2001年大会INDEX

2001年日本平和大会in沖縄・名護国際シンポジウム パネリスト発言

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イ・ソクテ

弁護士、韓国

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メヒャンニ(梅香里)米軍爆撃訓練場 騷音被害訴訟の経過



1.メヒャンニ住民の概観

 キヨンギド(京畿道)・ファソングン・ウヂヨンミョン・メヒャンニ(梅香里)一帯は西海岸に接している小さく平和な村で、住民数は2,500人あまりである。住民は先祖代々メヒャンニ一帯で生きてきた人々が大部分で、一部は朝鮮戦争中に村へ流れ入って来た避難民が定着して住んでいる。住民の一部は農業を行ない、一部は漁業に従事しているが、船を持っている住民はごく少数で、大部分は近くの海岸に出て採取漁業に従事している。したがって、生活状況や所得水準は低いほうで、子女もメヒャンニ付近にある実業系の高等学校を終えた後、極めて一部のみ近隣都市の短大に進学するだけであり、教育水準も低いほうだ。したがって全般的に外地との接触が多くない方であり、住民は情報に暗く、一般的に当局の政策に順応する生活をおくってきた。


2.米空軍爆撃訓練場の設置と爆撃訓練の内容

 米国は朝鮮戦争中であった1951年、メヒャンニ一帯の海上と農地を韓国政府から供与され、米空軍爆撃訓練場を設置した。米空軍は以後、メヒャンニ住民の居住地に隣接した陸上射撃場の目標物及び近隣海上のノンソムを目標物とし、各種の戦闘機から発射する昼夜間の爆撃訓練を実施した。米空軍爆撃訓練場が設置されることにより、住民は一方的に数十万坪の農地を収容され、ノンソムを中心とした半径3,000フィートの沿岸に対しては漁業を制限される大きな不利益を受けるようになった。このような爆撃訓練で住民は平均90ないし120デシベルにおよぶ騷音被害を受けるようになった。米軍の陸上及び海上での爆撃訓練は1988年頃まで何の住民たちの抵抗もなくなされてきたが、爆撃訓練の過程でときどき誤爆事故があり、住民が誤って訓練投下された爆弾に当たって死んだり負傷することもあった。1994年には誤爆事故による爆音で相当数の住民の家屋が破壊されたり亀裂がいって、当局で調査し一部の住民に賠償したりもしたが、その金額は微々たるものであった。2000年5月にはノンソム付近の海岸に米空軍戦闘機3機が海上に爆弾6個を投下し、その爆音と振動で住民が大きな被害を受けたりもした。


3.住民の抵抗と訴訟提起

 メヒャンニ住民は純朴で無知な農漁村の人々として上記のような米空軍の爆撃訓練に何の抵抗もなく生きてきたが、軍事政権に対抗して起きた1987年6月の市民抗争以後、次第に米空軍の爆撃訓練の不当さに対し発言するようになった。1988年には住民がメヒャンニ米空軍爆撃訓練騷音被害対策委員会を組織し、米空軍爆撃訓練の中断と訓練場の閉鎖を要求してデモをした。この過程で、対策委員長のチョン・マンギュをはじめとしたムラの住民の一部が逮捕され有罪判決を受け収監された。これよって市民がメヒャンニの実像を初めて知るようになり、国会でもメヒャンニ問題が論議されたが、大きな進展はなかった。ただ、陸上訓練場でもなされていた米空軍の爆弾投下訓練がノンソムだけに極限されるように変更された。住民も、住民の一部が逮捕されるなどの、政府の強硬対応に萎縮し、以後10年あまりの間、より以上の住民の抵抗運動は展開されなかった。一方、住民の代表14名は、住民を代表して駐韓米軍協定(SOFA)にしたがい1988年3月、韓国政府を被告に損害賠償訴訟を提起した。この訴訟は2001年4月1審判決が宣告されたが、裁判所は住民に1億3,200万ウォンの賠償を命じる判決を宣告した。裁判所は米空軍の爆撃訓練によって原告が騷音被害を受けた事実は認めたが、その他に原告が誤爆の危険によって精神的被害を受けた事実と家畜や農業の支障などのような生活上の損害賠償は認めなかった。原告は控訴し、控訴審で請求額を2倍ほど拡張した。一方、残りの住民2,200名あまりは上記の1審判決宣告の後2001年8月、各自2001万ウォンの賠償を求める訴訟をソウル民事地方裁判所に提訴した。


4.米空軍陸上爆撃訓練の中止

 2000年5月、メヒャンニ付近の海上に米空軍の爆撃訓練機から誤って投下された爆弾が破裂し、住民の家屋の相当数が破損する事故が発生したが、この事故を契機としてメヒャンニ住民の被害状況が全国的に知られるようになった。新聞と放送でメヒャンニの被害状況を取材し、諸市民団体と学生がメヒャンニに集結し連日メヒャンニ米空軍爆撃訓練場の閉鎖及び爆撃訓練中断を要求した。住民対策委員長チョン・マンギュが再び逮捕され、有罪判決を受け、キム・ヨンハンら諸市民団体の代表の一部が同じく逮捕され有罪判決を受けた。チョン・マンギュとキム・ヨンハンら、メヒャンニ問題で有罪判決を受けた人は1審と2審で執行猶予の宣告を受けすべて釈放された。米軍は世論が悪化するや2001年8月、陸上爆撃訓練を中断し、現在はノンソムでだけ爆撃訓練を実施している。この措置でメヒャンニ住民の騷音被害は相当部分緩和された状態だが、住民は米空軍爆撃訓練場の完全な移転を要求している。