地政学的思惑
冷戦の直後、ズビグニュー・ブレジンスキーはアメリカ帝国とそれをいかに維持するかという入門書を書きました。彼は、ユーラシア大陸の中核地域支配がアメリカの世界覇権に不可欠であり、そのためにアメリカはこの大陸の西部、南部および東部の周辺地域に戦略地政学的な足場を確保せねばならないと説いています。日本、韓国、西部太平洋地域の従属諸国はユーラシア大陸の東部で、NATOがユーラシア大陸の西部で果たしているのと同じ機能を果たしているのです。7
ジョゼフ・ナイは、中国台頭に懸念を表明したのとほぼ同じ頃、20世紀に2つの世界大戦が起こったのは、当時の支配的勢力(アメリカとイギリス)が新興諸国(ドイツと日本)を自分たちの体制に組み込むことに失敗した結果であると警告し、「ゆえに最も重要なことは中国を、関与、必要な場合は封じ込めを通じて、アメリカが支配する世界的体制に確実に組み込むことである」と結論づけています。ナイはそれからも、「アメリカは日本との同盟関係を維持することで、中国が台頭する環境を形成することができる。われわれは中国を国際的体制に統合することを望むが、将来中国が強国となり、攻撃的になる危険を避ける措置を講じておかねばならない」8 と書いており、これが今でもアメリカのアジア・太平洋政策の核となっています。
もちろん東アジアの状況をさらに複雑化させているのは、北朝鮮の核兵器の存在と、中国が領土保全の要である満州地域を守るために緩衝国を必要としていることです。
明確に表明された政策
ワシントンと北京は、米中の「競争的相互依存」のもたらす好機と困難を理解しています。しかし、それぞれの文化、歴史、国内政治的な思惑のちがいから、共通の利益は見えにくくなりがちです。そのためアメリカの経済危機を背景に、2012年の大統領選が近づくにつれて、中国封じ込めに注ぎ込まれる資金はさらに増えるでしょう。9
オバマ政権のアジア戦略では、「アメリカの日本、韓国、オーストラリア、フィリピン、タイとの同盟関係は、アジアの安全保障の基礎…」となっています。日本は、アメリカの政策の「かなめ石」としての役割に加えて、「韓国とともに、地域的、世界的諸問題に対処するためのますます重要なリーダーでもある」と同戦略は強調しています。10
この「戦略」は、アメリカが「中国とは、前向きで建設的、そして包括的な関係を求めている」と繰り返しながらも、「われわれは中国の軍事近代化計画を注視し、アメリカと同盟国の利益が地域的にも地球規模でも悪影響を受けないようにするため、しかるべき準備を行う」とも警告しています。11
かなめ石と対立
鳩山・小沢政権の崩壊をオバマ政権のせいにすることはできませんが、アメリカは罪のない傍観者だったわけでもありません。鳩山氏の東アジア経済共同体構想は、その定義からしてアメリカを疎外することになったでしょうし、普天間基地移設協定の再交渉を民主党が公約したこと、アメリカとの日本への核持ち込み密約の存在を認めたことなどすべてが、アメリカのアジア・太平洋地域の最大の同盟国日本に対するアメリカの信頼を損なってしまいました。
民主党の失政、スキャンダルや方針のゆれ、日本経済の低迷などすべてが7月の参議院選での民主党の敗北の原因でしたが、アメリカの側も、普天間問題で強硬姿勢を崩さず民主党の弱点と動揺を際立たせることで、それに手を貸したのでした。12 天安号沈没事件や強硬な軍事演習を見た日本人の中国に対する不安が高まるなか、米国防総省は辺野古新基地建設に代る代替案を検討することを拒否しました。それは、「普天間・辺野古合意を守らないのなら、日本は単独で北朝鮮や中国に対抗することになるかもしれないぞ」という暗黙の警告でした。
党首選で菅首相が小沢氏を破ってまもなく、ワシントンのやり方はもっと露骨になりました。来日したリチャード・アーミテージは菅氏の勝利を称え、「日米が今もしっかりと歩調を合わせていることをそれとなく中国に伝えようではないか」と持ちかけました。鳩山・小沢路線による日米関係破綻修復の「最善の方法」は、日本の軍事費をわずかに増額して中国に「合図を送る」ことだと進言したのです。そして「尖閣諸島問題について何も言う必要はない、それでメッセージは十分明確だ」と忠告しました。13
菅首相と前原外相はそれ以上のことをやりました。彼らは普天間基地問題をこじらせて同盟関係が損なわれるようなことはしないと誓ったのです。APEC首脳会議の最中にオバマは菅首相を促して日本のTPP交渉参加を約束させ、今後も日本が「思いやり予算」として毎年22億6千万ドルを拠出することを確認させました。また菅首相は、アメリカのアフガニスタンでの戦争への憲法違反の自衛官医師の派遣を提案しました。さらに「日米の対中国戦略強化のため、共通の戦略目標」をアメリカと共同で作成するとまで約束したのです。
最も重要なのは、日本政府が今月発表する戦略的防衛見直しに向けて菅首相が以下を約束したことです。沖縄西部の諸島に兵員を配備し、中国海軍の活動を監視し、対応する。武器輸出禁止の解除。数兆円を投じて日本の潜水艦艦隊の規模を3倍化し、アメリカからF-35型攻撃機を買い入れる。
これらすべての提案にワシントンは大喜びしています。ある米政府高官は、「神経質に歯ぎしりしながらのいい訳をもう聞かずにすむ。やっと一緒にやれないことではなく、やれることについて話し合うことができる」と語っています。14
オバマ政権と中国
