2003年大会INDEX

2003年日本平和大会国際シンポジウム ゲスト発言

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ジャワード・アル・アリ


イラク・バスラ教育病院がんセンター所長 

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イラクにおける戦争と劣化ウラン弾の影響

 この50年、イラクでは多くの戦争がありました。もっとも破壊的だったのが、1991年の戦争(第2次湾岸戦争)でした。この戦争で、イラクのインフラは完全に破壊されました。軍事施設だけでなく、民間施設も攻撃の対象になりました。工場、政府施設、橋、病院が破壊されました。この戦争で歴史上はじめて、多国籍軍は劣化ウラン弾をバスラの南部で広範囲にわたって使用しました(300トン以上がこの地域に投下された)。イラク全土で使用された劣化ウラン弾の総量は、800トンと推定されています。この劣化ウラン弾により、戦闘地域とその周辺の街や農村地域の放射線量が上がりました。バグダッド大学工学部環境工学科の測定によれば、これらの地域の放射線量は、1キログラムあたり70ベクレルというイラクの土壌の通常レベルの数百から数千倍のレベルに達しています。この放射線だけでなく化学物質や栄養不良により多くの病気(ガン、こどもの先天性奇形、腎臓病、感染症など)が発生しています。それに加えて経済制裁が、イラク国民の苦しみを増大させています。

 私たちには食料と薬が不足しています。栄養不良と感染症により、子どもの死亡率が増加しています(この12年間で500万人以上の子どもが死亡。)イラク政府は、石油輸出による収入で食料と薬を買うという国連による計画の覚書を受け入れましたが、国連安保理の661委員会は、この計画をさまざまな方法で骨抜きにしました。この委員会は、契約を遅らせたり、契約を部分的にしか受け入れなかったり、契約を交わしたイラクの会社への支払いを遅らせたりもしました。
 イラク国民は、最近のさまざまな科学・工業技術の進歩から取り残されてきました。イラクの大学が、最新の学会誌や刊行物・本などを手に入れることは許されませんでした。技術進歩から何年も取り残された結果、私たちはいま、その時期に生じた大きな遅れに苦しんでいます。
 被害を受けた工場、病院、橋などは、イラク国民の手で再建されましたが、まだまだ十分ではありません。電気、水の供給、産業の復興も十分ではありません。
 フセイン政権は、安い賃金で国民を酷使したため、とくに単純労働につく家庭の所得と経済力は著しく低下しました。ひと月2ドルから5ドルという低所得により、低所得の階級や教育水準が低い階層が生まれ、増加しました。子どもたちは、家族の収入を増やし、生き延びるために学校をやめて働くようになりました。この戦争により国民生活のあらゆる面が影響をうけました。イラクに対する最も破壊的な戦争ということができるでしょう。この戦争はまた、軍事施設だけでなく、民間施設も劣化ウラン弾の標的にしたという点で、汚い戦争でした。

 2003年の戦争(第3次湾岸戦争)は、国際法に違反し、戦争に反対した国際社会の願いに反するものでした。この戦争の根拠とされたものは信じ難いものでした。(イラクによる大量破壊兵器の保有はいまだ証明されていません。)
 この戦争でも劣化ウラン弾が、バグダッド、バビロン、カルバラ、ナジェフで広範囲に使われました。第2次湾岸戦争(1991年)で使われた劣化ウラン弾の影響に苦しむバスラ周辺でも大量に使われました。ガーディアン紙の報道によれば、1000トンから2000トンの劣化ウラン弾が、イラクの51の地域で使用されました。私は、バスラ空港周辺とバスラ南部で、A10戦闘機が3日間にわたり、戦車や装甲車を標的に劣化ウラン弾を投下するのを目撃しました。この大量破壊兵器の推定使用量は、第2次湾岸戦争時(1991年)の使用量を上回っています。

 イラク国内のインフラはふたたび、以前よりも大規模に破壊されました。さらに多くの建物が破壊され、図書館などの政府施設は焼かれ、銀行は略奪され、占領軍はこれらの建物や学校、病院を保護する阻止する措置はまったくとりませんでした。身元不明の人びとが、国立博物館の貯蔵品を盗みました。イラク軍は解体され、街を守る軍隊はなくなりました。この戦争は、イラクの体制、歴史、世界の文明における役割を破壊することが目的だったと私は考えています。また、イラクと湾岸諸国の石油を確保し、世界のエネルギー源を支配するためのものであり、いまだ発見されていない大量破壊兵器は、戦争の理由ではなかったのです。
 犯罪率は危険なまでに増加しています。多くの人びとが、路上で、家で、車内で殺されました。子ども、少女が学校から誘拐されました。医師は診療所で殺されました。それにもかかわらず、占領軍は犯罪防止の手立てを何ひとつとりませんでした。今でも私たちには自分達が選んだ政府はなく、国民と財産を守るための警察は弱体化しており、軍隊もありません。電気もなく安全な飲み水もありません。安全も保障されていません。でも、私たちは近い将来、この状況が改善されることを願っています。
 占領軍に対する抵抗は強まっています。サダム・フセインが拘束された後でさえその動きは弱まっていません。抵抗はおもにイラクの中部・北部で活発で、南部ではごくわずかです。中部、北部地域の方が、南部よりサダム政権への忠誠心が強いのです。米兵による攻撃的な行動は、占領地域の状況を悪化させています。イギリス兵の方が落ち着いているため、南部での抵抗は少ないのです。その復しゅうに、米兵は民家を壊し、罪のない人たちであろうが、テロリストであろうが、抵抗民兵であろうが、無差別に多くのイラク人を殺しています。何千人もが逮捕・拘束され、投獄されました。イラク国民は占領を嫌っており、主権を回復し、すべての政党、社会層を代表する政府を自ら選ぶ日までたたかい続けるだろうと、私は考えます。

 これらの戦争による健康被害は、とくにイラク南部の人びとに顕著に現れています。がんの発症率は1988年の10倍(第2次湾岸戦争の12年後)に達しています。がんによる死亡率は1988年の19倍です。先天性奇形児の出生率は1990年の7倍です。家族が集団でがんにかかったり、一人に複数のがんが発症するという、いままでにない奇妙な現象が生まれています。子どもの死亡率は、栄養不良や感染症により増加しています。薬や医療機器の不足は、健康状態を悪化させています。

