ローランド・G・シンブラン
非核フィリピン連合(NFPC)全国議長
フィリピン大学教授
環境上の不法行為:フィリピンにおけるアメリカの毒された遺産をただす
(これは、2000年10月14日、マニラ市エルミタのマニラ・ミッドタウンホテルで開かれた第一回フィリピン健康社会科学会議において『健康と社会科学:21世紀に隔たりを埋めるために』と題しておこなった演説からの抜粋である。フィリピンにおける米軍駐留が健康と環境にあたえた問題についての著作は近日完成予定。)
「健康は政治」であり、「保健政策と医療制度は対立する社会勢力のあいだの、個々のどの瞬間の闘争結果をも象徴する」(ドヤル、1981年)という言明は、自明の理である。これは確かに、フィリピンの元アメリカ軍基地における環境上の不正義に関する事例研究とかかわりをもっている。そこでは国民の健康な生活と科学的な医療を保証する慈悲深い国家の合理的な政策が、一方では自分の責任を拒否しているのである。この点では、国家以外の役者たちは、レズリー・ドヤルが著作『保健の政治経済学』のなかで「政治的課題」と呼ぶものでイニシアチブを取ってきたのであり、劣悪な健康状態が団結をもたらす潜在力となり、そうでもなければ自分達の共通の利害を認識しない人々を結びつけている。ドヤルは、「しかしながら、健康に関する問題は、より広範なたたかいの中では、たんに自覚を高めたり団結をもたらすだけのものではない。なぜなら、より健康な社会への願いはそれ自体が、根本的に異なる社会経済秩序の要求だからだ」とさえ述べている。(1)
2000年8月18日、クラークおよびスービック元米軍基地の周辺地域における有害廃棄物汚染により被害を受けた人たちとその親族たちが、アメリカ政府を主要被告人とする裁判を、パンパンガおよびザンバレス地方裁判所で起こした。この裁判は、非国家的登場人物やNGOが、環境上の正義を追求しておこなっている活動を際立たせている。マニラにある米国大使館前から「有害廃棄物被害者の母たちの行進」という歴史的な行動がおこなわれた、行進には、マバラカト自治体(パンパンガ県)とオロンガポ市(ザンバレス県)から推定200名の母親達が参加した。この損害賠償裁判はそれに続いて行われた。皮肉にも、これら基地周辺地域のほとんどは、72年におよぶ米軍のフィリピン駐留で、基地経済のなかでの日々の経済的暮らし以外にほとんどなんの関心もない、政治的無関心ともいうべき地域、「米軍基地賛成派の拠点」と考えられていたのである。こんにち、強度に汚染された地域は、健康と環境問題の画期的な事件とまではいかなくとも、いまでは歴史的出来事と言われている米軍撤退を長く主張してきたNGOと隊列を固めるまでにいたっている。あらゆる点からみて、年間3千億ドルの防衛費を有する最も豊かな国アメリカの世界最強の軍隊と対峙する貧乏な被害者とその家族たちの勝算を考えれば、これは明らかに苦しいたたかいである。
報復的措置
米比関係においては、健康への配慮そしてフィリピンの環境さえもが政治的地雷原の被害者であったことがますます明らかになっている。こうした見方は、これまでの理解とは反対に、新たな文書により裏付けられている。つまり、アメリカ政府は、クラークとスービックにおける潜在的にありえた健康・環境問題の発生という事態に備えてもいなかったし、問題を認識してもいなかったということである。「海外基地における環境復旧政策(ERPO)の行動覚書」および「受入国に返還される基地に適用し得る環境上の配慮と行動」と題された1991年5月19日付の計画案の存在は、「法的責任はない」とするアメリカ政府の公式な立場をくつがえすものである。アメリカ国防総省にはERPOと呼ばれるプログラムがあって、それには「国防総省の部局が、潜在的汚染場所の確認とアセスメント、現地の具体的な汚染除去作業要件や、必要な場合、実際の除去作業の実施についての受入国と協議に責任を負う」としている。