2009年日本平和大会in神奈川 国際シンポジウム・パネリスト発言
イ·ジュンキュ(李俊揆)(韓国)
労働者代案社会学習院講師
2010年に向けての課題-朝鮮半島からの視点
韓国の李俊揆と申します。
今回は平和大会にお招きいただきありがとうございます。
今日私が申し上げたい話は、いわゆる「北朝鮮の核問題」、そして在韓米軍や在日米軍で代表されている韓米·日米同盟のことであります。前者と後者は視点によっては別の問題に見えるかもしれませんが、二つのイシューはお互いに緊密にリンケージされているというのが私の考えであります。
朝米両国間の両者会談が予定され、膠着している朝鮮半島の情勢に突破口ができるのではないかという期待感が現れています。「北朝鮮核問題」においてターニングポイントに立っていると言えるでしょう。
オバマ政権の特別代表であるボスワースの訪朝は、2002年10月ブッシュ政権の特使であったケリの訪朝とは違う結果に繋がるのではという期待なのであります。当たり前のことではないかといわれるかもしれませんが、2002年10月「ケリの訪朝」が1999年、2000年頃から急速に進展していた朝鮮半島平和プロセスが中断されたきっかけになったのは私たちの記憶に残っています。ブッシュ政権の登場は、世界情勢全般に与えた影響も大きかったのですが、朝鮮半島の運命が変わってしまって、第一期のブッシュ政権4年、それから2005年「9.19共同声明」が出されるまで「失われた5年」を過ごしたのであります。だからこそ、北朝鮮やイランなどの国と直接対話をうったえていたオバマ政権の誕生で期待が高まっているのは当然のことであります。
紆余曲折もありました。今年4月5日北朝鮮の「人工衛星実検」に対しての日本の麻生政権と韓国のイ·ミョンバク(李明博)政権の対応は結局、北朝鮮を非難する国連安保理議長声明につながなりました。その議長声明のもたらした結果が5月北朝鮮による2回目の核実験なのであります。しかも前政権の政策全般を見直そうとしているイ·ミョンバク政権の登場以来、朝鮮半島の南北関係は膠着状態が続いています。そのなかで今夏ごろから本格的に始まった北朝鮮とアメリカの対話に期待を抱いているのであります。
しかし、相変らず「北朝鮮核問題」解決の展望が不透明な状態に落ちいているのは否定できない現実であります。北朝鮮とアメリカの直接対話が何らかの成果を出せるか、6者会談などの多国間協議の再開につながり北朝鮮核問題解決プロセスの再開ができるだろうかなど課題は残っています。
特に「ほんとうに北朝鮮が核を放棄する意志があるのか」について疑問を抱いている声が存在しています。実際に私は去年の夏から一年間日本に滞在してフィルド研究を行なっているあいだにしばしばそのような質問を聞かれました。基本的にそのような質問は間違っていると、私は思っています。今現在私たちに必要な質問は「北朝鮮に核を放棄させるために何をすべきなのか」であると思っているからです。
さらには「北朝鮮が核兵器放棄の意志があるのか」という質問は、朝鮮民主主義人民共和国というひとつの国に対しての先入観や偏見に繋がりかねないのです。先入観と偏見は、対北朝鮮政策の選択肢を狭め、「北朝鮮核問題」解決を難しくするのです。さらには東アジアの平和な秩序の構築にも逆行する結果を招きかねないのであります。
去年の秋ごろから今年の春ごろまで韓国、日本、アメリカのマスコミや情報機関を中心にして流行っていた北朝鮮の後継者問題をその例として取り上げたいと思います。実際にアメリカのヒラリクリントン国務長官が今年2月アジア歴訪の際、北朝鮮の後継者問題を言及し北朝鮮を刺激したことがあります。その発言に対してはニューヨークタイムズも「外交の禁忌を破った」と評したのであります。
今年3月には韓米両国の共同軍事訓練がありました。その軍事訓練に対しては、「北朝鮮有事事態」を想定し在韓米軍と韓国軍-韓米連合軍-の介入を設定している「作戦計画5029(operational plan 5029)」の練習ではないのかという問題提起がありました。その訓練に北朝鮮が大反発したのは当然です。しかもシャプ(Walter Sharp)在韓米軍司令官は4月、10月続けて北朝鮮有事への対策を強調しています。それらは今年の前半期アメリカが日本と韓国の対北朝鮮強硬策-制裁論-を受け入れた背景を、すべてとは言えませんが、その一部は説明してくれていると私は思っています。「北朝鮮崩壊論」または「オバマ政権版の北朝鮮体制交替論」と言っても過言ではありません。
北朝鮮の急変あるいは崩壊などは、韓国から考えると想像したくもないのですが、だとえそのような事態が起きても平和的な解決の方法を探るのが常識であります。しかし「韓米同盟はすべての事態に対して万全を期している」という自慢話の下で、私たちの予想できる東アジアの将来はカオスなのであります。北朝鮮の急変事態(有事)⇒韓米連合軍の軍事的介入⇒日本の自衛隊の後方支援、それらに対しての中国とロシアの対応と介入に繋がる「東アジアのカオス」が、彼らの言い続けてきた「同盟の精神」なのか疑問を持たざるを得ません。