 これらすべての健康問題の原因はさまざまです。最大要因は、放射線、化学物質、栄養不良、感染症です。いちばんの被害者は、がん、栄養不良、先天性奇形に侵されている子どもたちです。これらの写真は、これまでの戦争と、91年の湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾の影響を証明するものです。イラク南部で見られるすべての健康被害の原因として、放射線をあげる理由は多くあります。
 1991年以後のがん発症率の大幅な増加。1991年以後のがんによる死亡率の大幅な増加。1991年以後生まれたこどもの先天性奇形の率の増加。家族が集団でがんになる例は、1991年以降初めて見られた。一人が複数のがんを発症するのは、1991年以降初めて見られた。1991年以後にがん発症の要因として新たに加えられたものは、放射線のみである。
 土壌の放射線量を測定し、患者の細胞組織や尿内のウラン粒子を確認し、染色体分析と細胞遺伝学的研究を行うことにより、放射線が原因であることを確証する必要があります。そうすることで、がん、先天性奇形などの病気と、劣化ウラン弾による放射能の因果関係を確実に証明することができます。しかし、調査のための設備は不足しており、世界を守るはずの人びとが犯した重大な犯罪を証明するための証拠を探すことは誰にも許されていません。

 最後になりますが、すべての国が、自由と主権のためにたたかい、平和と自由のために他国との連帯を強めることを願っていると申し上げたいのです。この会議は、異なる国々の間に、良好で強固な関係を築くための方法のひとつです。
 私は、イラク国民と、すべての国の人々が、核兵器も大量破壊兵器もない世界で、平和のうちに生きることを望んでいます。外国人による占領は終わりにしよう。諸民族の主権と自治を求めよう! ありがとうございました。

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アレン・ネルソン


アメリカ元海兵隊員

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 おはようございます。

 このシンポジウムに招待してくださった日本平和委員会にお礼を申し上げます。私が初めて沖縄を訪れたのは1966年のことです。当時私は19歳の海兵隊員でした。キャンプ・ハンセンに配属された私は、そこで戦争のための技術、人殺しの技術を習得しました。基地で起きていることについて、正直にならなければなりません。軍事基地は、戦争と殺人の技術を兵士に教えるために存在します。ベトナムで、私は自由の戦士ではなくテロリストでした。戦争はテロ行為なのです。多くの戦争が起きましたが、そのひとつとして平和をもたらしたものはありません。私はキャンプ・ハンセンにいたことは覚えていますが、沖縄の人びとのことは覚えていません。沖縄の街を歩いたことは覚えていますが、人びとの顔を見ることはありませんでした。三線も、食べ物も、沖縄人の声も覚えていません。ここに駐留する多くの兵士も同じ見方をしているはずです。

 9月11日の直後、私は沖縄を訪れました。沖縄に来る前、東京の3つの高校で講演を行いましたが、その3校とも沖縄への修学旅行を取り止めにしていました。生徒も先生も沖縄への旅行を望んでいたのですが、日本本土の両親たちは、9月11日があった後で子どもたちを米軍基地のある沖縄に行かせることを恐れました。基地が存在するためにテロの可能性があると考えたのです。しかし、私は、これほど本土の生徒にとって沖縄を訪れるのにいい機会はないと考えました。
 私たちはいつも、米軍基地は日本の国民を守るために存在すると言われています。しかしもし生徒たちが9月11日の後に沖縄を訪れたいたなら、基地が本当は誰を守るために存在しているのかを見ることになったでしょう。私は基地を訪れて、大変厳重な警備がしかれていることに気づきました。ゲートはひとつしか開いていなかったのでしょう。トラックが列をなし、沖縄県民である運転手たちは車を折り、銃を持った海兵隊員のチェックを受けていました。本土全県からきた警察が、基地を巡回していました。しかし沖縄の地域を訪れると、そこには何の防衛もありませんでした。地元の人びとを守るために地域を巡回する海兵隊員など、ひとりもいませんでした。病院、学校、政府施設にもいませんでした。日本人を守るための基地ではないということは明らかでした。では、何のための基地なのでしょう。安全保障上の理由だと宣伝されています。一方私たちは、ここに基地があることで、アメリカは南太平洋のどの地域をも攻撃の対象にできることを知っています。基地はみなさんを守るためにここにあるのではありません。アメリカ人を日本のみなさんから守るために存在するのです。

 広島と長崎に原爆を投下したことにより、アメリカは日本の国民に対して大きな被害妄想を抱いています。核兵器の投下は恐ろしいテロ行為だからです。日本の人々は原爆投下の警告を受けませんでした。重要なことは第二時世界大戦以前には、誰も核兵器という名を聞いたことがなかったということです。誰ひとりそのような大量破壊兵器のことを想像すらしなかったのです。この原爆の被害者となったのは、女性や子どもたち、お年寄りでした。私の国アメリカは、病院や学校の上に核兵器を落としたのです。これは、恐ろしいテロ行為です。ですからいろいろな意味でアメリカは最大のテロ国であり、世界にテロリストになる方法を教えてきたのです。
 9月11日、私はアメリカの自宅にいました。日本から戻ってきたばかりでした。ニューヨークに住んでいる者として、世界貿易センタービルが崩壊する光景は非現実的なものでした。ビルの崩壊を目の当たりにしながら、私は、その下で何百、何千もの罪のない人びとが殺されているのだと考えていました。私はベトナム戦争の帰還兵として、アメリカ人がついにベトナム戦争を自ら実感するときがきたのだと感じました。

 私は日本本土と沖縄でたくさんの地域を訪れ、講演を行っています。たくさんの学校、地域を訪れています。ひとつ明らかなことは、アメリカのメディアはこういった行事を報道しないということです。この部屋を見渡しても、CNNは来ていません。しかしメディアはこのような重要な会議が開かれていることを知っています。しかしCNNやその他アメリカのメディアは、日本と沖縄の人びとが基地の存在にうんざりしている事実をアメリカ人に伝えるつもりはまったくありません。アメリカ人がみなさんの抗議行動を知る機会はありません。基地に囲まれて家族を育てなければならない日本と沖縄の人びとの怒りを聞くことは、アメリカではないのです。
 アメリカがこうした抗議行動を見る唯一の機会は、ビル・クリントンが参加したG8サミットの期間に訪れました。世界の指導者が集うサミットが沖縄で行われていましたので、アメリカは報道しないわけにはいきませんでした。そして私がアメリカに戻ると、妻が「嘉手納基地での抗議を見た」と教えてくれました。

 メディアは多くの事実を隠しています。そして私たちは、何が真実であるのかを探し続けます。昨日のアリ先生の大変力強いお話に感謝します。彼は私たちに、彼の国イラクで起きている真実について報告してくれました。ニュースでは絶対に見ることのない写真を見せてくれました。そして生き延びようと、薬や食料が不足する中で人びとを救おうと努力している、彼自身の話をしてくれました。メディアからは絶対に聞くことはできない話です。
 日本本土、沖縄、韓国にある軍事基地を見れば明らかなことがひとつあります。日本という国は占領されているということです。北朝鮮にしているのと同じように、私たちはみなさんに対しても、銃とミサイルをむけています。日本は占領された国であり、この占領は第二時世界大戦終結後から続いています。
 この占領と、アメリカが大量の銃と武器を日本に保管しているという事実から、私たちは一体誰が脅されているのかという疑問を持たなければなりません。この国に政府が存在すると信じる人がいるならば驚くべきことです。みなさんに政府はありません。日本の首相は、実際は日本の知事です。ですから、もしみなさんがもし何かに怒り、抗議を思い立ったならば、国会に行く必要はありません。むしろみなさんにかかわる決定がなされているワシントンDCまで行かなければなりません。