これらの保健・環境計画案は、実施されれば基地跡地の有害物質汚染による数え切れないフィリピン人の死が避けられたかもしれないが、実際にはあきらかに着手も履行もなされなかった。アメリカ空軍で、環境・安全・職業健康を担当するゲリー・D・ベスト次官補は、前任者のトマス・E・ベッカ氏にあてた1991年5月19日付の手紙の中で、基地の環境復旧政策について必要な措置を要約して述べている。しかし、1991年9月16日のフィリピン上院による基地閉鎖の決議が理由で、国防総省と国務省関係者の強い報復的態度が優勢を占めるにいたった。基地の閉鎖後、健康・環境の復旧政策は実施しないというこの報復的措置は、フィリピンの子ども、女性、基地周辺の住民から何世代にわたって命を奪い、不具にしている。この敵対的な態度は、アメリカ海軍の元提督、ユージン・キャロル氏が説明するところの「あらゆること」つまり健康、環境、人権問題に「にたいしても絶対的に優先される国家安全保障」の運用である(2)。 潜在的に深刻な健康と環境上の問題があることを実際に認めたアメリカの保健環境政策の提案は、それより先に進まなかったし、この問題にかんするその後のアメリカの立場と相容れなかった。よって、フィリピン人の幸福、健康、安全は、大国の地政学上の理由と戦略の犠牲となったのである。これらの文書ではまた、以前アメリカが国内および国外の軍事基地跡地でおこなってきたように、国防総省が、環境復旧計画=ERPOにより、汚染状況を確認し結局は除去作業をおこなう(実際には運用しなかった)能力も資源も持っていることも示されている。
「受入国に返還される基地に適用される環境上の配慮と行動」案によれば、この政策が実行に移されていれば、受入国に返還されるそれぞれの基地用に「環境状態報告(ESR)」が準備されるはずであった。「環境状態報告」は、最低でも、基地跡地周辺地域における汚染場所を直ちに突き止め、死亡と疾病を回避させえたであろう詳細な裏付け文書により裏打ちされていた。完成後、即座に受入国(つまりフィリピン)に渡されるべきであった「詳細な裏付け文書」のいくつかには、以下の事項が含まれていたはずである。
・危険な廃棄物および物質の備蓄一覧
・アスベスト調査と除去記録
・ラドン調査と緩和記録
・用水権の承認
・PCB調査、装置の改装、処理記録
・騒音被害への苦情日誌とそれへの対応
・廃棄物漏れへの対応
・地下貯蔵槽の一覧と試験記録
・「地域廃棄物漏れ管理と対策計画」
・埋立地の使用、閉鎖記録、監視データ
・大気汚染物質排出実験と記録
・汚水排出許容量とこれまでの排出監視報告
・汚染地域研究、および改善活動の記録
・これまでの「環境順守基金」、「アスベスト減退基金」、「有害廃棄物処理基金」、1383報告記録
・いずれかのソースからだされた環境関連監査報告
・受入国の査察報告と規制機関往復文書
・物理的な文書往復の結果
1997年12月17日フィリピン下院でおこなわれた公聴会において、現在フィリピン外務省米国担当の外務次官でもあるクレメンシオ・F・モンテッサ大使は、1997年10月以前、米軍基地の撤退から5年も経っていたにもかかわらず、スービックにおける環境または健康問題/危険性にかんする文書・報告は、アメリカ政府からフィリピンに一切渡されていなかったことを認めた。こんにちに至るまで、上に挙げた文書のほとんどは、受入国フィリピンに引き渡されていない。
環境上の人種差別
