2009年大会INDEX

2009年日本平和大会in神奈川 国際シンポジウム・パネリスト発言

line

ジョン・リンゼー・ポーランド
(アメリカ)

アメリカ友和会

line



軍事基地撤去:自分たちの言葉で語り、一人ひとりに役割を見つけて


 私は、世界の米軍基地、特にラテン・アメリカにある米軍基地を閉鎖する運動について皆さんとお話しする機会をつくってくださった日本平和委員会に深く感謝します。

 先日、カリフォルニア州にある家の近くの地下鉄の駅で、私は壁に掛かっていた広告パネルを見ていました。広告パネルは、いずれも2枚組になっていて、驚くべきものでした。最初のは医療用マリファナの宣伝と「バイオハザード」というガンシューティングのビデオゲームの広告の組み合わせでした。後者はテレビを銃のようなもので狙っている女性を怪物がそそのかしている絵で「自分の影の部分を表に出せ」と言っていました。二つ目の組はインフルエンザの予防注射を呼びかける広告と、「レフト・フォー・デッド」というホラー映画のおどろおどろしい手の絵がついた広告でした。三つ目の組は、退役軍人省の「本当の勇士が助けを求めるのには多くの勇気がいる」と書かれた、カウンセリングを必要としている退役軍人向けの広告と、やはりホラー映画「ソウVI」の広告でした。この映画はサディスティックなゲームを強要される企業犯罪者の残酷な死を描いています。そして最後の組は「どうやって支配するか」というバスケットボールのビデオの広告と、またしても「バイオハザード」の広告でした。

 私はこれらの広告が現在、アメリカ人が何に心を奪われているかをとても良く表していると思います。われわれが維持できなくなっている制度のなかで、どうやって健康を維持するのか(しかもこれはカリフォルニアのことなので、マリファナにもちゃんと出番があります)、娯楽のための死や殺人、「支配」の駆け引きについてのゲーム。

 アメリカは文化で世界をリードしていて、他の国はその後にしたがっていると言われています。もしそれが本当なら、私は自分の町のあのような広告が、皆さんの町の憲法9条にとってどのような意味を持つのか考えたくもありません。    

 私はラテン・アメリカでの経験についてお話ししようと思います。それは私が長年活動してきた分野だからです。そして私の住んでいるアメリカでの経験もお話しましょう。その後で、皆さんと少し対話ができればと思います。私の経験は宥和会の一員としての経験です。宥和会は第一次世界大戦の初期に作られた団体で、人間同士のいさかいは、戦争や不正義による苦しみを引き起こすことなく、愛と真理にもとづいて解決し、仲直りできるという確信を基礎にしています。ラテン・アメリカで、私たちは正義と平和をめざす非暴力運動と共に、そしてアメリカの同様の運動体とも協力して、アメリカの政策を脱軍事化させるために活動しました。

 1989年アメリカのパナマ侵攻の後、私たちはパナマにある米軍基地がアメリカが他の国へ介入する際の出撃基地として利用されていることを知りました。それだけではなく20回におよぶアメリカのパナマ侵攻にも利用され、多くの人命が失われ、軍事活動によって環境破壊も引き起こされました。私たちはパナマのグループと協力し、パナマ運河条約にしたがって米軍基地が閉鎖されるように活動しました。米軍基地が閉鎖された後、私たちはプエルトリコの大衆運動と共同で、プエルトリコにある軍事基地閉鎖のために活動し、さらにエクアドルの団体と共に1999年に運用開始したマンタの基地閉鎖の支援のために活動しました。ラテン・アメリカは、アメリカの軍事基地を撤去させ、その支配から抜け出し、北の超大国からの地域的な独立を拡大することについて多くを学べる地域なのです。

 この発言の準備のため、私は外国軍事基地の閉鎖と、全体的な脱軍事化と軍縮のために活動しているベテランのアメリカ人活動家の何人かに話を聴きました。外国軍事基地閉鎖に成功した国では、どのようにそれを実現したのか。力、精神力、政治、経済をどのように組み合わせればいいのかを聴いたのです。

 真の安全保障をめざす女性の会のグウィン・カークは、フィリピン、カホラウエ、パナマ、ビエケス、沖縄、エクアドルなど、成功した基地閉鎖運動は、どれも持続的な直接行動に支えられていたと言っています。