この一年、中国は、日米支配体制の限界を試すような行動に出てきました。なかでもアメリカ政府が懸念したのは、中国が鉱物資源の豊富な南シナ海にたいする完全な主権を宣言したことです。南シナ海のシーレーンは、東アジアのエネルギーと貿易のライフラインとして、中国にとっては領有権主張しているチベットや台湾と同じくらい「中核的な国家的利益」がかかっているからです。これら中国のアメリカのアジア地域での覇権にたいする挑戦行為は、アメリカがASEAN諸国に対して、「ワシントンという、とても頼もしい友人」のことを思い起こさせる機会ともなりました。15
クリントン国務長官とゲーツ国防長官はこれに対応して、南シナ海での自由航行はアメリカの「中核的」国家的利益であると述べました。この発言に続いて、国連ではオバマとASEAN諸国首脳の会談が入念に演出され、中国の主張に反対して両者が団結していることをアピールしました。その直後には、ベトナム軍将軍の空母ジョージ・ワシントン艦上での歓迎、米・ベトナム合同軍事演習、カムラン湾への米軍艦船再入港の歓迎ぶりなど驚くような映像が流れました。やはりASEANの域内で、オバマ大統領のインドネシアへの里帰りがあり、ある大統領顧問はインドネシアを「アメリカの多くの重要な利益が交差する場所として、将来のアメリカのアジアでの利益にとって重要なパートナーである」と語っています。
中国包囲という観点から見ると、ベトナムやインドネシアの重要度はインドに比べると霞んでしまいます。オバマ大統領が11月の歴訪旅の最初の訪問地に選んだのもインドです。インドは中国と、国境紛争、中央アジアでの勢力争い、インド洋での海軍力競争など、困難な歴史を抱えてきました。米印核協定交渉をはじめ、ニューデリーとワシントンは「敵の敵は味方である」を基礎に暗黙の同盟関係を結んでいます。こうしてオバマ大統領は、軍用に転用される恐れのある技術にかんする輸出規制の撤廃、インドの国連常任理事国入りへの支持などの約束を携えてインドを訪問し、米印関係は「21世紀を定義するパートナーシップだ」と宣言したのです。16
ヒラリー・クリントンが「新しいアメリカの時間」と呼ぶ安全保障における米海軍の役割について少し付け加えたいと思います。以前のイギリス同様、アメリカの戦略地政学者も、アメリカが島国であり、ユーラシア大陸に影響力を持つためには海軍力が依然、不可欠だと考えています。そのため「海事上の周縁国は引き続き枢要」なのです。アメリカが19世紀に帝国を建設するのに、アジアへの踏み石としてハワイ、フィリピン、グアムの征服が不可欠だったように、21世紀においてこれらの侵略拠点を維持し近代化することは、それと同じくらい重要だとみなされています。17
こうして米軍基地インフラは、アジア・太平洋地域全体で「多様化」しています。沖縄での基地強化計画、チャモロ民族を犠牲にしたグアムの軍事「ハブ」化、インドネシアへの摺り寄り、ベトナムやインドとの暗黙の同盟関係、米議会諮問委員会の「アジアの台頭諸国の脅威に対処する海軍の拡大」のよびかけなどがそれです。クリントン政権やブッシュ政権の上級顧問による超党派報告は、米海軍の保有する戦艦を282隻から346隻に増やすよう求め、「アメリカは、アジア・太平洋の全地域に存在し、自国の国民の生命と領土を防衛し、自由な貿易を保証し、この地域の安定と同盟国の防衛をおこなわなければならない。主に海軍戦略を基礎とし、海軍以外の必要な能力も備えた強固な米軍体制が不可欠だ」と助言しています。18
抵抗と共通の安全保障
友人のみなさん、歴史の現実、朝鮮半島の危機、この地域の大国間の野望のせめぎあいなどを考えると、ユートピア的夢を抱くことはできないでしょう。しかし、強力な歴史的勢力がここには存在しています。長期にわたって続けられてきた人々の行動です。それは、これまでとちがう未来は可能なだけではなく、もし私たちが闘えば、保証されることを証明しています。その第一が沖縄の人々の抵抗と必然的な勝利です。沖縄はすべての米軍基地撤去を勝ち取るでしょう。
その次は衰退です。3世代にわたって形成され、強制されてきた、第二次世界大戦後のアメリカ帝国に奉仕する体制と同盟は、時代遅れで見掛け倒しで、ますます正当性を失っています。その結果、世界の人々はアメリカを見習うべきお手本とはみなさなくなり、アメリカの政治的、経済的、軍事的あるいは文化的覇権から開放された未来を展望し、創造するようになっています。
3つ目は帝国の疲弊です。アメリカ国内の強力な勢力が軍事費の大幅増額を求めても、国家にそうする力はありません。私の人生で初めて、米国議会には軍事予算削減の真剣な提案が出され、債務削減を検討している超党派委員会はアメリカの在外軍事基地を3分の1削減するよう勧告しました。19
そして最後に、私たちはともに活動することが共通の利益であり必要であることを認識しなければなりません。辺野古の人々を犠牲にして宜野湾市民を苦痛から解放することは何の意味もありません。それと同じように、ペンタゴンがグアムの人々をさらに苦しめるのを支持して問題を解決しようとするべきではありません。一世代前、ヨーロッパでは冷戦を終らせるために「共通の安全保障」という概念が使われました。もし、アメリカ、日本をはじめ太平洋・アジア諸国の人々が将来の安全保障と繁栄を手に入れようとするなら、私たちもまた、覇権の追求ではなく共通の安全保障を目標とする政策を求めるべきでしょう。
どうもありがとうございました。