アメリカ政府は、環境の法律を順守する上で、二重規準もしくは環境上の人種差別を適用していると思える。フィリピン、パナマ、プエルトリコといった発展途上国において、環境保護と保障規約を無視する一方で、1998年12月25日付『ニューヨークタイムス』によると、アメリカは、「ドイツやカナダといった重要な連合国における基地においては、危険廃棄物の撤去やそのための費用の支払いをしている」。1998年だけでも、アメリカ政府は、国内軍事基地の汚染除去作業に21億3千万ドルを費やしている。現存する基地を含め海外基地におけるこれまでの汚染除去データをみると、アメリカにとってアジア太平洋の同盟国は重要であるという事実にもかかわらず、フィリピンはアメリカにとっていつもどうでもよい存在であったことが分かる。1990年時点での米海外空軍基地の有害廃棄物汚染除去作業において、アメリカは、カナダの21基地につき6千140万ドルの予算から840万ドル、ドイツの6基地につき3千75万1千ドルの予算から92万ドル、グリーンランドには155万9千ドルの予算から12万1千ドル、イタリアには158万ドルの予算から70万ドル、日本には65万ドルの予算から20万ドル、韓国には、98万6千ドルの予算から56万8千ドル、イギリスには、195万ドルの予算から50万ドルを費やしている(3)。 しかし、フィリピンは、ほとんどが裕福な欧州NATO諸国と日本、韓国で占められるこのリストには含まれていない。なぜアメリカは、欧州とアジアの金持ちの国には、散らかした有害物質の除去作業の援助をするのに、フィリピン、プエルトリコ、パナマには援助を拒否するのだろう。なぜ他の国では適用されている「加害者負担」の原則は、私たちには当てはまらないのだろう。フィリピンは、貧しく、国民が必要とする基本的要求もほとんどみたすことができず、ましては、「超大型級」の高価な基地汚染除去計画に費やすことはできないのである。
1970年代初期スービック基地を定期的に訪れていた空母ミッドウェイを指揮したユージン・J・キャロル二世(米海軍退役提督)は、1996年マニラで開かれた「米軍有害物質および基地汚染除去作業国際フォーラム」で次のように証言した。
「1970年代に空母を指揮した指揮官として、アメリカの港においては、廃棄物質の適切な管理と処理を確実におこなうよう注意深く監視されていたことを思い出す。このような高度の注意は、1971年に寄港したここスービック湾では見られなかったことであった。スービック湾では、米軍の船、飛行機、産業施設が、短期であろうと長期であろうとその影響など省みずに、汚染物質を大気、水中、土壌に吐き出していた。そうして私は二重規準に気づき始めたのである。…米軍が排出した未処理の汚水、発電機から出るPCBの漏れがもたらす長期的影響を加えるなら、スービック湾が多重的に汚染されており、地域住民の健康と安全を長期にわたり脅かすことは間違いない。この汚染は、閉鎖された軍事基地を、受入国の経済と国民の利益になる方向で有用な資産へと転換させるために必要な投資と開発をはばむ潜在的な障壁ともなっている」(4)。
フィリピンにおいて、自身がもたらした有毒遺産にたいする国際的責任をアメリカ政府に認めさせるには遅すぎるのだろうか。それともそんなことは見込みのないことなのであろうか。逃げつづけるアメリカと法的責任なしとするアメリカの立場を受け入れるしかないのか。
私は、アメリカには、冷戦後の世界における自身の役割を再定義するまたとないチャンスがおとずれていると思う。2000年3月、アメリカの副大統領で現在民主党の大統領候補であるアル・ゴア氏に送った手紙のなかで、私は、新たな国際的介入をめざすアメリカの潜在的かつ崇高な役割を要約して述べた。それは、世界規模での環境の保護である。「他国の国境の内部あるいはそれを越えた」人種的民族的殺りくに対して海外における「人道上の戦争」という新しい外交ドクトリンを作り上げることが出来るなら、こうした政策を環境のために講じたらどうなのか。そうすることにより、私たちから親善と真の友好を勝ち取ることさえできるかもしれない。アメリカ政府にとっては、環境破壊型、犯罪的なまでに荒廃型の地球規模の軍事行動につぎ込んでいる資源を、フィリピンや同じように米軍の活動と作戦がもたらしてきた被害に苦しむ国々における包括的環境復興計画に向けることにより、自身の地球的な役割を再定義する絶好のチャンスではないか。
