をよびかけている。



■日本
高草木 博
日本原水協事務局長、原水爆禁止世界大会実行委員会・運営委員会代表



■韓国
高・維京(コ・ユギョン)
駐韓米軍犯罪根絶運動本部 幹事

 駐韓米軍犯罪根絶運動本部は、在韓米軍による犯罪の告発・根絶をめざし活動する団体で、結成10周年をむかえる。1992年のユン・グミさん殺害事件をきっかけとして発足された「駐韓米軍のユン・グミさん殺害事件共同対策委員会」が、約10か月間の活動結果、米軍犯罪被害者の人権保護と韓米SOFA改定のためには体系的な組織が必要だという判断から結成された団体。
現在、本部では米軍による各種犯罪や被害を調べ、根絶対策を立て、韓米SOFAなどの不平等な制度を改定することによる平和と人権確立を目標としている。
コさんは、1999年から駐韓米軍犯罪根絶運動本部で活動、2002年2月より幹事。「駐韓米軍犯罪白書」「米軍犯罪と韓米SOFA」などの執筆、発行に携わってきた。



〔ゲスト〕

◇アメリカ
アレン・ネルソン 
元米海兵隊員

1947年ニューヨーク生まれ。1965年に海兵隊に入隊し、沖縄の米軍基地で訓練をつみ、ベトナム戦争に派遣される。1970年に除隊後も、トラウマという言葉を生み出した戦後後遺症を病み、医師のカウンセリングを受けるとともに、戦争体験を青少年に語る活動を開始。ニュージャージー州に「カンデム青少年センター」を開設し、貧困世帯の若者の相談や就職の世話などにとりくむ。1995年の沖縄での少女暴行事件を機に、米兵を本国に連れ戻す運動を開始した。日本の高校や大学、地域などで、ベトナムの戦争体験を語りながら平和を訴え、多くの人々の共感を広げている。著書に『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?―ベトナム帰還兵が語る「本当の戦争」』(講談社)など。



◇イラク
ジャワード・アル・アリ
バスラ教育病院がんセンター所長

バグダッド大学を卒業し、イラク国内外で医療活動を行う。1981年に渡米。1984年には英国王立医師団のメンバーに選出された。
帰国後はバスラ教育病院がんセンター所長として、湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾によるガン患者の治療に携わる。
アル・ジャジーラTV制作"劣化ウラン弾の嵐"に出演し、劣化ウラン弾の被害を世界に訴えている。昨年来日し、全国で40回以上にわたって講演を行い、イラクの子供たちが白血病や癌、先天性奇形など深刻な健康被害をうけていることを報告した。原水爆禁止世界大会にも参加。江川紹子さんと森住卓さんの共著『戦時下の生活と恐怖,イラクからの報告(小学館文庫)』などでもその活動が紹介されている。