ロナルド・マッコイ
マレーシア核戦争防止国際医師会議 会長
テロリズムと地球的安全保障
はじめに
2001年9月11日アメリカで起こった無差別テロ攻撃は、決して正当化され得ない、人道に対する犯罪であった。ロッカビー事件では数年後に実行犯の裁判が行われ、判決が出されたが、今回は自爆テロであったため、19名の実行犯たちを裁判にかけることはできない。しかし、この攻撃を計画したものたちは今も自由の身であり、彼らを見つけ出し、正義の裁きを受けさせねばならない。問題は、闇に隠れ、目に見えない彼らをどうやって見つけ出すかである。
対アフガニスタン戦争
無敵の超大国アメリカ合衆国は、自国がテロに脆弱であり、核兵器が役に立たないことをいまや認識している。国民の怒りと恐れは、テロを計画したとされているウサマ・ビンラディンとアルカイダテロネットワークを庇護するアフガニスタンとテロに対する戦争を望む強い要求に押し流されている。
ブッシュ大統領はメディアにより操作された世論に対応してきた。彼は対テロ戦争を宣言し、再び外交の軍事化を誇示している。しかし、軍事行動だけではテロを撲滅することはできず、本来ならテロ反対のキャンペーンが行われるべきなのである。
10月7日以来、アフガニスタン国内の軍事目標に対し、いわゆる精密爆弾、ミサイル、クラスター爆弾などで爆撃が行われているが、住宅や病院が破壊され、罪のない市民たちが殺されている。これは驚くべきことではない。スペイン内戦のなかゲルニカで非戦闘員が爆撃された1937年の最初の違反以来、ジュネーブ条約は無視され続けてきた。非戦闘員の犠牲を「副次的損害」として片付ける米英は道義的な立場を失っており、テロリストに匹敵する。非戦闘員の殺戮は、それを行うものが軍事的狂信者であれ、自由の戦士であれ、民兵であれ、あるいは正式な国家であれ、決して正当化されたり、罪が軽減されたりしてはならないものである。
アフガニスタンに対するアメリカ主導の多国籍軍事行動は、つねに核・化学・生物学兵器の脅威にさらされている世界でのテロに対する軍事的対応がいかに危険なものであるかを示している。この危険には以下のものが含まれる。
●テロリストグループが核兵器あるいは分裂性物質を手に入れ、これを放射性分散兵器に転換する可能性。
●湾岸戦争やバルカン半島での戦争のように、アメリカと同盟国が戦術核兵器使用の可能性を否定することを拒否している。
●世界に存在する400カ所の原発がテロの標的となり、そのうちひとつでも施設が破壊されれば、健康と環境に計り知れない影響を及ぼしかねないことを認識する必要がある。
●現在の危機は、30から50発の核兵器を保有するパキスタン政府の不安定化と崩壊の危険を招いている。これらの核兵器が、それを喜んで使うであろうテロリストやその他の過激派の手に渡れば、その結果は破滅的なものとなるだろう。
テロリズムの撲滅
テロリズムに反対するたたかいは、イスラム教徒、非イスラム教徒を問わずほとんどの世界の指導者たちの支持を得ている。しかし、アフガニスタンに対する軍事攻撃は、イギリス首相の強い支持を例外として批判されている。
ではどうすればテロを撲滅できるのか?テロリズムの定義は何か?自由の戦士からテロリストに、そしてテロリストから自由の戦士に変化する境目はどこにあるのか?短期的には、あらゆる国際法のしくみと国連の正当性を動員して、9月11日のテロ攻撃の犯人を捜索し逮捕するために軍事力が必要となるかもしれない。いったん逮捕されれば、彼らは法にもとづく国際法廷で裁かれねばならない。
核テロリズムを防止するためには、すべての核兵器と分裂性物質を、テロリストの手にわたることのないように、信頼ある国際管理のもとで保障措置下に置かねばならない。これに加えて、原子炉も攻撃から保護せねばならない。核テロリズムを究極的に防げるかどうかは、核兵器と原子炉の段階的な廃絶にかかっているのである。
ワシントンでの最近の炭そ菌による死者は、バイオテロ(生物兵器によるテロ)の妖怪を出現させた。化学・生物兵器を使ったテロの脅威を削減するためには、化学兵器条約、生物兵器条約の実施と強化のための国際協力、とくにアメリカを含む協力が、決定的に重要である。
熟慮すべき問題はまだまだ多くある。なぜアメリカだけが狙われたのか?アメリカの外交防衛政策のなかには、それほど嫌われる何かがあるのだろうか?