 ジョージ・ブッシュが国民に対して行った演説により、世界は大変危険な状態となっています。彼は、イラン、イラク、北朝鮮を悪の枢軸であると言いました。。しかし私はそうは思いません。日本の首相、ジョージ・ブッシュ、そしてトニー・ブレアこそ、真の悪の枢軸であると考えます。この戦争は起こる必要のない、避けることが可能なものでした。しかしジョージ・ブッシュはどうしてもフセインを排除したかったのです。
 昨日のアリ先生の説明のように、イラクに侵攻したアメリカ兵がイラクの銀行を守ることはありませんでした。病院も博物館も人びとを守ることもありません。彼らが守った唯一のものは油田でした。これが戦争の原因につながっています。
 ジョージ・ブッシュの家族は億万長者の石油一家です。イラクの石油は常にジョージ・ブッシュの頭にありました。彼は、この戦争は自由のためであり、イラク人を独裁者から解放するためだと言いました。しかし真の目的は自由ではありませんでした。イラク人と彼らの自由など、ジョージ・ブッシュの関心の対象ではありません。彼の目的は油田の確保です。イラクはサウジアラビアにつぐ第二の石油産出国なのです。

 昨日の、深刻ながんの症状に苦しむ子どもや女性たちの写真から、毎日イラクで起きていることを垣間見ることができました。国民にたいして真実を伝えるという点で、アメリカのメディアは重大な不正を行いました。
 米軍の装甲車がふたりの少女を轢き殺した事件の後、韓国では大規模な抗議行動が行われました。アメリカではその中のいくつかの行動、特に暴力的な行動が報道されました。ほとんどのアメリカ人は、なぜ韓国人がこういった抗議行動をしているのか理解していませんでした。韓国の人々は米軍により国民が殺され、なんの正義もなされていないことに腹を立てているのです。平和なしでは正義はもたらされません。それは双方向にはたらきあっているのです。
 私はここに存在する米軍基地を、防衛の基地とは呼びません。これは占領です。基地に反対する私たちは現実的になって、この占領という考えを直視しなければなりません。この国は占領されています。米軍は武器や大量破壊兵器を日本に保管しています。戦争開始のためジョージ・ブッシュがついたもう一つの大きな嘘は、イラクが大量破壊兵器を保有しているということでした。しかし御承知の通り、国連の査察団は大量破壊兵器を発見することができませんでした。アメリカはもう何ヶ月もイラクに駐留していますが、誰もそのような兵器を発見していません。はじめから存在しなかったからです。
 もし日本とアメリカの政府に、日本本土と沖縄の軍事基地に大量破壊兵器は保管されているかと聞いても、彼らはないと答えるでしょう。原子爆弾や核兵器が保管されているかと聞いても、ないと答えるでしょう。しかし私は、日本人、沖縄人、アメリカ人である私たちが国連に行き、本土と沖縄にある基地に査察団を連れてくるべきだと考えます。そこにどれだけの数の核兵器と大量破壊兵器が保有されているかに、みなさんは驚くでしょう。
 これが、基地の存在が危険である大きな理由のひとつです。しかし私が本当に心配しているのは、沖縄の子どもたちのことです。私は、沖縄の学校を訪れ地域に滞在して、子どもたちをよく見てきました。彼らは、道路を走行する戦車に見向きもしません。毎日目にしているからです。戦闘機が学校や家の上を飛んでも、目を向けることはありません。彼らにとって戦車を見ることは木を見ることに等しいのです。毎日目にして生活しているからです。親として、祖父・祖母として、また叔父や兄弟として、私たちはみな、このような環境は子どもが育つのにふさわしいものではないということに同意するでしょう。だからこそ、私たちは立ち上がってこの国の占領に抗議し続けるのだということを、子どもたちに示すことが重要なのです。

 第二時世界大戦の時、沖縄の人びとは大変な苦しみを味わいました。日本帝国陸軍とアメリカ軍という2つの軍隊に挟まれ、何百、何千という沖縄の人々が殺されました。そして現在、再び沖縄は、テロとアメリカ軍の狭間で苦しんでいます。
 私は1996年に沖縄を再び訪れるようになりました。当時の私は基地問題にかかわっておらず、アメリカの最も貧しい街のひとつであるニュージャージー州のカムデン市で働いていました。ある日仕事から戻ってテレビをつけると、3人の米兵が12歳の少女に暴行したというニュースを耳にしました。私には同じ年の娘がいましたが、彼女がそのような残虐な攻撃を経験しながら生きながらえるとは、とても思えませんでした。この時私は、沖縄に戻ることを決めたのです。私はこれ以上子どもや女性が暴力の被害を受けることがないように、沖縄の人びとの力となり、ともに基地反対の声をあげようと考えました。私はこの少女に対して、強い思いを抱いています。彼女を忘れることはありません。この事件の直後、沖縄で大変大きな抗議行動が行われましたが、やがて人びとは仕事に戻り、もとの生活に戻っていきました。しかし彼女の人生は奪われたままです。私はこの少女の、自分に起きた恐ろしい暴行事件について報告した強さと勇気に思いを馳せます。そして彼女から力を得ています。私は彼女の痛みを忘れません。いつの日か、彼女が普通の生活を送れるようになることを祈っています。私は事件のことを訴えた少女の雪に感謝します。沖縄では暴行をうけながら声を上げられずにいる女性たちがたくさんいることを、知っているからです。
 第二時世界大戦から長い年月を経た今こそ、アメリカ人は銃と戦車をまとめて、彼らの属するアメリカへ帰る時です。日本と沖縄の占領を終わらせる時です。私たちが戦争の真実を見つめる時です。戦争はけっして平和をもたらしません。ジョージ・ブッシュはさらに多くのテロリストを生みだしています。アメリカの私の多くの友人、平和活動家は、選挙でジョージ・ブッシュを大統領の座から引きずりおろすだけではなく、この必要のない戦争を引き起こした張本人である彼を戦犯法廷に立たせるべきだという結論に達しました。

 私たちには未来を変える力があるということを理解することは、大変重要です。私たちはこの地球の住人であり、私たちには力があるのです。ベトナムのジャングルで私が気づいたことのひとつは、戦争でいちばん苦しむのは、常に女性、子ども、そしてお年寄りであるということでした。
 本土や沖縄を旅していると、基地周辺に住む家族のことが気にかかります。本土には、米軍が離着陸訓練をしている地域があります。すさまじい騒音です。周辺の家が揺れる程の騒音ですが、それでも訓練は続けられます。沖縄を旅すると、基地で働いている地元の人びとが多勢いることに気づきます。私たちは、沖縄の人びとを傷つけたり苦しめるために基地を閉鎖したいのではありません。
 ですから、アメリカが自身の借りを返済することなしにここを離れることがあってはなりません。米軍基地があるために、沖縄には世界から旅行者が訪れません。フランスドイツ、イギリス人、アメリカ人でさえ家族で沖縄を訪れるものはありません。基地が存在するからです。日本に旅行するというアメリカ人の友人に、沖縄に行くのかと訪ねると、「沖縄?米軍基地じゃないか」と答えました。これがアメリカ人の沖縄に対する認識です。ホテルやプールの上を戦闘機が飛ぶ国に行ってお金を使おうなどとは、誰も考えません。

