2001年大会INDEX

2001年日本平和大会in沖縄・名護国際シンポジウム パネリスト発言

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マルシア・モリス


アメリカフレンズ奉仕員会
コネティカット事務所プログラム担当

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アフガンでの戦争停止と、テロリズムの根絶

 この国際的な平和会議に参加でき、コネティカット州ハートフォード、また、ニューイングランド地方一帯の、勢力を増しているおおくの平和運動を代表できることをとても嬉しく感じています。コネティカット平和正義連合と、アメリカフレンズ奉仕委員会ニューイングランド地方のメンバーとして、みなさんにごあいさつを申し上げるものです。

 9月11日アメリカでのテロ攻撃の直後、ニューイングランド地方一帯の平和活動家は軍事的対応に反対する集会を始めました。軍事行動はもはや必然であることを認識していましたが、多くの集会、行進、デモを組織し、そこで、あらゆる場所のテロリズムの被害者に追悼の意を表し、アメリカ政府に「戦争でなく正義を」追求するよう迫りました。

 地域選出の議員に会い働きかけましたが無駄でした。(カリフォルニア州選出のバーバラ・リー議員ひとりを除いて)すべての議員は、大統領が必要と感じるかも知れないあらゆる手段をもって「テロリズムにたいする戦争」を実行するための広範な権限をもとめる大統領の要求に譲歩したのです。

 さらに、アメリカの平和運動が、テロ攻撃後の一週間で相当の後退を強いられたことも注目すべきです。連邦議会は、本質的に、ブッシュ大統領とラムズフェルド国防長官に、「スターウォーズ」追求のゴーサインを出したのです。私たちは何ヶ月もの間この計画に強く反対していました。軍国主義の台頭と、テロ攻撃のあと「最高司令官」の周りに陣営を固める超党派の動きのなかで、ブッシュ政権が「ミサイル防衛」と呼ぶ近い将来の体制にむけた資金繰り、研究、配備を止めさせるための私たちの努力が無に帰してしまったのです。こうした国際の安定と平和をめぐる情勢の展開がもたらす結果を考えるのはいやなことですが、まさにこれが、この分科会のテーマかもしれません。「反テロ」問題がほとんどの人の注目を集めているいま、情勢を不安定にし、法外な軍事支出に反対するたたかいは、いまのところ、戦争の影で薄れてしまっています。

 アメリカフレンズ奉仕委員会、戦争抵抗者同盟、宥和会、もちろんコネティカット平和正義連合といったアメリカの主要な全国平和組織のすべてが、はじめから軍事報復に断固として反対してきました。私たちは、この危機を外交と政治により解決することを強く要求し、アメリカが法による解決を追求するよう提案してきました。アフガニスタンの罪のない人々に対する爆撃に反対する運動のスローガンは、「私たち自身が、嘆いている悪となってはならない」というものです。
 アメリカの対外政策を批判する上での私たちの前提条件は、カブールであれカンダハルであれ、そこに住むひとり一人の命が、ニューヨーク市に住む人の命と同等であるということです。罪のない人の死は、その人が住んでいる国によって区別されるものではないのです。私たちがもっとも恐れているのは、この戦争が、世界貿易センターとペンタゴンでの惨事で生じたほかにも、死傷者をさらに増やすものとなること、爆撃が終わりのない暴力の悪循環を永続化してしまうことです。現在もっとも心配なのは、アフガン難民です。女性や子どもも含む人たちが、アメリカの爆撃、激化する軍事行動から逃れており、彼らは、今後数週間数ヶ月のあいだ爆撃と飢えで死ぬ危険にあります。

 この数週間、私たちの要求は、少なくともとくにラマダン中は爆撃を停止せよというもので、これは、アメリカの軍事介入が地上につくりだしている、恐ろしいほどの食糧不足に対応しようという国際的な救済努力がおこなえるようにするためです。しかし、ブッシュ大統領とアフガニスタンにいる軍司令官たちは、戦争は長期にわたり、テロリストに対する直接軍事行動は何らかの形で、おそらく数年つづくだろうと、日々国民に念を押しています。先週私は、コネティカット州選出で民主党のリーバーマン上院議員のスピーチに驚き、危惧をいだきました。彼は、アメリカがサダム・フセインや、イラクやその他の地域にいるテロリズムの支援者に直接おこなったのと同様の軍事介入を継続することを奨励したのです。