もちろん、「北朝鮮核問題」において今現在の段階は膠着から対話へという突破口づくりの段階であります。もう少し視野を広げて見ると、東アジアや世界の情勢が激動していることがわかります。アメリカで「核兵器のない世界」をうったえているオバマ政権が登場したのは大きい意味を持っています。特に最初から対話と交渉を拒否していたブッシュ政権の状況は繰り返されないだろうという希望の含まれた予測が出ていることは事実です。 政権交替を通して登場した日本の鳩山政権が北朝鮮との対話再開の可能性を言及していることも重要なのです。少なくとも問題解決のなかで足を引っ張る動きは見せないだろうと期待しています。逆に韓国の現政権はその対北朝鮮政策の転換を図らないと、今後の展開のなかで孤立を招くか、邪魔者扱いされる可能性もあると思います。
しかしオバマ政権の登場にもかかわらず、状況が危機に変わる可能性はあります。水面下に潜伏している危険要素が浮上する可能性もあります。実際に、4月5日北朝鮮の「人工衛星発射」とそれに対するアメリカ主導の制裁、北朝鮮の核実験と国連安保理の1制裁決議などの状況はそのような現実を見せてくれる例であります。日本の鳩山政権も2002年首脳会談を契機に最優先の課題になった「日本人拉致問題」を勘案するならば、対外環境の変化によっては対北朝鮮政策の転換を試みることさえできないと考えられます。
一方、北朝鮮の核問題を巡った朝鮮半島の情勢が進展と膠着を繰り返しているあいだに、東アジアの平和や世界の非核平和に反する現象や措置は力を得ると予測できます。まずは「核抑止論」が考えられます。それから、核抑止論の根底に存在しているとも言える同盟への執着であります。ここで執着という表現を使ったのはそれほど政治心理的に「異常」とも言えるからであります。
核に対しては核を持って対抗するという核抑止論は、韓国や日本から見ると、アメリカによる核の傘が考えられます。その極端的な表れは核武装論なのであります。「極端」と言っていますが、実は核抑止論の論理のなかで自らが核武装をするという発想に至るのは、あまり不自然なプロセスではないと思います。
韓国保守系の一部の議員は「核主権論」を持ち出して韓国もウラン濃縮やプルトニウムの生産ができるようにすべきであると主張しています。彼らは日本との公平性やオルタナティブエネルギーの側面を前面に出していますが、濃縮ウランやプルトニウムの生産が「核潜在力(nuclear potential)」の確保を意味していることを否定していません。2006年、2009年北朝鮮が核実験を強行したたびに日本で核武装論が浮上し、日本国内だけではなく周辺国の懸念を招いたことは良く知られています。
2006年、2009年の二回にわたる北朝鮮の核実験の際、韓国と日本両政府ともにアメリカの提供している核の傘を確実なものにするために動いていました。韓国のイ·ミョンバク政権は今年6月の韓米首脳会談で、「核の傘の提供―拡大抑止(extended deterrence)-」を共同声明に明文化したことを最大の成果として宣伝しています。そのなかで私たちは核抑止論の根底に存在している同盟への執着を確認することができます。
それだけではありません。現実のなかで実現されているミサイル防衛(MD)の実戦配備とその推進はときには「北朝鮮の脅威」を、ときには「中国の脅威」を理由にして進行されています。日本のミサイル防衛は表では北朝鮮の核とミサイルの脅威を前面に出しているが、それと同時に中国の核能力とその投射能力の増強が言及されているのは良く知られています。韓国の場合、アメリカの主導しているミサイル防衛には参加しないという公式方針とは違って、いわゆる「韓国型のMD」を推進しています。韓国国内では事実上、東アジアミサイル防衛への参加ではないかと疑われています。
オバマ大統領は今年急9月東ヨーロッパでのミサイル防衛計画を撤回すると宣言しました。ブッシュ政権のミサイル防衛がABM条約を無力化し、「START」プロセスを中断させたのは周知のとおりです。東ヨーロッパへのMD配備計画はロシアの反発を招き、ロシアとアメリカの新たな軍備競争を呼び起こすという警告の声もありました。だからこそ、今回の宣言は歓迎すべきことであります。
しかしそのような新たな流れが東アジアには及んでいません。東アジア地域のMDは依然として推進されています。表面の名分は北朝鮮の核とミサイルに対応するということなのですが、その結果は旧来の「米·日·韓VS中·ロ·北」という冷戦時代の対立関係の復活なのであります。その実効性にもクエスチョンマークが付いているMDの配備によって、むしろ東アジア軍備競争の土台が作られてしまうのであります。しかもアメリカ主導の東アジアMD配備が、そのかたちをとわず、完成されればそれに対しての中国の対応、つまり中国の核能力や核投射能力の増強につながりかねないのであります。そのようなシナリオは「核兵器のない世界」には反するものであり、同盟や同盟の精神を言い続けている者たちがそのシナリオを現実にする方向へ進んでいるのはいかがなものなのかと聞きたいのであります。
