2007年大会INDEX

2007年日本平和大会in沖縄 国際シンポジウム「特別報告」


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山内
繁雄

沖縄県宜野湾市役所基地政策部部長

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 沖縄県中部に位置する宜野湾市役所で基地問題を担当しております山内と申します。よろしくお願いします。
 宜野湾市には米軍の普天間飛行場がありますが米軍基地が存在する上で様々な問題が発生しております。元々そこに基地があったわけでなく1945年の沖縄戦で4月1日に米軍が沖縄本島に上陸をし占領と同時に住民を捕虜収容所に収容して強制的に土地を奪い日本本土を空爆するためのB―29爆撃機の基地として普天間飛行場が建設されました。ですから元々は住民が住んでいた地域であり宜野湾の村役場があり学校があり幾つかの集落があった所ですが戦後62年が経過するが依然として普天間飛行場は居座り続けています。
 
 宜野湾市は人口が9万人で約20平方キロの面積の小さな市でありますが市の面積の25%を占める普天間飛行場が市のど真ん中に位置し9万市民は基地を取り囲むように生活を余儀なくされています。1平方キロ当たりの人口密度4,500人で基地面積を除くと6,700人であり東京都より1,000人上回ることになり、いかに人口密集地に基地が存在しているかが分かります。

 基地機能としては、ヘリを中心とした米国海兵隊基地であり3,700名の兵員と50数機の軍用機が常駐、2,800メートルの滑走路が1本設置されています。訓練の形態は住宅地上空での旋回飛行訓練が早朝から深夜にかけて時間に関係なく離発着訓練(タッチアンドゴー訓練)が行われています。1機での訓練では5分間隔、2機では2分30秒間隔、3機で行うと30秒間隔で頭上を通過する。その訓練が1〜3時間継続して行われ宜野湾市全域が訓練場になっています。

 市民生活に与える影響として、墜落の危険性、騒音の問題、市のど真ん中に位置することから、まちづくりが出来ない、公共施設の適正配置、下水道の附設、交通の問題等があります。墜落の危険性のついては、3年前に旋回訓練の最中CH―53大型輸送ヘリが沖縄国際大学に墜落し甚大な被害が発生したのにもかかわらず危険性の除去が放置され続けているのが現状であります。墜落前の市民からの苦情として「うるさい」との電話が大方を占めていたが、墜落後は「墜落の恐怖や不安」を訴える意見に変化しています。

 ここで市民からの訴えを紹介します。
 「ヘリが斜めに落ちて行くような飛び方をしていて、大変危険です。ヘリが墜落した時と同じくらい危険な状況にあり、そろそろ墜落しますよ。早急にやめさせて下さい。」
 「低く飛んでいたので家の柱や窓が揺れて、怖くて寝付けないほどでした。もし落ちるようなことがあればどこに逃げようかと考えていました。」
 「昨晩は、10時52分にヘリが飛んでいた。夜中の1時や3時頃にもヘリが飛ぶことがある。寝ている頭上を飛んでいるので、もし落ちたら逃げられるかと、ひどく不安だ。」

 またイラクで過酷に運用され続けてきた、製造から平均37年も経過した老朽化しているCH―53大型ヘリ(3年前の事故同型機)が今月6日普天間に再配備され、市民は恐怖と不安の悪夢の中で生活を余儀なくされています。

 次に日米地位協定について話します。
 地位協定第3条3項では「合衆国軍隊が使用している施設及び区域における作業は、公共の安全に妥当な考慮を払って行わなければならない。」と明記されていますがどうでしょうか皆さん。普天間においては、住宅地上空が訓練場になり米軍のやりたい放題で訓練が日常的に行われ公共の安全が脅かされ続けています。しかし我が日本政府は米軍に物が言えない状況で危険性の除去を放置し続けています。
 3年前に地元マスコミが入手した外務省機密文書「日米地位協定の考え方」増補版で米軍の訓練飛行について述べられています。紹介しますと
 「米軍がかかる目的の達成のため、飛行訓練を含め軍隊としての機能に属する諸活動を一般的に行うことを当然の前提としている。」
 「単なる飛行訓練は、本来施設・区域内に限定して行うことが予想されている活動ではなく、地位協定上、我が国領空においては施設・区域上空でしか行い得ない活動ではない。」
 「米軍機は公海上空か施設・区域上空のみで飛行訓練を行わねばならないとの考え方は合理的ではないと考えられる。」
 このことからすると、米軍はどこを好き勝手に飛行してもいいことになり宜野湾市としては絶対に容認することができません。

 宜野湾市は、これまで普天間飛行場の早期返還に向けてさまざまな取組みをおこなってまいりました。
 沖縄で1995年少女暴行事件が発生し反基地闘争が盛り上がりました、これを沈静化するために96年日米両政府は普天間飛行場の5年ないし7年以内に全面返還することを合意しましたが返還時期が明示されないまま放置され続けました。03年、5年以内の返還を政策で訴え伊波洋一市長が当選し04年には普天間飛行場返還アクションプログラムを策定しました。内容としては、要請行動、基地被害110番の設置、基地監視ボランティアの発足等であります。これまで何度ともなく米軍をはじめ日本政府に対して返還要請行動を行って参りましたが解決されないため、04年、05年二度におよぶ訪米要請行動を展開してまいりました。
 要請先は、国防総省、国務省、連邦議会、ハワイ在太平洋軍司令部、米西海岸地域のオーシャンサイドシティ、サンディエゴシティで要請や協力要請を行いました。特徴的なものとして国防総省では、「歓迎されないところには基地を置きたくない」との回答、連邦議会に設置されている海外基地見直し委員会の委員長に本市からの証言書提出の了解を受け、11月に証言書を提出しています。太平洋軍司令部は、「緊急時以外は住宅地上空を飛ばないようにする。」との回答を受けるが連日のように飛行が続いているのが現状であります。米西海岸にあるオーシャンサイドシティの市長は、「住宅地上空でヘリをみたことがない。」意味することは、近くに基地があるが基地運用は、市民に迷惑をかけると基地の存在ができないため安全基準が定められていることが判明しました。本市は、06年に普天間飛行場の安全不適格宣言を行い内外へ発信しております。
 本市の基本方針として、これからも県内移設によらない普天間飛行場の2008年までの早期閉鎖・返還と危険性の除去を粘り強く求めていきます。今後とも皆様との連携をお願い申し上げ、これで宜野湾市の報告とします。