 米軍基地が閉鎖された瞬間に、沖縄の人びとは自由になり、沖縄に投資したいという人が現れるでしょう。素晴らしい未来が待っているのですが、そのためには今、行動しなければなりません。基地を永久に閉鎖するために行動しなければなりません。
 平和のための行動は、私にとって大変重要です。海兵隊員だったとき、私は大変暴力的でした。そしてベトナムでたくさんの人間を殺しました。そのことをとても後悔しています。みなさんが沖縄に駐留する若い海兵隊員を見るときに、彼らがどういう人なのか、考えてみてほしいのです。この若い男性・女性はどういう人たちで、なぜここに駐留しているのでしょう。彼らは貧しい人々です。アメリカには徴兵制はありませんが、「貧困の徴兵制」があります。軍隊に入るのは貧しい子どもたちだけという意味です。ハーバードやエール大学を中退して軍隊に入る人は誰もいません。ここにいる若い男女は沖縄に送ってもらうよう頼んだわけではありません。彼らは軍人、海兵隊員であり、命令に従うよう訓練されたのです。

 私は本土と沖縄にある米軍基地で、地元の人びとと一緒に抗議行動をしています。なぜ基地で行動をするかというと、兵士たちのことを心配しているからです。平和の人間である私たちは、他の人間を嫌いません。軍人を嫌いません。なぜ抗議するのかと言えば、彼ら兵士が家に帰り、平和に暮らせるよう願っているからです。戦争や暴力を支持する人びとは、絶対に基地を訪れません。おにぎりやお茶を兵士に振る舞ったり、兵士たちの仕事に感謝することなどありません。彼らの命など気にしていないのです。しかし平和を願う私たちは、兵士を心配しています。私は彼らに、常に同じメッセージを送っています。家族の元に帰り、平和のうちに生きてほしいというメッセージです。私は那覇で、たくさんの海兵隊員と話しました。道を歩いている彼らに話しかけるのです。彼らの多くは、私が基地を訪れメッセージを送ったことを覚えています。そして私に礼を言います。私たちが基地のゲートの外で「海兵隊は帰れ」と叫んでいるのを聞いてうれしかったと言われたことがあります。彼ら兵士は、本当は帰りたいのです。
 ですから、私たちの運動は愛と思いやりの上に成り立っています。イラクにいる兵士たちは、帰国後苦痛を経験するでしょう。失業と病気に苦しむのです。アリ先生が指摘されたように、戦争で使用された核兵器が相当な破壊と病気を招いています。私はベトナムで枯れ葉剤を浴びました。しかし幸運なことに、その影響を受けずに済みました。私は娘が誕生するまで、枯れ葉剤のことなど考えもしませんでした。手術室で、先生から生まれたばかりの娘をわたされた時、私はまず、毛布を取り、彼女を逆さにしました。そして足の指と、手の指、耳を数え、顔を頭をよく観察した後で、やっと安心することができました。枯れ葉剤を浴びた多くのベトナム帰還兵の子どもが、奇形をもって生まれていたからです。

 このシンポジウムの場でひとつ、確認したいと思います。世界の平和はアメリカから始まるものではないということです。ですからアメリカに世界平和を期待しないでください。世界の平和は、国連やヨーロッパから始まるものでもありません。この部屋から、私たちひとりひとりから始まるのです。
 あらためて、私を招待してくださった平和委員会にお礼申し上げます。この世界を、平和な中で子どもたちを育てられる世界へと変えていくために、ここにお集まりのみなさんひとりひとりと力をあわせていきたいと思います。ありがとうございました。

2003年日本平和大会国際シンポジウム 特別報告

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中村 重一


沖縄県平和委員会理事 

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 日本平和大会in沖縄に、平和を守る思いで全国、海外から参加されましたみなさん、心から歓迎申し上げます。私は沖縄の基地問題について報告いたします。

 沖縄には38の米軍施設(自衛隊施設は35)があり、約25,000人の軍人と24,000人の軍属・家族がいます(一番多いのが第三海兵遠征軍で約17,000人)。27(建物のみの8施設は除く)の自衛隊基地とあわせ、52自治体に65の基地・部隊が配置されています。
なかでも嘉手納町は面積の86%が米空軍の飛行場や弾薬庫に占められ、宜野湾市は面積の33.2%、市の中心地を海兵隊の飛行場にとられています。嘉手納飛行場と普天間飛行場の距離は車でわずか15分足らずですが、その間も基地が埋め尽くしており、島全体が巨大な浮沈空母と化しています。
 このような異常な状況が60年も続くなか、米軍は沖縄を朝鮮、ベトナム、湾岸戦争やイラクへの侵略戦争への出撃基地として利用。沖縄はアメリカが行う戦争に否応なく関わり続けさせられてきました。
 嘉手納基地の第18航空団は、91年以降F15戦闘機がイラク南部を監視する任務につき、第909空中給油中隊などもイラク侵略を補完、参加。米本国や、アラスカから飛んでくる爆撃機や、輸送機などが嘉手納基地のKC135機から空中給油を受け、ノンストップでインド洋に向かっています。
 02年11月、視察で沖縄を訪れたローチ米空軍長官は、アフガン空爆の際、嘉手納基地からの空中給油を「移動の橋」と強調。中東戦略上も沖縄の基地を重視しています。
 嘉手納基地を拠点にした偵察活動では、通常、RC135電子偵察機1機と早期空中警戒機E-3の2機体制ですが、3月にはアメリカ本国から弾道ミサイル観測機「コブラボール」なども飛来、北朝鮮への挑発行為でミグ29から「ロックオン」されるという威嚇を受けながらも、5機の偵察機で中国、北朝鮮、イランなどへの偵察活動を繰り広げています。