『ニューヨークタイムス』は1998年12月25日の社説で、アメリカがフィリピンに残した有害な遺産について鋭い指摘をおこなっている。
「1991年からはじまる、フィリピンのクラークおよびスービック基地からの撤退のさい、アメリカは、有害化学物質とアスベストが投棄されたり埋められた、危険な埋立地を何十も放置したままにしてきた。こうした土地はいま、近辺住民の疾病の原因となりうる。アメリカ政府は、フィリピンに汚染除去作業費用を一切支払っていないし、危険性についていいかげんな情報しか公表していない。自身がもたらした環境被害を償い、不発弾の除去作業に必要な新しい技術を開発するため、国防総省が資金を提供する新しい法律が必要である。危険もアメリカの責任も国境で止まるわけではない。」
健康・環境研究/文書:再検討
フィリピンのもと米軍基地における汚染状況を確認するために、現存する資料、文書、予備研究の再検討が求められる。これらの資料や文書は、決して包括的ではないことを強調しておきた。基地の跡地の規模が巨大であることから制約を受けており、したがって土壌と水質サンプルにも限界があるし、広範な土壌、大気、地下水の分析には恐ろしいほどの費用がかかるのである。
1.万人のための健康プロジェクト。1996年から1998年、もとクラーク米空軍基地の場所または付近に住む人たちを対象におこなわれた健康調査。「国際公衆衛生研究所」と「基地汚染除去作業国民特別部隊」による共同プロジェクト。先頭にたった研究者は、ロザリー・バーテル博士。
この30年国際的にも著名な研究をおこなってきたカナダの疫学者ロザリー・バーテル博士は、クラーク空軍基地周辺の13地域から759世帯を対象とする健康調査を計画し、実施した。調査項目には、健康問題、経済状況、環境状況、生活状況が含まれている。注目される主要な健康問題は、女性器官、泌尿器系、神経系に関するものであった。呼吸器系の問題は、調査されたそれぞれの地域において、子どもの24〜31%について報告された。ほこりと水質の悪さが、それぞれ腎臓と泌尿器系の疾患に関連しており、腐食性の飲料水が呼吸器系の疾患に、異常な味やにおいのする水が神経系の疾患に関連していた。女性器官、泌尿器系、神経系の問題がもっとも多く見られた地域は、マルゴット、サパング、バト(以上エンジェルス県)、マカパガル、ポブラシオン、サンホアキン、カブコム(以上マバラカト県)であった。バーテル博士は、政府機関にたいし、これらの地域を、状況の改善、回復、汚染除去作業の強化地区とすることを強く勧告した。
2.1997年9月のウェストン・インターナショナル(アメリカ)による、クラーク・デベロップメント社のウェストン土壌・地下水基線調査
アメリカに拠点を置くウェストン・インターナショナルのクラーク・デベロップメント社による「クラーク環境基線調査」は、14の場所について土壌基線調査をおこない、汚染の確認作業をおこなった。調査は13の場所で汚染を確認し、全体の75%について、土壌および地下水に状態について更なる調査の必要性を勧告した。地下水基線調査においては、サンプルを採取した24ヶ所中21ヶ所において、少なくとも一種類の汚染物質が、飲料水の化学物質・細菌規準量を超えていた。
3.1997年2月、ウッドワード-クライド・インターナショナル(アメリカ)による、スービック湾自由港地帯(SPFP)における環境基線調査