 パナマ、プエルトリコ、アクアドルでの基地閉鎖の条件はどのようなものがあったかを見てみましょう。条件としては、全国的な基地反対(地域によっては賛成の場合もあったが)、直接行動、国民の実質的な意見の一致があることなどがあげられます。これらが政府レベル(これは基地受入れあるいはその継続を交渉した政府ではない)で政治的意志を形成したのです。コロンビアではこれらの条件が、少なくとも今のところは、まだ整っていません。しかしエクアドル、プエルトリコ、パナマでも、基地が作られ始めた当初には、これらの条件は整っていませんでした。

 エクアドルのマンタ基地についての国民の意見はというと、最初は基地賛成が過半数でしたが、やがて意見は逆転しました。国民の過半数が米兵の退去を要求するようになったのです。マンタ市では基地反対派が次第に増え、2000年には0%だったのが2004年には18%、2005年と2006年は30%になりました。

 もう一つの要素は、基地が合法的ではないと思われる状況下で設置されたことです。パナマの米軍基地は1903年の独立の数日後にニューヨークで調印された条約によって作られました。この条約は、パナマの新しい指導者たちが知らないうちに、パナマ地峡の最も重要な土地に対する主権をアメリカに与えたのです。プエルトリコの米軍基地は米西戦争によってアメリカが獲得した土地につくられ、第二次世界大戦における特別の法的権限によって拡張されました。エクアドルでは、1999年にジャミル・マフアド大統領が協定に調印しましたが、その後間もなく大統領は失脚し、エクアドル議会は協定を一度も審議していません。

 プエルトリコでは、60年以上も射爆場として使われてきたビエケス島での発ガン率の高さに国民の怒りが爆発しました。そのきっかけとなったのは、1999年に観測所に2発の爆弾が落ちて、民間の警備員だったデビッド・セネスが亡くなった事件でした。米国海軍はビエケス島を、ペルシャ湾やコソボ戦争に派遣されるパイロットの訓練に使用していました。デビッド・サネスの死後に起こった運動は、通常はアメリカとの関係をめぐって分裂していた国民を団結させたのです。

 彼らは、射爆演習場内にキャンプを作り、4年間反対行動を続けました。1年後に演習が再開されると、女性グループをはじめとして、小グループで着弾区域にまで入りました。この市民的不服従行為で、1,500人以上が逮捕されました。2003年に米海軍は射爆場の閉鎖を通告し、演習は終わりました。これは、普通のプエルトリコ人のおこなった非暴力抗議行動の成果です。彼らは家族に自分が30日間勾留されることを覚悟させ、薬などがそろっているかを確認し、行動することによって特別な人間になった人々です。しかしその前から特別な人間だったと言うべきかもしれません。それから間もなく海軍は、ビエケス基地と作戦上結びついていて本島にある広大なルーズベルト・ロード基地を閉鎖しました。

 パナマでの運河両岸につくられた米軍基地を撤去させる運動は、1950年代後半に強大な愛国主義的な学生運動とともに定着しました。1964年1月の「国旗掲揚をめぐる暴動」の後、アメリカの新大統領リンドン・ジョンソンは、アメリカはパナマとの関係を抜本的に再構築すると誓約し、最終的にはアメリカは1999年末までに兵士を全員撤退させるとした1977年の新運河条約が結ばれました。

 これらのケースではいずれもアメリカ国内の連帯活動が一定の役割を果たしましたが、それが主要な役割であったことは一度もありません。最も重要な役割を果たしたのはビエケス運動においてでした。アメリカ国内に住んでいたプエルトリコ人たちは、非常に積極的で、影響力もあり、他のどの移民グループよりも容易にメディア、政党、裁判所などに働きかけることができました。この運動は健康被害訴訟や海軍の射爆演習差し止めを求める訴訟など法的戦略を行使しました。要請行動も行い、数百人のプエルトリコ人がワシントンに押しかけました。文化的活動を通じ、映画や音楽でビエケスの抵抗運動を称え、宣伝しました。話題になるような行動も行い、ある男性はニューヨークの自由の女神像にビエケスの旗と、「爆撃止めろ」という横断幕をぶら下げました。情宣活動も利用して、私たちの組織や、他の多くの団体は、情報資料を配ったり、集会で訴えたりもしました。専門家の力を借りて、ビエケスの爆撃演習が環境、軍事、健康などにおよぼす影響の調査を行いました。彼らの運動は、信仰や宗教的価値にもとづいて行動する教会の人々や、軍隊に広がる男性の暴力に反対する女性、アメリカの戦争でビエケス基地がどんな役割を果たすかを理解した政治家や平和活動家、爆撃停止を健康のための措置と捉える医師、料理人やビデオ作家、ジャーナリスト、不服従行動で投獄された活動家を待つ家族、お金持ちの人、抗議行動に参加した人を演習場に案内した漁師、演習がなくなれば観光が増えることを予測したビジネスマンや都市計画者、自分たちもプエルトリコ人や彼らの状況とつながっていると感じた日本やハワイなどの島文化をもつ人々、そして私たちのように世界各国からビエケスを訪れ、怒り、励まされ、自国に戻って、それぞれの持つ手段を使って、それぞれの置かれた状況の中で行動する人々なども引き付けました。