 02年に領海侵犯で中国機と衝突した事件を起こした米海軍のEP-3電子偵察機も常駐化。さらに、03年9月には韓国から米偵察機「U2」4機が一時移駐。
 アメリカ本国をはじめ岩国や三沢基地、韓国からもF16戦闘機やMH47特殊作戦ヘリなどの飛来が頻繁になり、実戦的訓練が繰り返えされています。そうしたなかF15戦闘機の墜落、風防ガラスの落下、空母搭載機のC2輸送機による民間地上空での燃料漏れなどの事故が多発し、いつ県民が大事故に巻き込まれるかもしれない危険な状況が高まっています。 
 在沖米軍は沖縄を足場に「コブラゴールド」「キャラット」など、タイ、フィリピンといったアジア太平洋地域の国々との間で、年間70回にも及ぶ演習を実施。演習は対「テロ戦争」に対応するためにさらに大規模、 実践的となっています。
 米議会調査局が行った米軍機の安全性に関する調査報告書は、「米同時多発テロ後、テロとの戦いが訓練激化を招き、事故を増加させている可能性がある」と指摘。実際、嘉手納基地の監視行動で、F15戦闘機がトラブルなどで滑走路脇に駐機しているのを目撃することが多くなっています。
 嘉手納基地に隣接するアジア最大規模の弾薬庫地区は、太平洋地域の米軍に事前配備されている弾薬で、5万トン以上も貯蔵できる約500の施設があります。02年2月には、この弾薬庫からクラスター爆弾や、数百?を焼き尽くすディジーカッターらしきものが運び出されるのを確認。これらの弾薬が52やB1爆撃機に積まれ、湾岸やイラクで使用された可能性も高く、米国防戦略から見ても戦術核兵器が貯蔵されている可能性も否定できません。

 劣化ウラン弾が湾岸・イラクで大量に使用され、戦争に参加した米兵にもガンが多発するなど大問題になっていますが、嘉手納弾薬庫にも貯蔵されています。
 95年、ハリアー戦闘攻撃機が、鳥島での射撃訓練で「誤って」劣化ウラン弾、1520発を撃ち込みながら、現在まで247発しか回収しておらず、残りは不明のまま。一万人の島民は、健康診断や劣化ウラン弾の回収作業を続けてもらうよう要請していますが、日本政府は「劣化ウランの影響はない」としていまだに実現していません。
 また、2000年には廃棄処分業者のところで、米軍から持ち込んだ使用済みの劣化ウラン弾数百発が発見されましたが、いつ、どこで使用されたのか明らかにされておらず、弾薬庫地区から劣化ウラン弾が撤去されたという報告もありません。

 ホワイトビーチは、原潜が寄港する第7艦隊の重要な軍港で、00年「10回」、01年「12回」、02年「17回」と原潜寄港が増え続けています。また、漁船も航行する周辺海域でCH53大型ヘリによる超低空で戦闘地域に突入する訓練や、輸送機からゴムボートとともにパラシュート降下するなどの、危険な訓練を平気で繰り返しています。
 昨年8月には、ホワイトビーチ沖に大量の武器・弾薬を積載している事前集積艦が停泊している横を通過しようとした台湾の豪華客船「スーパースター・ジェミナイ(JEMINI)」に対し、AH-1W攻撃ヘリ2機が異常接近したまま、数分間に渡る威嚇とも取れる監視行為を続けていました。
 伊江島ではCH53大型ヘリが3機編隊で海面すれすれに進入する訓練や、MC130特殊作戦機から20名のグリーンベレーによるパラシュート降下訓練、ハリアー戦闘攻撃機は爆音を響かせながら、頻繁にタッチアンド・ゴーを繰り返すなど、1日でわずか22k?の小さな島でこれだけの訓練を実施しています。
 エセックスを中心とする強襲揚陸部隊に、巡航ミサイル「トマホーク」搭載の原潜やイージス艦などを加えた「遠征攻撃群(ESG)」の新設で、第31海兵遠征部隊(MEU)が、アメリカの先制攻撃戦略の実行部隊として重視される中、沖縄の基地はいっそうの強化が図られようとしています。

 海兵隊は名護市に最新鋭の飛行場、海軍は南北3km、東西1kmの面積を持つ広大な牧港補給兵站基地がある浦添市への軍港など、新しく巨大な米軍基地が2つ建設されようとしています。新基地を許せば、これまで入港できなかった空母「キティホーク」をはじめとする大型艦船の寄港、米原潜や第7艦隊艦船の母港化が図れていくことは間違いありません。
 新たな基地建設は、サンゴなど自然環境を破壊するともに、基地を恒久化し、いっそう県民に負担と犠牲を押し付けるものです。
 その他にも基地機能強化策には暇がありません。キャンプ・ハンセンには米軍楚辺通信所「象のオリ」の移設、特殊部隊や海兵隊員のための対テロ戦闘訓練用として、実弾演習を伴う各種施設の建設。在沖米軍司令部前の国道下には、総工費20数億円をかけトンネルで基地と基地をつなぐ道路、周辺には90億円かけて高層マンションや住宅建設など、いずれも日本政府が全額支出。
 爆音被害も深刻です。02年度は、普天間飛行場周辺ではヘリなどによる一日平均の騒音発生回数が3倍以上に増え、ヘリ不時着や輸送機からの物資の落下、民間の畑に重機関銃を打ち込むなど、事故も多発。02年度は確認されたものだけで航空機事故60件を初め、105件に達し、米軍関係者の検挙件数も02年には81件と大幅に増加、復帰後、5,157件の犯罪検挙状況となっています。
 PCBや基地がらみの赤土による環境汚染問題も深刻です。北谷町の基地返還跡地で、米軍の廃油の入った大量のドラム缶が見つかりましたが、地位協定で「原状回復は米国に責任がない」として、日本側の責任で処理しています。

 このような異常な日米関係は一刻も早く断ち切り、基地は無条件撤去すべきです。95年の県民のたたかいが、国民の世論を動かしたとき安保反対が多数派になり、日米両政府を突き動かしました。アメリカによるイラクへの侵略戦争に対して、県民の9割が反対を表明、世界でもかつてないほどの大規模な反戦運動が盛り上がりました。平和を願う「沖縄の心」はこの流れと合流し、世界の本流となって米軍基地をなくす大きな力になるでしょう。 アメリカでも平和を願う人々の政府ができたとき、アメリカは世界から信頼される国になり、世界平和に真に大きな貢献をすることができるでしょう。

 平和大会に参加されたみなさんとともにがんばる事を述べまして発言とします。


http://www.ryukyu.ne.jp/~sigeiti/

在日米軍と平和問題
http://www.egroups.co.jp/group/ipnw/

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佐藤 光雄


日本平和委員会

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在日米軍基地をめぐる日本の基地問題

在日米軍がイラク攻撃に参加

 私は、在日米軍基地を取り巻く現状について述べます。
 昨年3月20日、イラクに対する最初のミサイル攻撃に加わったのは、神奈川県横須賀基地を拠点とする巡洋艦でした。さらに沖縄の海兵隊が約3000人、イラクに派遣されることが発表されました。
 在沖米軍は、イラク攻撃にかかわるとともに、フィリピンなどで対テロリスト演習を繰り返すなど、アジア・太平洋地域の安定を確保すると称して軍事力を誇示しています。アメリカが日本に基地をおく根拠は、日米安保条約という軍事同盟にあります。しかし、実態はその軍事同盟をも逸脱して地球規模でアメリカが行う侵略戦争の出撃基地として使われています。