この調査は、スービック湾首都圏局が、世界銀行から67万米ドルの融資を受け、ウッドワード-クライド・インターナショナルに委託しておこなわれたものである。調査では、深刻に汚染されている可能性のある地域が確認され、また、自由港の開発地域におけるこれまでの土地使用と活動および、土壌・地下水・堆積物のサンプル採取と分析の再検討に基づいて、有害化学物質が測定された。その結果、9ヶ所については7百万から1千万ドルを要する復旧作業を、13ヶ所については140万ドルを要するさらなる調査をおこなうよう勧告した。調査報告はまた、調査された場所のほとんどは、住居地、保育所または学校の建設に不適切であり、労働者が危険にさらされる可能性を指摘している。さらに、米海軍の排水システムが有害廃棄物を直接スービック湾に流す方法をとっていたことにも触れている。総合すれば、調査結果は、調査対象が非常に限定された地域でありながらも、スービックにおいては人間の健康と環境に差し迫った相当の危険があることを示唆している。
4. ポール・ブルーム医学博士、アレックス・カルロス理学修士、ジョージ・エマニュエル医学博士、セオドア・シェトラー医師による「フィリピン国内の元米軍基地における既知および汚染の可能性がある場所に関する環境と健康への影響報告」(1994年8月)
マサチューセッツ州、ケンブリッジにある非政府組織、ユニテリアン・ユニバーサリスト・サービス委員会(UUSC)、主催のアメリカ/フィリピン合同科学者チームによって書かれたこの報告書は、アメリカ国防総省文書(不完全)、WHO(世界保健機関)の文書ならびに報告、それに現地訪問と対面聞き取り調査で収集した報告を含む既存の情報を再検討したものである。報告書は14の汚染地域、17の汚染の可能性ある地域、それにスービック海軍基地の5ヶ所のさらに懸念される地域を特定した。報告書はまた、クラーク空軍基地に5ヶ所の汚染地域と10ヶ所以上の汚染された可能性のある地域を指摘している。報告書は有毒性の煤煙の移動とそれに人体が曝されることから生ずる健康面への影響についても述べている。
5.「世界保健機関(WHO)使節団報告-スービック湾環境危険度評価および調査プログラム」(1993年5月)
環境天然資源省(DENR)の環境管理局のために作成されたもの。スービック湾自由港地帯の短い歴史を含む。この基地がまださかんに海軍基地として使われていた当時行われた作戦を列挙し、地域を地勢的に描写する。報告書はまた、船舶修理施設などのスービックにおける32ヶ所の活動地域を汚染の可能性がある地点として確認し分類した。15の活動地域が優先すべき地域と確認された。つまり、詳しい現場検証とサンプリングが必要な地域ということである。さらに、68ヶ所の潜在的または既知の汚染地域、56の地下貯蔵庫、16の排水口、それに数百のトランスが確認された。
6.「スービック湾米軍施設上における米海軍による復旧の可能性のある地点」(1992年10月)
この文書はスービックにある28ヶ所の潜在的汚染箇所と米海軍が利用した汚染の可能性のある28の訓練地域と射撃場を確認した。多くの場所において、汚染が文書上では記録されてはきたが、汚染の除去は一切行なわれてはこなかった、とこの文書は述べている。他の地域では、限定的な汚染除去が行われたことがあったが、不十分なものであった。或る地域では一切調査は行われていなかったが、長年にわたる有毒物排出を示す記録から、汚染があったと疑われる。
7.「軍事基地閉鎖:フィリピンにおけるアメリカの財政上の責務」(米会計検査院、1992年1月報告)
アメリカ政府の調査部門による公式報告。クラークおよびスービック両基地の米空軍、海軍、の環境担当将校とのインタビューを基礎にいくつかの汚染地域を確認したもの。環境浄化に要する費用は「スーパーファンド(訳注:1980年制定の放置有害廃棄物除去基金)規模」に近いものとなるだろうと報告書は見積もっている。報告書はさらに、「汚染地域において土壌や水質の検査は一切行われてはおらず、したがって被害の範囲は不明である」と述べている。