 アフガニスタンへの爆撃が、アメリカの安全保障目的のひとつでも達成したのかどうか、私は確認することはできません。実際、この戦争が長引くほど、罪のない犠牲者が増えます。そうなれば、アメリカにたいする敵意の波が高まる可能性をほんとうに心配しています。軍事攻撃開始以来、より安全と感じるようになったアメリカ人が多くいるとは思えません。主流マスコミでは、世論調査では、たくさんのアメリカ人が、この戦争は自分たちをより安全と感じさせることはできない、と認めるであろうということが広範に報道されています。それでも、テロリズムを止めるために「何かをしなくてはいけない」という同じ文句が繰り返し、繰り返し聞こえてきます。9月11日後の数週間、行動を求める声は、ほとんど抗しがたい力でした。しかも、残念ながら、アメリカ人は、忍耐の資質をもつ国民というより、すぐ得られる満足感を求めることで世界に知られています。

 こうしたことから、私たちは、テロリストの脅威への対応には国際的な法的プロセスが必要だという私の信念に疑問を投げかけているアメリカ国民と、また、平和大会の実行委員会の両方から投げかけられている問題に直面するわけです。爆撃しないなら、国際テロリストの脅威から自分達を守るには他になにができるのか、という問題です。

 悲しいことに、ほとんどのアメリカ人が、軍事的対応以外の方法を思い描くこともできないのが実態です。変化する今日の世界に対応したクリエイティブな外交が、必要とされています。

 まずなによりも、テロリズムへの効果的な対応は、こういった種類の政治的暴力の根源を深く理解することにかかっていると私は思います。テロリズムの原因を理解すること、テロリズムを説明することは、テロリズムを容認することと同じでないことが即座に強調されなくてはなりません。状況を好転させてゆく力は、根源を探らずに得ることはできません。政治学をふくめ、すべての真正な科学は、根源の理解に基づいています。成功するためには、貧困や絶望というテロリズムを生みだす状況を無視することはできません。

 テロリズムは、弱者がもつ唯一の兵器だといわれてきました。それは、希望や財産を奪われたものの伝達手段であり、そうでもしなければ世界の舞台で無視されてしまう者たちのかぎられた表現形式なのだ、と。

 国際的な司法プロセスに反対する主張としてよく出されるのが、こうしたプロセスは被疑者にプロパガンダの演壇を提供するものだ、というものです。被疑者にテロ行為を「擁護」する機会を与えてしまう、というのです。しかし、まさにこうした演壇こそが、テロという犯罪行為を違法とするために必要な場所かも知れないのです。国際法の定義にあてはまる犯罪行為が、犯罪行為として、また法的決着の対象として存続しているあいだ、法の適正手続き(デュー・プロセス)および証拠規定の導入(an introduction of the rules of evidence)がおこなわれれば、それが、あらゆる対テロ行動を正当とする上での助けとなるかもしれないのです。これと対照的に、一国による軍事行動あるいは暗殺行為は、テロリストを殉教者に変え、テロリストの政治的信条と犯罪的行動と関連を強める役割をはたします。

 アメリカの平和活動家仲間は、政治的に反対の立場にいる人たちがもっともよく引き合いに出す「爆弾以外にどんな方法があるのだ?」という質問に対する答えを概説しています。クリエイティブで、一般的に見て急進的な外交プログラムには、それだけには限りませんが、次の要素が含まれるでしょう。

1) アメリカの軍事行動によって住む場所から追い立てられたアフガン難民への大規模な人道援助。そのためには爆撃停止が必要となる。
2) テロリストを法の裁きにかけるための、国際法の体制強化。国連およびハーグの国際司法裁判所の活用。
3) テロリズムを防止し起訴するための条約制度をつくるため現在進められている国連の取り組みとの協力。
4) 年間推定5000人のイラクの子どもの死と、湾岸戦争終結以来、罪のないイラク市民100万人以上の死をもたらしてきた、イラクに対する経済制裁の解除。
5) サウジアラビアおよび、住民の反対を受け、また現地の人々により耐えがたい負担と考えられている(沖縄など)世界各地にある軍事基地からの米軍の撤退。

 最後に、平和活動家として、私たちは、国際関係をすすめるにあたっての道徳的な力が果たす役割を主張していかなければならないと思います。私はボストン大学で政治学を学び、そのあとマサチューセッツ工科大学(MIT)の大学院にすすみ、防衛と軍縮を学びました。そこで私は、アメリカの外交政策をつくる文民・軍部両方の指導者たちの気風をかなり知るようになりました。アメリカの権力にとってもっとも重要な、というより唯一の懸念は、国際社会において「自国の利益」を追求することにあります。何よりも、「国家的利益」という名のもとでおこなわれる行為はすべて正当化されることを学びました。

 私たちが「国際的利益」という言葉で物事を考え始めることができる日が来ることを願います。対外政策の実行にあたっては、国境を超えて、軍事力を超えてものを見られる日が来ることを。