2001年大会INDEX

2001年日本平和大会in沖縄・名護国際シンポジウム パネリスト発言

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ミルナ・パガン


プエルトリコ・ビエケス島
ビエケス救済発展委員会

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米軍基地被害根絶の国際的共同を草の根から

 私たちは、世界に平和をつくるために団結しています。世界はいま非常に危険な状況にあります。アメリカ合衆国が、世界のテロリズムにたいして戦争状態にありますが、敵はいたるところに存在し、アメリカの指揮下にあるものすべてがアメリカを守るために使われるでしょう。それに制限はあるのでしょうか。ブッシュ政権は、核兵器使用の可能性を選択肢に入れるか、除外するかについては意図的にあいまいな態度をとっています。大量破壊兵器の使用の可能性は除外されていません。
 私たちは、核兵器の使用と軍事行動のエスカレートに反対しなくてはなりません。こうした敵を上回る兵器力と政治的支配に依存した政策への代替案を提起しなくてはなりません。私たちの対案は、今この瞬間に聞き入れられなければならない声、つまり、破壊と報復の政策を、非暴力と忍耐と崇高な目的を持ったもっと進んだ対応に変えろ、という要求です。

 私たちはここに世界の東から西から、お互いから平和と正義のたたかいの情報を得、支え励ましあうために集っています。ビエケスの人たちは実質的な貢献をすることができると思います。この60年におよぶ軍事占領から多くを学んできたからです。私たちは、世界で最大の軍事大国に抵抗し、自分たちの人権と生存、自由、幸福を追求する権利を認めさせるために要求することがどんなに困難であるかを知っています。
 私たちが直面しているのは、国家防衛が、9400人のアメリカ国民が暮らす地域の権利に優先するという問題です。この状況のもとで、住民の健康がもっとも大事にされ、経済発展を実現しうる安全な環境をどうやって要求したらいいのでしょう。なぜなら、ちっぽけな島で60年間つづけられてきた戦争ゲームが、私たちの土地を取り返しのつかないほど破壊し、海の生き物を殺し、空気を汚し、経済発展の障害となり、なによりも住民に有害重金属の被害がもたらされてきたからです。それでも私たちは、ビエケスに米軍がいることを糾弾し、米軍が島での爆撃を止め、汚染除去をし、撤退することを要求します。そうして初めて、残された環境を守り、子どもたちのためにあたらしいよりよい世界をつくってあげることができるでしょう。
 現在と未来に生きるものたちが、たたかいをつづけていくうえでの勇気と希望を与えてくれます。私たちにとって、すべての男女、こどもの権利は尊重され、守られるべきものなのです。

 ビエケス島の大きさは、長さ21マイル(33.6キロ)、幅4マイル(6.4キロ)。カリブ海に浮かぶプエルトリコ諸島のひとつで、戦略的に重要な島と見なされています。米海軍はビエケス島を、アメリカの大西洋防衛態勢における「王冠の宝石」と見ていますが、つまり、アメリカとNATO軍が、海と空から地上にたいする爆撃を練習する土地なのです。ビエケスは、北半球で最大の海軍基地ルーズベルト・ローズ基地の一部を成しています。
 1940年、第二次世界大戦という緊急事態が、アメリカによるこの小さな島の占領を可能にし、ほんのひと打ちで、数千人が土地を奪われ、島から追い出されました。島の3分2が、米軍により柵で囲い込まれ、追い立てられた島民は、西にあるガルシア兵器訓練場と東にある海軍弾薬貯蔵所にはさまれた場所での暮らしを余儀なくされました。島民が住む風上では、爆撃と非通常兵器実験がおこなわれ、風下にはあらゆる種類の兵器が貯蔵されることになりました。ビエケスはつい最近まで、人が住んでいない場所と見なされており、こうした認識が米軍によって巧みに広げられてきたのです。

 何十年ものあいだ、環境、社会福祉、経済、島民の健康の破壊は、かえりみられることがありませんでした。演習場とガルシア基地は、私たちの政府も権限がおよばない場所だったのです。米海軍は、環境にたいする影響について、気まぐれに声明を出したり出さなかったりしました。彼らの力は圧倒的で、支配者の立場にあるアメリカ海軍は傲慢にも、ホームページ上で軍の契約会社や外国に、ビエケスの陸と海にある米軍基地を貸し出すと宣伝しました。「亜熱帯の気候は、訓練に理想的であり、悪天候が少ないため、訓練が中止されることはめったにない」というのです。
 中心的な演習場は、ビエケス島の東側にあります。この演習場は、1万800エーカーの土地とその周りの空域と水域を取り囲む地域で、訓練場、水陸両用車用の海岸、小型武器射爆場、実弾射撃場、演習用地雷原など、多くの目的に利用されています。つまり、「いろいろの品物が一ヶ所で買えるショッピングは、対投資効果が大きい」というわけです。ビエケス島を同盟国に貸して、爆撃の練習や非通常兵器の実験をさせたうえ、誰の拘束も受けないし、陸も空も厳重な見張りがあるため外からの侵入を心配しなくていい広大な場所を自由に使わせることで、米軍は、年間8千万ドルもの利益をあげていました。彼らはその際、ビエケスに人が住んでいることには一切触れませんでした。アメリカ国防総省の施設を、これまで以上に容易に、早く、安く使わせるセールス活動において、島民は不条理にも無視されたのです。