8.「フィリピン共和国クラーク空軍基地における活動縮小の環境面の再検討」(米空軍、1991年9月)
これは有害な危険物質が貯蔵され、使用され、廃棄された箇所、つまり、廃液が流出し、サンプル調査した結果さまざまなレベルの汚染が明らかとなった箇所を確認したアメリカ空軍の初歩的で不完全な研究である。
9.「米軍基地によって生じた環境破壊、およびそのフィリピンへの深刻な影響」(1990年5月、ジョルジュ・エマニュエル博士)
これは1991年、フィリピンのマニラ市で開かれた「十字路国際会議」にエマニュエル博士が提出した論文である。クラークおよびスービック両基地における潜在的有毒物質および危険な廃棄物による汚染に言及した最初の初歩的研究である。論文はアメリカ本土における米軍基地と海外米軍基地の環境面の記録を再検討している。論文はまた、アメリカ国内と、海外の地域社会に及ぼすこの有害な影響について具体例を紹介している。また、フィリピンでのリチウム電池、ペンタクロロフェノールに汚染された弾薬箱、PCBトランスなど、重大な危険性をもつ廃棄物処理問題を明らかにした1986年米国防総省監察官報告を引用している。結論としてこの論文は、ほとんどの外国においては環境基準は米軍によって無視されていると述べている。
10.保健省報告:「パンパンガ、クラーク飛行場のカブコム避難センター住民の間でおこなわれたいくつかの化学物質の健康への影響に関する予備調査」(1995年1月)
この調査は、クラーク基地内、およびかつてのこの米空軍基地の周辺に位置する数多くの地域で採取されたきわめて限られた数の地下水のサンプルに基づいている。石油および油脂の点では、検査結果、32例の中で5例に汚染が実証された。保健省の調査は血液中に高濃度の鉛を含む大人や子どもたちの数が増えはじめている点に注目している。調査対象となった19人の女性の中で8人がクラーク再定住地域やカブコム(CABCOM)に滞在中に自然流産を経験している。報告は「血液学上や生殖上、また発達上の諸問題の存在は、この地域における汚染源への曝露を高度に示唆するものである」ことに留意している。
11.フィリピン人権委員会報告(1999年)
クラークの有毒物質犠牲者がフィリピン人権委員会に提出した正式の申し立てにこたえて、人権委員会法医学部局は現地調査を行い、その結果、診察した人たちが有害または毒性の物質曝露に一致する徴候や症状を示していたことを報告している。医学検査を受けた人たちが見せた徴候は、先天性欠損症、神経障害、中枢神経障害、腎臓障害、それにチアノーゼ(メトへモグロビン)であり、これらの症状は硝酸塩曝露に起因することが多いものである。クラーク再定住地域のあちこちの深い井戸から保健省調査チームが収集した水質サンプルを試験所で分析した結果、どこでも硝酸塩と水銀が存在することが明らかとなったが、これが女性たちが経験した自然流産や死産の原因とも言えよう。
環境に対する不正義の犠牲者たち
これらの予備的な科学研究や調査報告をみても納得できないというならば、犠牲となった人々自身を見てみよう。ますます多くの子どもや女性たちをはじめ、多くのフィリピン国民が殺され、障害者になっているのだ。彼らには有害物質から身を守る術が何もないのである。2000年6月30日現在、「基地汚染除去国民プロジェクトチーム」によって記録された有毒廃棄物犠牲者の総人数は272名に達し、その中の10人が既に死亡、2名は肝臓癌、2才から14才までの24人の子どもたちが中枢神経障害を患い(肢体奇形やその複合障害により、話せない、歩けない、立つことも出来ない)、43名が心臓疾患、7名が白血病、14名が白血病症状となっている。