2009年日本平和大会in神奈川 国際シンポジウム・パネリスト発言
川田 忠明(日本)
日本平和委員会
アジアの平和構築における市民の運動と世論の役割
シンポジウムのテーマに関連して、アジアにおける市民の運動と世論の役割について発言したい。
沖縄の米海兵隊・普天間基地めぐる問題が、重大な焦点となっている。図は基地周辺にある小中学校、幼稚園と病院をマーカーで示したものである。基地は日常生活の只中にある。2004年8月13日、普天間基地所属の大型輸送ヘリコプターが、沖縄国際大学に墜落、炎上した。幸い市民に負傷者はなかったが、墜落地点がわずかでもずれていれば大惨事になっていた。
在日米軍基地は、国民の安全と生命を日々脅かしている。国民をまもるのが安全保障だというなら、この「脅威」を直ちにとりのぞくことこそ政治の責任ではないか。私は、憲法が宣言した「恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」、すなわち平和的生存権の行使として、普天間基地の即時閉鎖・撤去を要求する。
日本政府は「日米同盟を損なってはならない」ということに気を取られ、多くの商業マスコミも、アメリカは「苛立ち」「信頼関係が揺らいでいる」と書き立てている。だが、世界を見渡せば、米軍基地を閉鎖したからといって、対米関係が悪化し、国民に実害がもたらされたことはない。
南米の要衝の地、エクアドルのマンタ基地に配置されていた米軍は、基地使用協定を延長しないというエクアドル政府の判断にしたがって、今年9月に撤退した。その結果、両国の緊張が高まったという話はない。かつて「米国の裏庭」と言われた南米も、もはや米国が力づくで、意のままにできる状況ではない。むしろ問題は、アメリカがエクアドルの隣国コロンビアに新たな基地を建設しようとしていることである。基地撤去ではなく、新基地建設が緊張を生み出しているのだ。
米軍基地反対の世論が効いている――アメリカの戦略文書から
約40カ国に1000を超えると言われる米国の軍事基地のネットワークは比類がない。しかし、米軍基地や米国との軍事同盟によらない自主的な流れが世界各地で拡大している。こうしたもとで米政権は、同盟国に基地をおき、それを自由につかえる時代が終わりつつあることを、実はしっかりと認識しつつある。
ブッシュ政権はアフガニスタンとイラクへの戦争で、世界の批判に直面したが、そのなかで彼らが重視したのが、「同盟国の政治的な事情」、国民的な反発によって、基地が使えなくなったり、領空や領土を通過できなくなったりした場合の対応だった。
例えば、9.11同時多発テロの後に発表された軍事戦略 (1)は、米軍が駐留したり、寄港したりすることが同盟国などによって拒否される可能性を計算に入れて、海外の駐留態勢を見直す必要があるとのべている(2)。2004年にブッシュ政権が議会に提出した文書は、海外の米軍基地の強化を打ち出す一方で、米軍基地がもたらす様々な負担−その中には、受入国がこうむる基地被害や経済的損失もふくまれる−によって、その地域の世論や感情を害することを避けなければならないと強調している(3)。
こうした懸念をより率直に語った海兵隊の論文がある。そこでは「同盟国や友好国が、必要なときにその領土を使用する権利を合衆国に認めなくなることを我々は心配しなければならない」とし、その理由を、次のように述べている。「我々の利益は、同盟国や友好国の利益とますます一致しなくなっている。(中略)今日同盟国の多くは、我々に安全保障を以前より依存しなくなっている。結果として、世界中、とりわけ第三世界で、反米主義、反グローバリズム、そして、反米軍プレゼンスの劇的な増大がある」(4)
ここでいう「反米主義、反グローバリズム、そして、反米軍プレゼンスの劇的な増大」とは、米軍基地に反対する世論と運動の発展に他ならない。
さらに米国防総省が2005に発表した文書は、「多くの国は、米軍基地を受け入れたり、その領域へのアクセスを許したりすることは、政治的に耐えられないと思うかもしれない」と不安を語り、「米軍の基地にたいする寛容さが減少している」具体例として「日本、サウジアラビア、ギリシャ、韓国、イタリア」をあげている(5)。「寛容さ」が減少している国に日本があげられているのは、我々の運動の反映と言っても過言ではないだろう。
米国の民間研究機関「フォーリン・ポリシー・イン・フォーカス」のアニタ・ダンク氏はこうした状況をふまえ、「米軍基地を受け入れる国々の(米軍への)敵意が、基地配備に変化をもたらしてきた」とのべ、米戦略を練り上げる中枢部分が、米軍基地に反対する世論を無視できなくなっていると分析している(6)。
