2000年大会INDEX

2000年日本平和大会in沖縄国際シンポジウム 海外からの文書報告

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欧州議会議員・イタリア

ルイーザ・モルガンティーニ

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軍事基地:いかになくすか

1)米軍基地の役割(戦略的意味)
2)心理的、経済的、環境上の問題:軍事支配の別の側面
3)欧州から日本へ:土地および社会の軍事化に反対する共同のたたかい


1)米軍基地の役割(戦略的意味)

 自らを「平和維持」軍と称する軍隊ほどその真偽は疑わしい。何十年にも渡って外国に駐留しているなら、その疑いはいっそう強まる。そして、「受け入れ」国が、滞在軍の母国から遠く離れた場所にあるならば、その軍隊はおそらく平和以外の理由のために存在している。
 米軍問題を考えるにあたっては、まず米軍をその地に維持している戦略的理由を検討しなくてはならない。海外の米軍基地は、全世界における米国の利益を戦略的に守る重要な手段としての役割を果たしつづけている。さらに、こうした米軍基地は、この地球上の大国にとって、不可欠かつかけがえのない作戦上の強みなのである。40近い外国およびそれらの国々の領海に26万人の兵士が配備されていることを考えれば、これらの基地は、どの国へ介入をおこなうにあたっても、即応態勢をとった戦力なのである。なによりも、これらの米軍は、米国国防総省長官の1999年度報告にあるように、「全面的軍事作戦を行う」ことができるのである。この世界的にしかれた戦争準備態勢は、米国のみが有するものである。よって、軍事基地網は、世界におけるドルの覇権を維持するために必要な軍事的覇権に不可欠な要素なのである。
 地理的な見地から見ると、ユーラシア大陸周辺における米軍の配備は「はさみ」のようなもので、両先端にいくほど強力で「先鋭」になっている。イタリアとドイツが一方にあり、日本と太平洋がもう一方に位置している。
 私が暮らす前者の地域においては、北大西洋条約機構(NATO)の新戦略概念が明確にしているように、基地は「防衛」のためにあるのではない。そのことは第6条から明らかである。「本同盟は、加盟国の防衛を保証するだけでなく、この地域の平和と安定に貢献する」。(1)この安定をおびやかすものは、第20条と第21条において、「本同盟の周辺における地域的危機の可能性」と「本同盟外の強力な核戦力の存在」であると規定されている。こうした脅威に対応するため、米国は、西欧全土にわたり数千人の兵士と数十の核基地を維持しているのである。この二つの面で軍を配備する必要性は、第46条で同時に説明されている。「本同盟が直面しうる危険性の多様性を考慮に入れ、同盟は、信頼性のある抑止力を保障し、また多岐にわたる通常戦力による対応の選択肢を提供するために必要な戦力を維持しなくてはならない。しかしながら、本同盟の通常戦力のみでは、信頼性のある抑止力を保障することはできない。核兵器は、本同盟にたいする侵略のリスクが、予想不可能で容認しがたいものであることを示す上で、比類のない貢献をしている。したがって、核兵器は、平和の維持においてひきつづき不可欠である。」
 最後で述べられている核戦力の役割は、周知のとおり、新しい(包括的)核実験禁止条約と核不拡散条約への加盟をめぐり、かえって問題を生み出してきた。インドの世論は、この問題を示す一例である。ここで保守的なインドの新聞を引用しよう。核兵器(および核兵器配備に必要な軍事基地の存在)が合法であると仮定することによって、核開発ラッシュのパラドックスが論理的必然となることが示されている。「NATOの文書は、核兵器が、必要不可欠な政治的道具であり、また、それらの役割が侵略者の頭の中に不確実性を作り出し、どんな侵略行為も理性ある選択ではないことを彼らにはっきりと示すことにあることを明快に述べている。これが彼らの目的であるなら、インドが、潜在的侵略者の頭の中に不確実性を作り出し、どんな侵略行為も理性ある選択ではないことを彼らに納得させようとしていることの、どこが悪いのだ。」
 米国が受入国の利益を説くとき、その偽善性ははっきりとする。事実、通常兵器による対応と核抑止の両方がもたらす結果のツケはおもに、米軍基地の受け入れ国が払うことになるのである。通常戦力の配備は、環境と社会な面に多大な被害をもたらしてきた(下記参照)し、核抑止は危険な(輸送、貯蔵などの)作戦を必要とする。さらに、核抑止は、軍事的秘密が領土を侵害する理由のひとつである。つまり、核兵器の場所を秘密にするために、それに関連する社会活動の大部分が公的な管理下に置かれていない、ということである。
 どんな場合でも、軍事基地は「主権の制限」をもたらす。基地保有国と受け入れ国の関係は相互的なものなどというのは論理的に不可能であり、またそれは歴史的事実を見ても明らかである。
 この主張は、米国が沖縄に関する文書で、「紛争を思いとどまらせるために」軍事的支配を正当化している部分で、繰り返し述べられている。しかし、一体誰を思いとどまらせるのであろうか。それに、どんな種類の紛争のことをいっているのであろうか。社会的、環境的問題も含むのだろうか?