 1999年4月19日、一発の爆弾がビエケスの歴史を変えました。軌道をそれた爆弾が海軍の監視地点で爆発し、民間人の警備員デイビッド・サネスを死亡させたのです。この知らせはまたたくまに広がりました。島民の中で長年積み重なった憤りと怒りは表面化し、海軍の存在と彼らによる島の濫用反対の決意を固めるものとなりました。ビエケス島民の安全が優先課題となり、ついに、本島(プエルトリコ)の住民と中央政府も私たちの隊列に加わり、海軍反対の叫びを支持するようになったのです。これまでほとんど注目されなかった抗議闘争が、多数派の大義となったのです。
 本島の兄弟たちは、土地と財産の取り上げという私たちの歴史、また、がん発生率が本島より27%高く、死亡率が50%高く、失業率が60%台から下がることがなく、実弾射爆、ナパーム弾実験、さらには劣化ウラン弾から生ずる有害物質に同朋がさらされるといった、軍事大国による占領と濫用の意味を認識するようになったのです。米軍はこうした疾病や死亡率などの事実を長年否定しつづけてきましたが、ついに認めざる得なくなりました。デイビッド・サネスの死から4ヵ月後の1999年10月には、ペドロ・ロッセージ知事がアメリカ上院の軍事委員会で、「米国50州のうちどの州のどの地域も忍耐することを要請されないような規模と範囲の虐待行為を、われわれは二度とがまんはしない。それが60年間であっても、60カ月間であっても、60分間であっても。」と明言しています。
 しかし、この声明とはまったく反対に、プエルトリコ政府が取引をした結果、クリントン大統領による指令に行き着いてしまったのです。この指令は住民投票を要求しており、その投票項目には、模擬爆弾の射爆を2003年5月まで続けるか、実弾演習を永久につづけるかの選択を迫るという容認し得ない項目があったのです。さらには、模擬爆弾演習を認めれば4千万ドル、実弾演習を認めればさらに5千万ドル上積みし、これを直接ビエケスに払うというのです。プエルトリコ政府は、新たに選出されたシラ・カルデロン知事のもと、今年7月29日「クリオール人住民投票」を実施しました。そこでビエケス島民の7割が、爆撃の即時中止、土地の返還、汚染除去作業後の米海軍の撤退、数千万ドルの賞金の返上すべてに賛成票を投じました。この圧倒的勝利は完全に無視され、米海軍も、プエルトリコの政府と議会も、島民も、関係者すべてが反対している連邦住民投票がいまだ法律で義務付けられています。この投票は当初2001年11月6日に予定されていましたが、最近2002年1月25日に延期されました。国防総省は、その土地の住民に、軍隊の活動や永続的駐留について投票する権利を与える前例をつくることを避けたいのです。

 私たちのたたかいは、平和的な市民的不服従の形をとっていました。デイビッド・サネスの死から数ヶ月後、島民全体に意見の一致がうまれ、あらゆる階層の人々が、海軍反対の隊列に積極的に加わるようになりました。男も女も子どもも射爆場に進入し、ビエケスでの爆撃反対運動強化のため、国内外の宗教者と政治家が支援しはじめました。
 こうして反対運動にあらたに参加するひとが世界中にあらわれ、連邦政府による逮捕者と投獄者の数が数千人という過去最高に上るまでになりました(ビエケスの市長はまだ拘束されています)。ビエケス島民は、一年間にわたり射爆場を占領し、爆撃は止んでいます。私たちの市民的不服従は流れを変え始めていました。プエルトリコと、以前は発音の仕方さえ知られていなかった小さな島に暮らす民間人に対する植民地的な振る舞いが暴露された結果、世界最大の民主的原則の擁護者を装った国のイメージは大きく傷つきました。ビエケスにも生身の人間が暮らしていることがついに認識されるようになったのです。

 世界貿易センタービルの惨事のあと変化した世界で、事態はどう進展していくのでしょうか。アメリカは、状況にあわせて、方法も兵器も変えて戦争をすると言っています。この新しい戦争によって、ビエケスはまた無人島と見なされてしまうのでしょうか。私たちの目的は正当なものであり、ビエケス島民として生き残ることが私たちにとってなによりも切実な願いです。自分たちの価値や命をあきらめることはできません。アメリカには、演習に使えるほかの場所があるではありませんか。

 これからも、ビエケスでの爆撃を停止させ、汚染除去をさせるために、また、ビエケス島民として繁栄するために自分たちが自分の命と権利の主人となるべく、平和的な市民不服従運動を続けていきます。私たちは、戦争ではなく平和をつくる、より進んだ方法を世界に示す例として、生きていきます。