在日米軍基地の現状

 アメリカは日本の国土を覆って各地に海軍、空軍、海兵隊、陸軍の基地をおき、その兵力は2001年9月末現在、約5万1千7百人とされています。在日米軍基地は、130ヶ所以上に上ります。
 これには、日米安保条約地位協定(Status of Forces Agreement based on the US-Japan Security Treaty)第2条4項Bにより、自衛隊基地を日米安保条約として提供しているものを含みます。しかも、たとえば日本の航空自衛隊入間(いるま)基地が米軍横田基地の名称で提供されているように、公表された基地数は実態より少なくなっています。総面積は約1010平方キロメートル、首都東京の面積の46%に相当します。この面積はサンフランシスコ条約発効から3年しかたっていない1955年当時の米軍専用基地の面積に相当します。
 なお地位協定は第5条で米軍と軍属、家族に数々の特権を与えています。
 この屈辱的な地位協定の「抜本的見直し」を全国の知事会はこの数年一貫して要求しており、政府と自治体間の矛盾は激化しています。
 韓国のSOFA(ソファ)見直し要求でのたたかいと一致するものです。
 在日米軍基地の特徴の第一は、東京を中心とする首都圏に米軍が「関東平野基地複合体」(KANTO plane base conglomerate)と呼ぶ一台基地郡が形成されていることです。首都東京には米空軍横田基地が714平方キロメートルの広大な面積を占め、在日米軍司令部と第五空軍司令部(Headquarter of the US 5th Air Force)が置かれています。東京の隣、神奈川県の横須賀海軍基地には第七艦隊司令部(Headquarter of the US NAVY 7th Fleet)があり、さらに厚木基地をはじめとする多数の基地郡が置かれています。
 第二には沖縄を中心に海兵隊の第三海兵遠征軍(the 3rd Marine Expeditionary Force)が駐留しています。この詳細は沖縄からの特別報告に譲ります。
 第三は日本の領域外で干渉侵略戦争を行う海軍と空軍がいるということです。ハワイより西の太平洋を担当する第七艦隊の東京湾の入り口にある横須賀基地に居て、空母戦闘郡の母港としています。九州の佐世保海軍基地には強襲揚陸艦(assault ship)が常駐し、沖縄に居る海兵隊を乗せて出撃する任務を担っています。そして空軍は東北地方の青森県にある三沢基地の南西日本の沖縄県にある嘉手納基地には戦闘機動部隊がいます。三沢のF16と嘉手納のF15じゃイラク戦争前から宇宙航空遠征軍(Space Air Expeditionary Force)のローテーションに乗り、イラク領空に米軍が設定した飛行禁止区域の警戒監視作戦を行っています。
 第四は神奈川県相模原や沖縄県浦添、長崎県佐世保など、多くの補給基地や倉庫、弾薬貯蔵庫が置かれて、前進配備がされた兵站基地(logistics bases)をなっていることです。
 第五は、青森県三沢基地に世界的な電波傍受システム、エシュロン(ECHERON)の地上局が配置されるなど電波諜報システムの一部も担っていることです。
 第六は、広大な演習・訓練場を自衛隊の演習場をも使用し、確保していることです。
 このように、全体として在日米軍とその基地はアメリカの世界戦略の不可欠な一部を担っています。同時に日米自衛隊は日米共同訓練を常態化させ、米軍の作戦行動に組み込まれた形で一体化を、いっそう進行させています。
 そのてことなっているのが日米ガイドラインです。自衛隊がいま、日本国憲法を踏みにじって米軍テロ対策支援や、イラク派兵に乗り出しているのです。


住民の基地被害と国民負担


 その結果、これらの基地は基地周辺の住民生活に耐えがたい被害を与えています。多くの基地が市街地の中にあり、航空機の爆音対策、墜落事故の被害などが頻発しています。山間部では超低空飛行訓練が行われ、広大な空域や海面、海中も演習または訓練のために米軍に提供されています。その結果、民間の空や海での安全は脅かされ、漁業被害も頻発しています。砲撃訓練による事前破壊もあります。また、米兵による犯罪も重大です。
 女性に対する性犯罪や凶悪犯罪などです。しかし日米地位協定によって容疑者である米兵を日本の警察は起訴前には逮捕することができません。日米安保条約に基づく地位協定で日本の警察権が制限されているのです。
 不平等に対する日本国民の不満が鬱積しています。韓国でのSOFA改定闘争にも学び、日本での取り組みを強めて生きたいと思います。
 さらに日本政府は日米安保条約に規定されていない財政負担を「思いやり予算」と称して例年支出し、2003年度には米軍の駐留経費の75%にあたる約24.7億ドル(2725億円)も支出しました。


在日米軍基地と核基地


 核兵器の持ち込み問題は見過ごすことはできません。1972年に沖縄の施政権が日本に返還されるまで、沖縄には核兵器が配備されていることが公然の秘密でした。返還時、日米政府は核兵器なしの返還であると説明しましたが、実際には米政府が核兵器の存在を肯定も否定もしない、いわゆるNCND政策を採っているので真相は不明です。有事には核兵器の持込を認めることを日米政府間が密約、つまり秘密の取り決めに合意していると米政府公開文書に記述されています。しかし日本政府はたびたびの追及にも頬かむりを決め込んで認めようとしません。そのような状況の下で、原子力潜水艦の寄航も頻繁です。2003年は攻撃型原子力潜水艦(attack nuclear power submarine)が11隻、49回も日本に寄港しました。
 日本政府は安保条約の事前協議(prior consultation)の申し入れがないから、核兵器の持込はないといい続けています。政府自身が核兵器を積んでいないことを確かめることなどしようとしません。
 来年は広島・長崎被爆60周年です。神戸市が入港条件に核兵器を積んでいないことの証明を求める市議会決議の結果、米軍幹線が一隻も入港しなくなった非核神戸方式を全国に広げようとも運動が行われています。私たちは米軍基地の核基地化を断じて許しません。
 21世紀の早い時期に、日米安保条約を廃棄し、非核・非同盟・中立・真の日本の独立を勝ち取るためにより奮闘する決意です。

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平山 武久


日本平和委員会理事

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在日米軍基地をめぐる日本の基地問題
ムンバイから沖縄へ 基地反対運動の連帯


在日米軍がイラク攻撃に参加 

 在日米軍基地を取り巻く現状について発言します。
 昨年3月20日、イラクに対する最初のミサイル攻撃に加わったのは神奈川県の横須賀基地を拠点とする巡洋艦でしたし、この2月には沖縄の海兵隊が約3000人イラクに派遣されると複数の新聞が最近報道しました。イラク攻撃に関わるとともに、フィリピンなどで対テロリスト演習を繰り返すなど、アジア・太平洋地域の安定を確保すると称して軍事力を誇示しています。アメリカが日本に基地を置く根拠は日米安保条約という軍事同盟にあります。しかし、実態はその軍事同盟をも逸脱して地球規模でアメリカが行う侵略戦争の出撃基地として使われています。