 ビエケスの射爆演習を止めさせる運動は大衆的運動で、地域の発展と土地返還、環境汚染除去という全ての目標はまだ達成していませんが、大きな勝利を収めました。米海軍が2003年に「戦闘群の訓練が島で行われるときは、抗議行動、基地侵入の企て、そして単発的に成功する侵入などが依然、全体的に高レベルであるため」、島を爆撃するためには「極めて攻撃的で高額のかかる複数の機関による警備活動が必要である」と認めたのです。そして「海軍がビエケスを出て行くことで、アメリカはこのような負担から解放されることになろう」と結論しています。植民地の人々が世界史上最強の軍隊にたいし、非暴力で勝ち取ったこの勝利は、米海軍がビエケス島を訓練施設としては「最も価値あるもの」と考えて反対運動と強硬に戦ってきたことを考えると、さらに素晴らしいものです。

 アメリカはエクアドルでは、同じようなたたかいをしませんでした。エクアドルにはビエケスほど長年にわたって米軍基地を置いておらず、そこでの活動もビエケスほどは地域的にも世界的にも米軍の作戦に組みこまれていませんでした。また米軍は基地を借りていただけで、所有者ではありませんでした。そしてエクアドルの主権政府は、選挙公約で基地のための借地契約を終了させることを約束して選挙で勝利していました。さらに隣国のコロンビアがこのうえなく簡単な解決の道を提供しました。沖縄にとってのグアムのように、エクアドルが自由を拡大する一方で、アメリカはコロンビアの問題を利用したのです。

 では、今、アメリカ国内での外国軍事基地撤去の運動の状況はどうなっているでしょうか。今年の2月、17の組織がワシントンで全国会議を開催しました。その名称は「帝国なき安全保障」会議で、200名以上が参加し、1日は米国議会への集中的な要請行動が行われました。

 アメリカは、生産力、医療、債務、世界基準設定の能力などによって判断しても、明らかに衰退しつつある帝国です(帝国は常に国際法を破りますが、最近アメリカは国際法のような基準の多くを設定することすら反対しています)。これは危険な状況かもしれません。帝国が自分の欠陥を補い、不平等な貿易条件を押し付けるために暴力を使用して、自らの身勝手な要求を満たそうとするかもしれないからです。しかしそのような状況では、他の国々が、自分たちの力―軍事力という意味ではありません。軍事力ではアメリカは世界を支配しています―文化力、生産力、倫理力、地域力で、自分たちの力を主張する機会が生まれるのです。

 平和運動、特にアメリカの外国軍事基地閉鎖の活動を形作っている3つの要因があります。

 第一の要因は経済危機で、あらゆる階級の人が、その形は違いますが、影響を受けています。この危機は帝国の衰退を反映しているかもしれませんが、それと同時に平和運動を含む市民社会の団体も深い痛手を負いました。多くの組織は、細々と活動しているのが現状です。全国的連合体である全米平和正義連合でさえ、専従も置けず、2つの作業グループがあるだけです。
 第二の要因はオバマ人気です。「民主党大統領が当選すると、1年半から2年のあいだ運動のリベラル派は大統領と恋に落ちる。この時期は谷の時期になる。今はその時期だ。オバマへの支持率が下がるにつれて、リベラル派はカムバックしてくる」とアメリカフレンズ奉仕委員会のジョゼフ・ガーソンは言っています。ジョゼフはこの谷の時期は昨年、人々が選挙に熱中し、多くの資金とエネルギーが選挙運動に注ぎ込まれたころに始まったと述べています。
 第三の要因は、生活やメディアだけでなく平和運動の活動もデジタル化がすすんでいることです。人々は多くの時間をインターネットに接続したパソコンの画面を見たり、メッセージを送ったり、電話をかけたりに費やしますが、印刷されたものを読んだり、直接顔をあわせて話すことはあまりしません。そのほうが、特に国際的な活動では、メールやウエブ・ページよりもお金がかかるからです。ジェット燃料がかつてなく手に入りにくくなっている時代には、これはある意味で国際活動にとっての強みかもしれません。しかし、それはまた同時に、多くの人には、他の人々の戦争や不正義の体験に接する機会が少なく、とらえ方が抽象的になってしまうことを意味します。