40名がさまざまな種類の癌を患い、30名が皮膚障害、24名が腎臓障害、27名が呼吸器障害、7名は未知の胃腸障害、6名が自然流産を経験している。犠牲者のほとんどは子どもたちであり(癌や白血病)、母親たちは呼吸器障害、泌尿器官や生殖異常障害、ならびに神経系統障害を患っている。以前基地で働いていた者が不可解にも未知の病気で死んだり、上と類似した障害で今も苦しんでいる。汚染を証明するという重荷はこうした不運な犠牲者たちが背負わねばならないのであろうか。もっと多くの犠牲者の亡骸が山のように積もり、通り一面に散乱するまで待たなければ、アメリカ政府は納得しないのであろうか。
クラークやスービックで最も頻繁に確認された汚染物質を列挙していくと、文書上に記録され目下流行している健康への影響と相関関係にあることがわかる。かつての米軍基地の近接地周辺では、これに対応するような障害や病気が驚くほど「集中発生」している。
アスベスト:人体発ガン性物質。肺がんの原因となる。
ベンゼン:低レベルでの慢性的曝露はさまざまな血液障害と結びつく。
それは人体発ガン性物質であり、白血病の原因となる。
クロム:腐食性があるので、クロムは慢性潰瘍の原因となり、高い危険度で癌をひきおこす。
ダイオキシン:職業上の曝露は塩素さ瘡、肝臓障害、多発性神経障害、精神障害を生んだ。
鉛:中枢神経に影響を及ぼし、昏睡や痙攣を引き起こす。貧血や腎臓疾患、不妊症、流産、生後1ヵ月以内の新生児の死亡を誘発する。
PCB(ポリクロリネイテド・ビフェニール):人体発ガン性物質の疑いがあり、動物実験では腫瘍を引き起こし、または腫瘍形成効果があった。
トリクロロエチレン:慢性的曝露は肝臓その他器官の障害を生む。
(註:汚染性物質とその健康への影響の点で私は以下の資料を参考文献として使用した:M.T. スミス、アル共著「有害廃棄物が原因の人口変化」(Cent-Eur-J-Public-Health, 1995年5月、3(2):77-9. カサレットおよびドウル共著「毒物学」:毒学入門、クラ・ゼル、第5版、1996年)
フィリピン上院の、環境と天然資源委員会、健康と人口統計学委員会、外交関係委員会は、上院各委員会に提出された7つの別々の決議に基づき、クラークとスービックにおける毒性廃棄物汚染報告に関して調査と何度かの公聴会を行った。2000年5月16日、この3つの強力な上院委員会はこの問題に関して新たに発見した事実や、委員会としての結論、勧告を含む、合同報告書を発表した。上院委員会報告237号に収められているもので、この報告は次の点を立証した:
a)「アメリカ国防総省発表の文書に基づくと、元スービック湾海軍基地とクラーク空軍基地には大幅な環境汚染が存在する。」
b)「アメリカ国防総省発表の文書からみて、アメリカ政府が元スービック湾海軍基地とクラーク空軍基地における周知のまたは潜在的汚染箇所の存在や位置について知っていたことは明白である。」
「自らの実際上管理下にある軍事基地内においてアメリカ政府が行った有害なもろもろの活動、作戦、不適切な廃棄物管理のやり方は、環境破壊を引き起こす明白な、または予知可能な危険を必然的に伴うものであった。」
「そうした危険な活動、作戦、不適切な廃棄物管理のやり方がアメリカ政府が実際に管理し自由に立ち入ることができる軍事基地内で米軍によって行われていたことを、アメリカ政府は当然知っていたか、あるいは知る手段を持ち合わせていたと推定される。」
「スービックとクラークで引き起こされた環境被害は大規模なものであり、この地域内の住民、ひいてはフィリピン全般に対して環境、人体の健康、経済面で重大な悪影響を及ぼした。」
f)「軍事基地内でアメリカ軍によって行われた危険な活動、作戦、不適切な廃棄物管理のやり方は環境破壊を引き起こした。」