冒頭で私は「北朝鮮核問題」のターニングポイントという表現を使いました。しかしもうちょっと深く考えれば、東アジア全体においてのターニングポイントではないかと思われます。韓国から考えると、元々「北朝鮮核問題」は「北朝鮮の問題」ではなく、「東アジアのなかの朝鮮半島問題(Korean Question in East Asia)」であるからです。
実際に、20年近く「北朝鮮核問題」に取り組んできた私たちの経験から得た教訓は、関連諸国が北朝鮮核問題を朝鮮半島と東アジア全体の新しい平和体制の構築という目標にリンケージさせ、真剣に交渉に望んだ時には解決の道が見えてきたということです。その反面、「北朝鮮核問題」を「北朝鮮の核保有」という孤立した問題にし、関連諸国の協力より自国の安全保障の強化だけを追求した時には状況が悪化する一方であったことであります。
韓国のある研究者は第一次北朝鮮核危機(1993-1994)、第二次北朝鮮核危機(2002-)、第三次核危機(2009-)という表現を変えて、第一次戦略的転換期、第二次戦略的転換期、第三次戦略的転換期と表現しています。私たちの良く知っている「危機はチャンスでもある」という言葉の応用とも言えるでしょう。それから、北朝鮮核問題の根本的な解決のためには東アジア秩序の「リセット」-だとえば、朝鮮半島の平和協定、朝米関係正常化、日朝関係正常化、東アジア多国間協力システムの構築など-が求められている現実を反映した考えであると思います。
その考えから見ると、今現在は東アジアにおいて第三次の戦略的転換期であると言えます。最後には結論に替えてその戦略的転換期においてのいくつかの具体的な課題を提案してみたいと思います。
第一は速やかに平和協定の交渉を進めることであります。2005年合意した「9.19共同声明」は第四項で「直接の当事者は、適当な話合いの場で、朝鮮半島における恒久的な平和体制について協議する」と明記していますが、平和協定の交渉はまだ始まっていません。北朝鮮は今年に入ってから、一貫して朝米両国の軍事的問題の解決を要求しています。 平和協定はその活用の方法によっては北朝鮮核問題解決のための六カ国協議などの多国間協議の進展の後押し役を果たすことができると思います。
第二は平和協定とともに、北朝鮮とアメリカ、北朝鮮と日本の関係正常化を推進していくことであります。韓国、日本、アメリカには平和協定や朝米関係正常化、日朝関係正常化の交渉に応じるのは北朝鮮の戦略に巻き込まれる恐れがあるという見方があります。しかし平和協定や朝米·日朝国交樹立は「北朝鮮核問題」の解決だけではなく、朝鮮半島の平和や東アジアの平和のために避けては通らない課題であります。
特に、日本は朝鮮半島問題(Korean Question)に責任のある国です。日本は朝鮮半島の殖民、分断、戦争、対立という歴史が提起しているクエスチョンに答える義務があります。日朝関係正常化はその答えのひとつでもあります。来年は日本による韓国強制併合100周年になり、その年に日本が朝鮮半島の平和に貢献できるチャンスを見逃さないよう期待してみます。
第三は同盟の政治からの脱却です。「核の傘」、「ミサイル防衛」は前述したとおりです。現実的に考えても、最近明らかになっているように、アメリカヘゲモニーの衰退はいわゆる同盟国にその負担を増加させています。アメリカによって「同盟国」の安全が守られているというのはただの神話であることが明らかであります。私たちは在韓米軍·在日米軍の再編を通してはっきりとわかるようになりました。むしろ、アプカン戦争やイラク戦争のように「同盟国」がアメリカの起こした戦争や低強度紛争に巻き込まれるケースが増えています。地域の住民生活の犠牲の上に立って維持されてきた米軍基地が、日本や韓国の全国民の平和的生存権を脅かす物的土台になりつつあるのです。
さらには「同盟の政治への執着」という政治心理は外交·安全保障関係のエリットや政治家だけではなく、一般市民の生活にも浸透し韓国と日本の市民は韓米同盟と日米同盟が生み出した二国間主義を現実のものとして受け入れており、これによる軍事的緊張と戦争の危険性については認識していないのが実情であります。むしろ、アメリカによる安全保障の傘から抜け出すことは、未来の不確実さを増大させるという認識が一般的なのではと思います。
肝心なことは韓国と日本の市民、ひいては東アジアの市民が歴史の教訓を共有し、現存する可能性の空間を活用できる想像力を働かすことなのです。その一歩が同盟の政治から思考の開放なのであります。そのなかで、「自国安全の確保のために」ではなく、「共通の安全と平和のために」を実現できる「多国的・多者的」ビジョンを作り出し共有していくことであります。 |