在日米軍基地の現状

 アメリカは日本の国土を覆って各地に海軍、空軍、海兵隊、陸軍の基地を置き、その兵力は2001年9月末現在、約51700人とされています。在日米軍基地は140ヶ所以上に上ります。これには日米安保条約地位協定第2条4項Bにより自衛隊基地を日米共同使用基地として提供しているものを含みます。しかも、例えば航空自衛隊入間基地が米軍横田基地の名称で提供されているように、公表された基地数は実態より少なくなっています。総面積は約1010平方キロメートル、首都東京都の面積の46%に相当します。この面積はサンフランシスコ条約発効から3年しか経っていない1955年当時の米軍専用基地の面積に相当します。
 在日米軍基地の特徴の第1は東京を中心とする首都圏に米軍が「関東平野基地複合体」と呼ぶ一大基地群が形成されていることです。首都東京には米空軍横田基地が714万平方メートルの広大な面積を占め、在日米軍司令部と第5空軍司令部が置かれています。東京の隣の神奈川県では横須賀海軍基地には第7艦隊司令部があり、さらに厚木基地をはじめとする多数の基地群が置かれています。
 第2は沖縄を中心に海兵隊の第3海兵遠征軍が駐留していることです。この詳細は沖縄からの特別報告に譲ります。
 第3の特徴は日本の領域外で干渉侵略戦争を行う海軍と空軍がいるということです。ハワイより西の太平洋を担当する第7艦隊が東京湾の入り口にある横須賀基地に居て、空母戦闘群の母港としています。九州の佐世保海軍基地には強襲揚陸艦が常駐し、沖縄にいる海兵隊を乗せて出撃する任務を担っています。そして空軍は東北地方の青森県にある三沢基地と南西日本の沖縄県にある嘉手納基地には戦闘機部隊がいます。三沢のF16と嘉手納のF15はイラク開戦前から宇宙航空遠征軍のローテーションに入り、イラク領空に米軍が設定した飛行禁止空域の警戒監視作戦を行っていました。
 第4は神奈川県相模原や沖縄県浦添、長崎県佐世保など、多くの補給基地や倉庫、弾薬貯蔵庫が置かれて、前進配備された兵站基地となっていることです。
 第5は青森県三沢基地に世界的な電波傍受システム・エシュロンの地上局が配置されるなど電波諜報システムの一部をも担っていることです。
 そして第6は広大な演習・訓練場を自衛隊の演習場をも使用して確保していることです。
 このように、全体として在日米軍とその基地はアメリカの世界戦略の不可欠な一部を担っています。同時に日本自衛隊は日米共同訓練を常態化させ、米軍の作戦行動に組み込まれた形で一体化をいっそう進行させています。そのてこになっているのが新ガイドラインです。その自衛隊がいま日本国憲法を踏みにじって米軍テロ対策支援やイラク派兵に乗り出しているのです。


住民の基地被害と国民負担


 その結果、これらの基地は基地周辺の住民生活に耐えがたい被害を与えています。多くの基地が市街地のなかにあります。したがって、航空機の爆音被害、墜落事故の被害などが頻発しています。山間部では超低空飛行訓練がおこなわれ、広大な空域や海面、海中も演習又は訓練のために米軍に提供されています。その結果、民間の空や海での安全は脅かされ、漁業被害も頻発します。砲撃訓練による自然破壊もあります。
 また、米兵による犯罪も重大です。女性に対する性犯罪や凶悪犯罪などです。しかし日米地位協定(SOFA)によって容疑者である米兵を日本の警察は起訴前には逮捕することができません。日米安保条約に基づく地位協定で日本の警察権が制限されているためです。不平等に対する日本国民の不満が鬱積しています。韓国でのSOFA改定闘争にも学び、日本での取り組みを強めることが必要です。
 さらに日本政府は日米安保条約に規定されていない財政負担を「思いやり予算」と称して例年支出し、2003年度には米軍の駐留経費の75%にあたる約24.7億ドル(2725億円)も支出しました。


在日米軍基地と核基地


 核兵器の持ち込み問題は見過ごすこともできません。1972年に沖縄の施政権が日本に返還されるまで、沖縄には核兵器が配備されていることが公然の秘密でした。返還時、日米政府は核兵器なしの返還であると説明しましたが、実際には米政府が核兵器の存在を肯定も否定もしない、いわゆるNCND政策を採っているので真相は不明です。有事には核兵器の持込みを認めることを日米政府間が密約、つまり秘密の取り決めに合意していると米政府公開文書には記述されています。しかし、日本政府はたびたびの追及にもほおかぶりを決め込んで認めようとしません。そのような状況のもとで、原子力潜水艦の寄港も頻繁です。2003年は攻撃型原子力潜水艦が11隻、49回も日本に寄港しました。日本政府は安保条約の事前協議の申し入れがないから、核兵器の持込はないと言い続けています。政府自身が核兵器を積んでいないことを確かめることなどしようとしません。来年はヒロシマ・ナガサキ被爆60周年です。神戸市が入港条件に核兵器を積んでいないとこの証明を求める条例を決めた結果、米軍艦船が1隻も入港しなくなった非核神戸港方式を全国に広げようとの運動が行われています。私たちは米軍基地の核基地化は断じて許すことはできません。


ムンバイから沖縄へ 外国軍事基地反対の運動


 さて、私はインドのムンバイで行われた世界社会フォーラムに日本平和委員会から参加し、先週末に帰国しました。その会場での対話のなかで、ある人から「日本はまだアメリカに占領されているのか」と質問されました。そのときは、日本の政治の歴史的な経過は説明しましたが、考えてみればいまの日本の実態の本質はその質問のとおりだと思います。
 在日米軍基地が首都東京を始めとして全国に展開してだけでなく、財政負担までしている。そしてアメリカが一国覇権主義による国際法違反の武力攻撃の出撃拠点として使うことを日本政府は容認している。これはアメリカによる主権侵害そのものであると思います。
1991年にフィリピン議会上院は米軍基地の提供を延長する協定を否決し、アメリカはフィリピンから基地を撤去しましたが、このときフィリピン議会上院では外国の軍事基地を国内に置くことが主権の侵害を意味すると論議されました。その結果、協定が否決され基地はなくなったと聞いています。私は当時、この話しを本で読んだときの感動を覚えています。外国の基地の撤去なしに真の主権回復はないということを国民共通の認識にすることが必要だと考えます。
 世界社会フォーラムではパネリストのガーソンさんも出席された「反米軍基地国際会議」が2回開かれ、それぞれで短時間ではありましたが発言しました。私は以上申し述べた在日米軍基地の実情を話し、日本の草の根に根ざした基地反対運動を紹介しました。日本平和大会を紹介して、ムンバイの平和と連帯のメッセージを日本平和大会に集まる日本の平和運動家と沖縄県民に届けたいと話しました。その結果がこれらの旗です。もっと人数が居れば、サインはもっと集まったことでしょう。この18枚の旗にサインしてくれた人々の熱い連帯の気持ちを改めて、皆さんにお伝えいたします。
 会議では国際的な反米軍基地ネットワークを作ろうという意見も出されました。国際的な共同が必要なことは言うまでもありません。しかしその基礎となるものは、ほかならぬ自国の国民のなかに基地に反対する勢力をしっかり根付せることだと私は思います。世界社会フォーラムは第2のスーパーパワーの一翼を担えるような運動を自国に地道に作り上げていくことの大切さを確信する場所となったことを申し添えて発言を終わります。