2)心理的、経済的、環境上の問題:軍事支配の別の側面

 地元住民が、外国軍事基地に同意しているわけではないとしても、受け入れているのには、少なくとも4つの動機がある。(2)
<1> 短期的な利益。
<2>「普通の」日常生活の風景において軍事基地を受け入れている。
<3>「ショービジネス」と消費主義生活様式の一部としての武力と暴力の誇示。
<4> 権威主義文化やたくましく見える組織などにより、自分自身の欲求不満と弱さが救われる可能性。
 こうした心理的作用は、ほかの軍事組織と地元住民のあいだの関係と多かれ少なかれ同じである。つまり、マスコミなどの情報源が危険な敵の姿を描き出すと、この敵のイメージが、人々を、権威と権威的組織の強化に駆り立て、これがまた、人々のなかに欲求不満と敵にたいする恐れを再び生み出す役割を果たすのである。こうした点から見た軍事基地の特異性が、それが地元住民に与えているように見える「物理的」保護、つまり、住民の健康そのものに対する真の脅威を覆い隠すものなのである。
 この問題の一側面は環境的な被害であり、それは、実際に起こっている被害とこれから起こりうる被害の両方である。ここに引用したアビアノでおこなわれた会議では、軍事基地が環境にあたえている被害と今後の危険性が指摘された。また、環境への影響アセスメントがまったくおこなわれていないことも非難された。しかしながら、環境への被害が証明されたところで、米軍は、米国内においては外国基地の良いイメージ作りをしておきながら、いま占領している場所も、もと海外基地だった場所の汚染除去作業もしていない。
 しかし、議会では、国防総省による外国の環境汚染除去作業を、より容易にではなく、より困難にする方向へ進んでいるようである。1998年の国防総省権限法 (1998 Authorisation Bill)では、かつて米軍が使用した土地の汚染除去作業を求める訴えの和解にあたり、国防総省がその国が話し合いに入る前に、国防総省が議会の承認を取り付けることを要件づけているのである。(3)
 これは、軍隊だけでなく、国会議員たちも責任を負っていることを明確に示している。基地は、生物の多様性を守るための予防措置原則を打ちたてようとした、1992年の地球サミット(リオデジャネイロ)での取り決めにさえ反している。例えば、核・細菌兵器の貯蔵は、明らかに予防措置原則違反である。