 さらに、これに加えて、平和運動の確固たる中核となっている人々の多くが中年以上の年齢になっていることがあります。

 では、何が人々を行動へと突き動かすのでしょうか。そこにはある種の感情の発作のようなものがあって、何かがあなたを捉え、あなたに「私はやるんだ」と言わせるのです。「あなたにいくつかの選択の余裕があって、生活の基本が整っている場合には、あなたは事の緊急性によって動かされます」とグイン・カークは言います。「でも、あなたの喫緊の課題が、なんとか家族を食べさせなければならないということである場合、同じようにはいきません」。
 ユーモアも役に立ちます。皆さんのなかにもコード・ピンクというアメリカの女性平和団体を知っている人がいらっしゃるでしょう。この団体は、イラクに駐留するアメリカの兵力削減を求めた行動アピールを出しました。兵力削減についてオバマ政権が相反するメッセージを出していたからです。そのアピールは「女性の皆さん、皆さんはこんな“撤退方式”(避妊方式)を信用しているのですか?」と問いかけています。

 軍事基地については、私たちはこれを自分たちにかかわるより大きくて深い問題の一環として捉えることが重要です。現在、アメリカ国民の多数がアフガニスタンでアメリカの戦争をエスカレートさせることに反対していますが、この戦争はアフガニスタンだけでなく、カタール、ドイツその他の国にある基地を使用してたたかわれています。また一部の人は、どうして海外にある基地の費用が1000億ドル以上もかかるのか(これは日本などの同盟国の負担分を除いた額です)に注目しています。このお金はアメリカが健康で生産力が高く、自給できる国になるために使えるはずです。
 多くの事が起こっています。デヴィッド・ヴァインのディエゴ・ガルシアに関する本や、世界の軍事基地についてのキャサリーン・ルッツの本など学者による研究や、先月、「平和をもとめるおばあちゃんの会」がニューヨークでやったようなイベント、アフガニスタンやパキスタンの攻撃に使用された無人飛行機(ドローン)の工場がある町でのドローン生産停止を求めるキャンペーン、9月にグアムでおこなわれた脆弱なチャモロ文化の再建を祝う女性の集まりなどです。チェコ共和国でのミサイル防衛用レーダー反対キャンペーンは、グローバル・ネットワークと平和民主主義キャンペーンの強い支援を受けて成功を収めました。コロンビアの新しい米軍基地開設を知らせるための私たちの活動には、アメリカ国内ばかりでなく海外からも多くの反響が寄せられています。

 米軍基地閉鎖をめざす活動の力やエネルギーの源は、訪問や講演旅行や、今回のようなイベントでできた人と人の関係です。このような機会に、私たちは米兵と日本人のあいだにできた子供の暮らしや、あれほど軍事化された島に住む沖縄の人々、ジュゴン、日米間の痛ましい歴史、イラクなどでの戦争、カリフォルニアや東京で起きている残虐な事件などについて自分たちの感情を動かされ、また同時になぜこのようなことが起こるのか、どうしたらこれに効果的に対処できるのかについて頭を使って理解しようとします。また私たちは、自分の身体を使って、重要な局面に、仲間たちと活動することからも元気をもらっています。
 こうして私たちは自分自身のなかから、そして誰かを傷つける理由などどこにもなく、映画が言っているのはうそで、私たちの身体のなかには「バイオハザード」は存在せず、「レフト・フォー・デッド」になる必要もなく、私たちは別のストーリーを書きつつあるという認識から、活動する力を得ているのです。これは愛と呼ぶべきものかもしれません。これは私たち自身の言葉で書かれたストーリーであり、力強く、世界で何が起ころうとも、私たちの命に意味と輝きを与えてくれるものです。この短い命の時間に、私たちは共に歩み、活動し、国や住む町や立場がちがう人たちに互いに耳を傾ける方法を探し続けるのです。これが私たちの信念であり、私たちの平和なのです。
 ご清聴ありがとうございました。