プレスリリース

国際シンポジウムについて

2004年1月30日 沖縄県・那覇市


1、日本平和大会・国際シンポジウム「戦争から平和の世界秩序をめざして」は、「アメリカのイラク侵略戦争・占領に反対し、国連憲章にもとづく平和のルール確立を」と「在外米軍基地被害根絶、縮小・撤去、軍事同盟の解消へ」を討論テーマに、2004年1月29、30日の両日、沖縄県那覇市内で開催された。同シンポジウムには、ジョゼフ・ガーソン(アメリカフレンズ奉仕委員会)、コ・ユギョン(駐韓米軍犯罪根絶運動本部)、イヴ・ジャン・ギャラス(フランス平和運動)、高草木博(原水爆禁止日本協議会)がパネリストとして、また、ジャワード・アルアリ(バスラ教育病院がんセンター、イラク)、アレン・ネルソン(元米海兵隊員)がゲストとして招かれ(敬称略)、全体で約170名が参加した。シンポジウムは、国際的なイラク反戦運動のたかまりと、その後の情勢を反映して、アメリカの世界戦略に反対し、平和で核兵器のない公正な世界をもとめる決意をわかちあうものとなった。

2、反戦平和の国際世論と国連憲章をふみにじって、アメリカがイラクにたいしておこなった攻撃は、無法な侵略戦争であり、占領はその継続にほかならないことが、討論を通じてあきらかになった。アルアリ氏は、劣化ウラン弾をはじめとする戦争の非人道的被害を病院施設の現状やガン発症例などを具体的にしめして告発した。また、今日の軍事占領が、イラク国民に耐えがたい苦痛を強いていることを報告し、占領に協力する軍隊の派遣ではなく、日本の人道的支援こそがもとめられていると訴えた。「復興と占領は両立しえない」ことは明白である。
 ガーソン氏が「ワシントンの戦争はイラクにとどまらない」と指摘したように、アメリカの先制攻撃戦略が、今日の世界が直面する最大の脅威となっていることがあきらかになった。このなかで、ブッシュ政権がすすめる核兵器先制使用政策、小型核兵器開発の危険性にも注意が喚起された。高草木氏が「ひとつの帝国が世界を支配できる時代ではない」とのべたように、圧倒的な軍事力で国益実現をはかろうとするアメリカは、道義的基盤と信頼を失い、国際政治でも、財政でも重大な矛盾におちいるなど、その世界戦略はけっして順風満帆ではないことが強調された。平和で公正な世界への対案は、国連憲章にもとづく国際的な秩序の擁護、確立である。
 ギャラス氏が、フランスとヨーロッパにおけるイラク反戦運動の経験と教訓について詳しく報告した。アメリカ主導のグローバル化の弊害に反対する運動など、多様な勢力が反戦平和の行動にたちあがったが、その土台には、共同拡大と統一のねばりづよい努力があった。韓国、日本をはじめ各国でも、アメリカの横暴をゆるさず、平和の国際秩序をめざす行動と共同を発展させる、新たな条件がひろがりつつあることが確認された。

3、海外に展開するアメリカ軍と軍事基地が、それをうけいれる国々の主権を侵害し、事故、犯罪、環境破壊など、耐えがたい苦痛と被害をあたえていることがあらためてあきらかにされた。
 コ氏は、飲酒ひき逃げ事件、毒物放流事件など最近の米兵による事件を紹介し、駐韓米軍の再編計画が住民生活をいっそう破壊するものであることをのべた。また、日本からは沖縄をはじめとする、国際的にも異常な、在日米軍基地の実態が報告された。ネルソン氏の発言は、「なぐりこみ部隊」である海兵隊の侵略性とその駐留をうけいれる世界で唯一の国=日本の異常性をうきぼりにした。不平等な地位協定のもとでの米軍の治外法権的な特権は、19世紀の植民地的ですらあると指摘された。
また、アメリカが、先制攻撃戦略のもとで、在外米軍基地の世界的ネットワークを、軍事技術の革新とむすんで再編・強化しようとしていることが指摘され、韓国の米軍基地再編や沖縄の新基地建設、南アジア、中央アジア、さらには、東ヨーロッパ、アフリカ、ラテンアメリカでの米軍の強化などが報告された。またフランスの在外軍事基地についても重要な情報が提供された。
 沖縄・名護市における米海兵隊の新基地建設は、沖縄県民に新たな苦難を強いるとともに、世界的に貴重な生物自然環境を破壊し、アジアの緊張を高めるものであり、断じて許されない。シンポジウム参加者は、このたたかいへの支持と連帯を表明した。

4、シンポジウムでは、アメリカの世界戦略に反対し、平和の国際秩序をもとめるたたかいでも、在外米軍基地に反対するたたかいでも、国際的共同の新しい可能性がひろがりつつあることが浮き彫りとなった。
 2004年1月にインドのムンバイでひらかれた世界社会フォーラム(WSF)では、イラク戦争開始1周年にあたる2003年3月20日に、侵略戦争と占領に反対し、平和と主権をもとめる国際的な共同行動が提起されたが、シンポジウム参加者は、このよびかけに呼応した幅広い行動を各国で組織し、国際的共同をいっそう促進することを確認した。
 こうした反戦平和の流れを広げつつ、国際署名運動「いま核兵器の廃絶を−ヒロシマ・ナガサキをくりかえさないために」をはじめ、来年の広島・長崎被爆60周年にむけた内外の共同をすすめていくことの重要性が指摘された。
 WSF期間中にひらかれた米軍基地に反対する国際会議が「米軍基地ノー、世界中のすべての基地を閉鎖しよう」の国際的ネットワークが提起されたことが報告され、積極的に、情報交換と交流の可能性を追求することが確認された。日韓をはじめ、アジアにおける反戦平和、米軍基地問題での協力と共同をいっそう促進するとの意思が表明された。
 日本の運動が、これらの国際的、地域的共同により積極的に参加していくことの重要性が強調された。そして、日本の参加者は、アメリカの侵略戦争への荷担する自衛隊のイラク派兵に反対するとともに、憲法9条改悪を許さず、米軍基地撤去、日米安保条約破棄の国民的世論を広げていく決意を表明した。