3)欧州から日本へ:土地および社会の軍事化に反対する共同のたたかい

 軍事基地に反対するたたかいは、複雑な課題である。安全保障上の問題に関する決定において、さまざまな機関が参加する欧州では、なおさらである。それでもしかし、これらの機関は、欧州の軍事体制に対するアメリカの影響力に圧倒されている。
 私は欧州議会議員を務めている。この議会は、欧州諸国の国民による直接選挙で成立する議会であるが、欧州の安全保障と外交政策に対する権限はいまだにほとんどない。この問題は、もっぱら各国政府の管轄なのである。しかし、欧州議会は、どんな場合でも、ある主張を世論や諸機関の耳に届ける上で良い道具となりうる。こうした視点に立つなら、この平和大会の成果を、私が欧州議会で取り組んでいる問題に活用できるし、欧州議会自身がこうした問題について今後とっていくイニシアチブの土台とすることができる。
 欧州議員になるまえ私は労働組合で活動しており、1988年には、イタリアの多くの平和主義者たちと一緒に「平和協会」を創立した。創設以来この協会の戦略は、地域の活動を世界的な視点から進めること、ミサイル配備が地元の生活と地球全体の両方に与える影響を解明することにより、それに反対することにある。時代の変化にともない、こうした問題で全国的に世論を動員することはどんどん難しくなっている。私たちの主張が届く範囲と、決定がなされている場所との隔たりを見るならば、まったく地域だけに限った戦略は正しくないことが分かる。
 それゆえ、平和主義者として、私たちの第一歩は、もっとも近隣の諸国と国境を越えた戦略を再構築することである。こうした方法で、「周囲に敵はいない」ことを国民に示す。こうした認識が広がれば、私たち自身の国土にあるこの巨大な軍隊の存在が社会、環境、経済にもたらす被害について説明しやすくなる。
 第二段階は、少なくとも地域レベルにおいて共通の方針を立てることだろう。軍事基地が必要ないことを主張するには、欧州大陸全体の平和運動として共通の対抗戦略をもつべきである。たとえば、イギリスやフランスの国民が「使用価値のない」基地に反対しているという報道があれば、イタリアの草の根運動はより活動しやすくなる。なによりも、一国ごとよりも、大陸全体の運動が共同でロビー活動をしたほうが、欧州諸国政府にたいして、より大きな影響をあたえることができるだろう。おそらく東アジアの状況もこれと似ていると思う。
 軍事基地は、世界的な問題である。私たちはこのことを認識しているし、すでにその方向で国際的な取りくみが進められている。たとえば、1996年キューバで「外国軍基地に関する国際会議」が開催され、34カ国から代表が参加した。しかし、行動が効果をもたらすには、少なくとも国際的な世論と国際諸機関に問題を認識させるには、それが全世界的な平和主義者の連盟と結合していなくてはならない。領土問題を抱えていることで結びつきながらも共通の戦略的見解をもつならば、国際的な代表団の主張に、諸国政府はもっと耳を傾けるだろう。確かに、元NATO事務総長で、現在欧州連合の防衛政策を担当するソラナ氏も、日本、オーストラリア、米国の運動からなされるのと同じ主張ならば、欧州の平和運動の要請にもっと注意を向けるようになるだろう。
 こういった理由から、国土と社会の非軍事化を目標とし、全世界の社会的勢力のより広範な連合体の創出にむけた重要な一歩として、みなさんがこのような会議を開催されたことに、祝意をおくりたい。
 そのためには、二つの重要な目標がある。第一は平和の文化の発展である。社会のエリートも国民も、責任について何を言うかはべつとして、すべて教育を受けている。彼らは、自分達を取り巻いている文化のなかで認められたやり方で行動し、反応する。したがって、平和の戦略を立てるためには、子どもの教育において、また社会における意思伝達において、非暴力という選択肢があることを示しつづけておく努力が何よりも必要とされている。
 第二は、非軍事的な方法で安全保障を維持する可能性があることを示すことである。多くの国が、無用かつ効果のない軍隊にとてつもない多額の資金を費やしている。こうした税金の投入はいつも、国民の「安全を保障する必要」があるという理由で正当化されている。私たちは、暴力によらない紛争解決の建設的な経験をすべて集め、民間人のほうが、「平和維持軍」や軍隊よりもずっとうまく平和を維持する力を持っていることを示すべきである。これが、私たちが、信頼構築および関係活動の専門家チームから成る市民平和軍を提案し、欧州において追求している道である。
 平和大会に出席できないことにお詫びを申し上げたい。大会に招待をいただき、文書で発言する機会をいただいたことに心から感謝している。大会の成功とみなさんの活動が実を結ぶことをお祈りする。

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(1) 1999年4月23、24日ワシントンDCで開かれた北大西洋評議会の会議に参加した国家元首により承認されたNATOの戦略概念、第6章第1段落。
(2) この部分は、1998年イタリア北部アビアノ米軍基地の近くで、基地に反対するイタリア草の根運動が開催した「基地をなくそう」と題する大会の内容から学んだ。
(3) ダニエル・ナイト著『環境:米軍事基地の現状』から。
http://www.oneworld.org/ips2/oct98/17_34_059.html