このように米国は、「世論の反発で、基地がつかえなくなる」ということがやがて現実のものとなると考えている。すでにエクアドル以外にも、フィリピン、プレルトリコ(ビエケス島)、イタリア(サルディニーア島)で米軍基地や演習場が閉鎖され、イラク戦争ではトルコが、旧ユーゴ攻撃ではギリシャが、米軍の領空・領土の通過を拒否した。もちろん、米軍はつねに他の選択肢をみつけてきたし、また、みずから基地を手放すことはけっしてない。だが、「国民の反発」が基地撤去につながることをアメリカ自身が懸念するほどに、我々の運動と世論は「効いている」。米国がそこまで心配しているのなら、それを現実のものにしようではないか。
核兵器も外国軍基地もないアジアへ−市民社会の役割
米軍基地反対をはじめとする平和の世論と運動は、発展しつつあるアジアの平和潮流の一翼を担ってきた。
東南アジア諸国連合(ASEAN)は2015年に、ASEAN共同体の実現をめざしている。その基礎となる憲章によれば、この共同体は「平和、安全と安定」「非核地帯」を特徴とし、「独立、主権、平等」「侵略、武力による威嚇とその行使の放棄」「紛争の平和的解決」、外国軍事基地の禁止などを原則とする。
重要なことは、この共同体づくりが、非政府組織など市民社会の参加を重視していることである。ASEAN憲章は、その第1条に「社会のあらゆる階層が参加し、利益をうる人民志向のASEANを促進する」(13項)ことをかかげている(7)。憲章が昨年末に発効して以降、政府代表と市民代表との対話フォーラムが、ASEAN事務総長や各国閣僚も出席して、すでに2回開催されている。10月にひらかれた2回目のフォーラムでは、経済、人権、民主主義の課題とともに、軍縮や武力不行使、核兵器と大量破壊兵器の禁止などももりこんだ市民側の要求書が提出され、政府代表と協議がおこなわれた。
この政府と市民との共同は、はじまったばかりで、様々な不協和音があることも事実だが、地域共同体づくりが、市民参加ですすめられようとしていることは重要である。それは世界の新しい平和秩序の確立が、政府のみならず、「諸国民の不断の努力」を必要としていることを示している。
重要な力を発揮したアジアの反核世論
アジアにおいて、平和の世論と運動は歴史的に重要な役割をはたしてきた。例えば、アメリカは幾度となくアジアで核兵器の使用を検討したが、その企みは、つねに強力な反核世論によって断念させられた。
1950年11月、ダグラス・マッカーサー司令官は朝鮮戦争の局面を打開するため、中国本土への核攻撃を進言した。しかし、広島と長崎への原爆投下を指令したトルーマン大統領が、この計画を断念した背景に、核兵器禁止をもとめたストックホルム・アピール署名運動の「抵抗を許さない力」があったことを、ヘンリー・キッシンジャー氏は指摘している(8)。
数年後にアメリカは再び核使用を計画する。1954年、当時のニクソン副大統領は、ベトナム・ディエンビエンフーの戦いでフランス軍を支援するため、原爆投下をアイゼンハワー大統領に提案した(9)。だが、その実行阻止したのもやはり世論であった。
当時のダレス国務長官宛のメモ(1954.4.7)は、「3発の原子兵器でヴェトミンの息の根をとめることができる」と主張した。だが、国務省は「原子爆弾の使用は、アジアの世論と同盟諸国の我々に対する態度という点で深刻な問題を引きおこす」(国務省内メモ、54.5.11)と判断し、これを断念した(10)。
ここで日本が念頭にあったことは疑いない。なぜなら、この時期、日本では54年3月のビキニ水爆実験被災を契機に、原水爆禁止署名が全国にひろがり、翌年の第一回原水爆禁止世界大会開催につながる国民的な運動の発展があったからだ。
ベトナム戦争と反戦運動の高揚が、アジアの平和潮流を発展させる重要な契機となったことも付言しておきたい。戦争中の71年11月にひらかれたASEAN特別外相会議は、「平和、自由、中立地帯構想」宣言を発表し、平和共同体をめざすことを宣言した。反共的で閉鎖的な連合であったASEANが転換をとげた背景には、日本とアジアをふくむ国際的な反戦運動の高揚があった。ベトナム戦争終結翌年の76年に締結された東南アジア友好協力条約は、今日ではアメリカ、欧州連合も調印し、世界人口の68%をカバーする平和のプラットフォームを提供するものへと発展をとげている。
こうしたアジアにおける世論と運動の役割に確信をもち、それをさらに発展させることが期待されている。
新しい日米関係と世界の平和秩序にむけて
では、日本の運動には、どのような世論構築が求められているのか。