g)「改定された1947年軍事基地協定は、好き勝手に有毒で危険な廃棄物を無差別に処理することによって不法行為を犯したり、撤去不可能な建物や構造物の建築と引き換えに環境を破壊しフィリピン国民の生命を危うくするよないかなる許可も権限もアメリカに与えはしなかった。」
h) 「軍事基地内で、しかもアメリカの実際の管理下で行われた活動が実質的な被害の原因となった以上、そうした被害に対してアメリカ政府には回復または補償をする当然の義務がある。」
i) 「有毒物質汚染に対する補償問題は純粋に道義的問題であるという異義申し立てにもかかわらず、1947年軍事基地協定の18条を改定した1988年マングラパス・シユルツ協定覚書第7条の解釈に関して法的問題を国際機関に提出する十分な根拠が存在する。」
j) 「有毒物質汚染に対する補償問題は純粋に道義的問題であるとの異義申し立てにもかかわらず、元スービック海軍基地ならびにクラーク空軍基地内でアメリカ軍が行った活動が、フィリピンとその国民に対して被害をひきおこさないやり方で行われるようにできなかったことに対して、国際慣習法の下では、アメリカに対して法的訴えを行う十分な根拠が存在する。」(5)
有毒廃棄物汚染に関するこの上院委員会報告は、疑問の余地なきほどに、クラークおよびスービックにおける健康と環境破壊を立証した。
結論
こうしてアメリカとフィリピン両政府は主役となるチャンスを逸し、人類、とりわけフィリピン国民に対してその重大な義務を果たし損ねたのである。最初から今日に至るまで、クラークやスービックで有毒物質汚染の犠牲者となった子ども、女性、元基地労働者、地域住民のために身代わりとなってイニシアチブを発揮し、重荷と責任を担ったのは、つぎのような政府外の行動者であり、NGOであった。「基地汚染除去国民対策委員会」(PTFBC)。この組織は最初に運動を始めた「非核フィリピン連合」から生まれ、独立した運動と計画を持つ団体へと発展したものである。「基地汚染除去アメリカ作業グループ(本部アメリカ)」および「環境問題解決のためのフィリピン系アメリカ人連合」(本部アメリカ)。
これらのNGO、つまり非政府の行動者たちは、きわめて限られた資源にもかかわらず、予備調査や健康調査、科学的調査を行ったり、その手助けをして、アメリカ、フィリピン両政府が否定し、隠蔽し、過小に見せかけようとし、無視することに努めて住民や基地労働者という犠牲者たちを不当にも有毒廃棄物汚染にさらしてきた米軍による環境汚染問題にとりくんできたのである。これらのNGOは地域社会を教育し、地域に力を与えた。これらNGOは当局に要請行動を行い、地方、国内、国際レベルでの運動を展開し、この問題と有毒廃棄物汚染の犠牲者たちの苦境を広く明らかにしたのである。健康と医療運動、すなわち「リンギャップ・クラーク」(Lingap Clark)、が犠牲者たちの医療要求に答えるために組織された。一方、環境問題における正義のための闘いは前進し、忍耐強く続いている。われわれの健康と環境、我々の地域社会と愛する土地を脅かしている有毒物汚染の防止と汚染除去のための闘いは続く。
(注)
1.レスリー・ドヤル「健康の政治経済学」(ロンドン。プルート出版、1981年。296-297頁)
2.アメリカ海軍退役提督ユージン・キャロル「米軍事基地と環境」(米軍有毒物質と基地汚染除去に関する1996年国際フオーラムの議事録。ケソン市。PTFBC, 1997年)
3.アメリカ空軍技術・サービス担当理事会の環境局が行った「全世界規模の汚染除去費用に関する米空軍調査(1990年4月)。「防衛汚染除去」第3巻、第16号(1992年7月24日)の中に引用。
4.ユージン・キャロル「米軍事基地と環境」(前掲)
5.上院決議第237号、「フィリピン上院の未発表報告書」(2000年5月16日)