2007年日本平和大会in沖縄 国際シンポジウム「特別報告」
中澤 信子
神奈川県座間平和委員会事務局長
キャンプ座間は、旧日本軍の陸軍士官学校をそのまま接収して設けられた米軍施設でした。ここに、米軍新司令部がアメリカ本土から移転してくるという計画を2004年新聞報道で初めて知りました。
元々ここの土地は、日本軍が地元民から強制的に買収したものであり、戦争が終われば戻してほしいという願いがありました。それが、米軍に渡され、さらに自衛隊が共同使用することになり、この願いが遠のく感がありました。
私たちは反対しましたが、市は国と「今後、基地に変化を加える際には必ず市に連絡をする。約束を違えた場合は、共同使用を解消する」との覚え書きを交わし、自衛隊の共同使用を容認してきたといういきさつがあります。しかし、その覚え書きを無視し、さらなる基地の強化と恒久化につながる米軍司令部の移転は、受け入れることが出来ない。国は、地元に基地縮小返還に向けての具体策を示すべきというのが座間市の態度です。
キャンプ座間は、座間市と相模原市にまたがっていて、どちらの市でも反対を表明しました。相模原市長は、戦車にひかれても反対すると述べ、座間市長は、ミサイルを撃ち込まれても反対すると応じて話題になりました。その後相模原市長は病気で交代し、今相模原市では、相模補給厰の一部返還などが進められています。
座間市では、市、市議会、自治会連絡協議会の3者でキャンプ座間の強化恒久化に反対する会を作り、集会を2回(発足集会を含む)行いました。また、市長、市議会議長、自治連会長の3人で何度も国に要請などを行ってきました。これらの活動は、協議会ニュースとして各自治会に回覧されます。また、図書館や文化センター、出先機関にもおいてあります。
こんな中で8月末には、移行チーム発足の通知がもたらされ、さらに、10月には、ハンビーなどの搬入も行われ、次々と事態は望まぬ方向に進んでいます。米軍再編の特別交付金も座間は、対象外となり、お隣の相模原市は、交付されると報道されました。負担に応じて払うべきものを賛成の度合いと出来高によってお金を与えるというやり方は、本当に市民を愚弄していると思います。しかも、国民の税金を使って主権者である市民の願いを封じ込めようとするなんて憲法の精神にも反しています。
座間市は、一連の米軍と日本政府のやり方に、より一層、怒りと不信感をもち、新司令部移転に反対する態度は変わっていません。
市議会でも、その都度意見書などを採択し、国会に送っています。ちょっとそれますが、非核日本宣言を求める意見書も今年9月全会一致で採択されています。
市民の側でも、平和運動がいろいろと行われています。キャンプ座間への米陸軍第一軍団司令部の移転に反対する座間・相模原・周辺市民連絡会を結成し署名、国会要請、防衛省など国への要請、抗議なども繰り返し行っています。キャンプ座間へ直接抗議文を届け抗議集会を行ったりしてきました。
座間平和委員会が再建され、他政党と協力関係にあるような団体とも合同で品川正治さんの講演会を行ったり、民主党党首へテロ特措法に反対し続けてくれるよう要請文を送ったり、3者協議会に要請文や、市長への激励文を送るなど活動しています。またお互いの行事を知らせ合ったりもしています。基地の前の監視活動なども交流しています。
市議会には、交付金をもらって妥協した方がいいと言う意見の議員もいます。3者協議会理事の中にもそういう人はいます。自治会長の中にもいます。それでも反対の意思を変えていない市長や、協議会を応援するためには、市民の声を大きくしなければなりません。次々と既成事実が積み上げられそうな情勢の中で、市民の反対の意思を表明する機会をつくりたいと、私たちは、いま12月2日の首都圏大集会を成功させるために頑張っています。
座間・相模原両市の駅頭で一斉宣伝を行い、署名や集会への参加呼びかけを行ないました。宣伝カーを一日中運行する宣伝も行いました。行動を通して、市民の関心の高まりを感じることもあります。署名の数も確実に増えています。しかし、今のところ情勢を変えるほどではありません。それでも、私たちは、沖縄の11万人集会に大きな勇気と市民の声を大きく集めれば事態を変えることが出来るという確信をもらいました。
「戦争司令部ノー、爆音も原子力空母もごめんだ!」12・2首都圏大集会in座間の成功が神奈川県で唯一国のやり方に反対している座間市の姿勢を応援し、神奈川県民の基地反対の意思を示す上で大きな役割を果たすと思い頑張っています。また、沖縄、岩国その他の米軍基地、自衛隊基地反対の運動とも連帯してたたかう力となりたいです。
首都圏の皆さん、全国のみなさん、集会にご参加ください。メッセージなどお寄せください。
|