あまりにも長い間、世界最強かつ最先端をゆくこの国は、自らの責任と特権的立場にふさわしい政策を実施することに失敗してきた。現在の危機は、アメリカに対して、自らの政策と軍事的考え方を再検討し、安全保障に対する現実の脅威を評価し、戦争遂行のための軍事的準備を超えた戦略を考察し、安全保障環境を、抑止から安心と協力へと転換させる契機となっている。核兵器を棄て、軍事的防衛の不毛さを認め、一国行動主義を捨てて多国間共同主義を採用し、国際条約と国際法を尊重し実施するべき機会となるだろう。
テロリズムは、グローバルな対応が必要なグローバルな脅威である。国連が中心的役割を果たすためには、国連が尊重され、再編され、強化され、グローバルなテロに対応できるようにならねばならない。
テロを根絶するには、その根本的原因にとりくみ、諜報活動をより効果あるものとし、麻薬密輸や武器取引で生み出した資金の洗浄を覆い隠している銀行手続きや金融取引など、テロを維持しているしくみを除去することによって、その基盤を掘り崩さねばならない。根本原因のなかには、イスラエル−パレスチナ紛争とイラクに対する非人道的な制裁などの不正義があげられる。通常兵器による戦争では、非対称の戦闘をなくすことはできない。テロリズムは不正義と不公正から生まれ出るからである。テロリズムは、政策の失敗の結果なのである。
アメリカ合衆国のリーダーシップのもと、国際社会は、社会経済的二極化をくつがえし、持続可能な経済発展を確実に達成し、宇宙にまで拡大されようとしているこの惑星地球の軍事化の緩和に役立つ軍縮と軍備管理の諸条約を実施するような政策を発展させねばならない。
非対称的戦争に先進諸国が脆弱であり、大量破壊兵器が拡散した現在の状況のもとで軍事的手段によって不公正なグローバルシステムを掲げ続けることは維持不可能で、挑発的で、危険なことである。
宗教的原理主義
しかし、テロリズムには、とりくむべきもうひとつの側面がある。それは宗教的原理主義という暗部である。キリスト教であれユダヤ教であれ、イスラム教、ヒンズー教であれ、宗教的信仰が、精神的あるいは神学的独占を宣言すると、その宗教の信者たちは、他宗教に対して過激で不寛容になりがちであり、人びとのあいだには紛争が起こる。
もっとも広い意味において、宗教的原理主義は、自らの価値観と信条を、強要と暴力を通じて他者に強制することを求めるシステムであると説明することができるだろう。思想、行動、服装などにおいて絶対的な従順を求め、ほかのすべての信仰、価値観、行動様式を排除して自らの教義を暴力を通じて絶えず強制するのである。
イスラム教は、「神への服従」という意味であり、複雑な法的・社会的システムの源であるコーランに根ざしている。イスラム教は、私的な宗教として信仰されるものではない。階級的な聖職者制度を中心に組織されており、カトリックのローマ法王にあたるような神学上の指導者は存在しない。このため、コーランにさまざまに異なる解釈が生まれやすく、イスラム原理主義が台頭することとなった。
この30年間にわたり、過激なイスラム教政治運動がアフガニスタン、アルジェリア、エジプト、イラン、パキスタンに根を下ろしてきた。換言すれば、イスラム的世界秩序の確立を目指す者たちの地政学的野望のために、イスラム教はハイジャックされたのである。
1979年から1989年の間のソ連によるアフガニスタン占領のあいだ、宗教的正統派は、アメリカの武器援助を受け、共産主義に対抗して国を守るための防衛体制に動員された。ソ連の撤退後、アメリカは戦争によって荒廃し部族間対立が激しくなったアフガニスタンを放棄し、まもなくタリバン運動がこの国を支配した。防衛的な宗教的正統派は、汎イスラム教的な意味合いを持ち全世界的規模でテロを行えるような攻撃的な宗教的原理主義へと変貌した。このためにイスラムの戦士たちは、パキスタンの諜報機関(Inter-services Intelligence)の支援のもと、アフガニスタンとパキスタン国内の急進的イスラムキャンプで訓練を受けた。
リベラル派イスラム教徒が急進的あるいは反啓蒙主義的イスラム教徒と対立するなか、イスラム教世界は危機的状況にある。イスラム教徒は14世紀以来のイスラム文明の後退に責任を負っているが、われわれは彼らの政治的、経済的、文化的な苦境が、植民地時代の過去と西欧支配に関連したものであることを認識する必要がある。これは、西欧世界における国家と宗教の分離の結果生じた政治的変化が原因となって発展したものである。しかしながら、イスラム教徒は全体として、他者に対してもっとオープンで寛容になり、多様で複合的でグローバルな世界と相互に交流し、溶け込むよう努力する必要がある。
イスラム教の中にあるこれら不適切な面と緊張が、現代の世界に対して真剣で知的な対応をすることができない原因となっており、このことが9月11日の出来事の原因の一部となっている。
結論
テロリズムは、疎外され、権力を持たず、自暴自棄なものたち、そして反応の鈍い世界で希望を失ったものたちによる暴力的な政治行動である。これは、「北」世界と「南」世界を隔てている、退廃的で、非人間的で、不安定をもたらす不公正を是正することなくしては、完全に解決にとりくむことはできない。
戦闘的なイスラム原理主義は多くの源泉から生まれ出ている。そのなかには、神を信じず物質主義的な西洋文明、そしてそれがイスラム文明に迫りつつあることに対する嫌悪などがある。テロリズムは、世界の系統的な無秩序の単なる一形態にすぎない。21世紀が、暗黒と戦争ではなく、啓発と平和の世紀となるよう、われわれはこの無秩序の根本原因を探り出し、これと取り組まねばならない。
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