日本政府が、普天間基地問題で「迷走」している根本には、「日米同盟を機軸」とする路線がある。多くの日米の為政者や商業マスコミも、北朝鮮などの脅威への「抑止力」などとして、膨大な米軍の駐留と日米軍事同盟を不動のものと見る傾向がある。この「神話」をのりこえ、新しい日米関係を求める国民的な世論の構築が求められている。それは、日本がアジアの平和潮流に合流していくうえでも重要な意義をもつ。
タイの憲法起草会議メンバーもつとめたスジット・ブンボンカーン氏は、日本とASEANの関係について次のように指摘する。「(日本に)防衛、安全保障で対米依存があるということがあるので、ASEANとしては日本と積極的に協力を強化していこうということについては躊躇がある」「対米依存から脱却しなければ、我々がどのような形で今後、安全保障の面で協力できるのか(中略)考えられない」(11)
その兵力や戦略からあきらかなように軍事同盟の枠内で日米は対等ではありえず、アメリカの政策が優先される。軍事同盟を「機軸」とするスタンスから抜け出し、地球温暖化や核兵器廃絶など世界が直面する課題で有意義な協力をすすめる、対等で、非軍事的な日米関係こそが求められている。その点で、普天間基地問題は、新しい日米関係へ前進できるのかどうかの、重要な試金石の一つである。
対等で友好的な新しい日米関係は、アジア全体に積極的な影響を与えるだろう。アジアの安全保障環境は根本的に変化するに違いない。それは、富と力の序列が支配してきた世界の秩序を終焉させ、国連憲章がめざす平等な諸国家の平和的共同の実現にむけた重要な貢献となる。安保改定50周年を迎える来年、国民的な議論をまきおこし、新しい建設的な対米関係の確立と、日米安保条約の廃棄をもとめる世論を築きあげていくことが求められている。そのために尽力する決意を申し上げて、発言としたい。
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(1) Department of Defense, Quadrennial Defense Review, (Office of the Secretary of Defense, 2001) 「国防総省 4年ごとの国防計画見直し」米国防長官が4年に1回行う国防戦略全体の見直し。基本戦略から兵力、装備体系までが検討され、その結論が議会に報告される。
(2) Ibid., p. 17.
(3) “Department of Defense, Strengthening U.S. Global Defense Posture” (Washington DC: Under Secretary of Defense for Policy, 2004), p. 16.
(4) “USAWC STRATEGY RESEARCH PROJECT SEABASING: A CRITICAL ENABLER OF THE JOINT EXPEDITIONARY FORCE” (Lieutenant Colonel Dale E. Houck, United States Marine Corps, March 2005)
(5) “Seabasing Joint Integrating Concept Version 1.0” (01 August 2005) p.5, p.16, p.17
(6) “The Cost of the Global U.S. Military Presence” (“Foreign Policy In Focus”, Anita Dancs, July 3, 2009) p.6.
(7) “To promote a people-oriented ASEAN in which all sectors of society are encouraged to participate in, and benefit from,” (Article 1.13)
(8) 「全世界で五億人以上の署名が集まったという、1950年のストックホルム平和アピールにはじまる平和運動は(中略)非常に危険である。(中略)平和の重要なことと、核戦争の恐怖に同意すること外には、別に何も求めないというアピールは、殆ど抵抗を許さない力をもっていた」(ヘンリー・A・キッシンジャー『核兵器と外交』1957、日本外政学会 p.467-8)
(9) リチャード・ニクソン『ノー・モア・ヴェトナム』 (講談社、1986)
(10) 矢野暢『冷戦と東南アジア』 (中央公論社、1986) p.165-8
(11) 第7回日・ASEAN対話「東アジア協力に関する第二共同声明後の日・ASEANパートナーシップの展望」(2008年9月24-26日、共催グローバル・フォーラム、ASEAN戦略国際問題研究所連合) |