2007年大会INDEX

2007年日本平和大会in沖縄 国際シンポジウムパネリスト発言


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ジョヴ・パリッシュ
(アメリカ)


ワシントン・ピース・アクション執行理事

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 この会議にご招待いただき感謝します。とても光栄に思います。
 アメリカや私の故郷のワシントン州でも、平和運動は大きく、活気にみち、多くの声を代弁しています。私はそれらすべてを代表することはできません。私にできることは、アメリカの平和運動の優先課題、強さ、弱点について、そしてそれらがいかに国際連帯の努力とかみあうかについて、私個人の主観的な見解を述べることです。

 アメリカのイラク戦争に対する国内の反対は、世論調査によると、ここ2,3年の間、一貫して70%ほどを示しています。この状況は、アメリカの平和運動に、イラク占領を終結させるために、近年の歴史上なかったいくつかの課題を与えています。
 第一に、戦争に反対しているアメリカ人の大多数は、むしろ狭い国内的な理由から反対しているのであり、米軍やアメリカの外交政策に対するより広い批判から反対しているのではないということです。たとえば、多くの人たちは、戦費や米軍の負傷者の増大から反対しています。それ自身は悲惨なことではありますが、イラク市民に与えられた苦難に比べると大した問題ではありません。あるいは、彼らは国際的にアメリカに寄せられている(あるいは寄せられていない)尊敬を傷つけているとか、イラク戦争が米軍の自国の防衛能力を制限しているとか、戦争が堕落した無能なやり方でおこなわれている、などの理由で反対しているのです。
 これらはすべて本当のことではありますが、平和活動家にとっては、アメリカがイラクで起こした膨大な死や破壊、戦争が違法に開始され、かなり簡単にばれてしまうような嘘の数々でアメリカ人と世界に宣伝されたこと、そして、毎日、政治家が議論し、おろおろしている間にも人々が死に続けているという避けられない事実のほうがより重要です。戦争が国内でもひどく不人気なのにもかかわらず、イラク戦争のこのような問題に関心を示すアメリカ人があまりいないのは、悲しいことです。一方でアフガニスタンでの戦争は、ほとんど注意を向けられないまま進められています。国際的なニュースをほとんど報道せず、国内の反対を無視する偏狭なマスコミ報道によって、多くのアメリカ人はこれらが重大な問題であることすら知らないのです。
 アメリカの平和活動家にとってこれが意味することは、もし私たちが首都ワシントンで変化を起こすのに必要な政治的な力を集めようとするなら、私たちのメッセージは、戦争には反対しているが広く米軍には批判的でない大多数の人たちにも訴えるものでなくてはならないということです。私たちは、単に、この戦争という恐るべき犯罪の証人になりたいのではなく、それを終わらせるため政治的に活動したいのです。たとえば、兵士の家族たちと活動することや、直接、兵役拒否者たちを支援することなどです。一方で、アメリカの外交政策、いわゆる「テロとの戦争」の誤った体制、アメリカの世界支配の野望におけるイラク戦争の位置を批判し、他方で、この時期にそれでも米軍に志願する兵士たちのニーズを支援するということには、微妙なバランスが要求されます。

 もうひとつ、普通でない状況があります。たとえ戦争反対の理由が私たちの主張と同じではないとしても、これほど多くの国民が戦争に反対しているので、私たちは人々を説得するのに大してエネルギーを費やす必要がありません。歴史的にこれは普通ではないのです。私たちがしなければならないことは、戦争を終わらせたいという願いを表明するために行動することによって、戦争の政治的な決定に変化を起こすことができると人々を説得することです。これはより大変な仕事です。国民の中には、政府は世論を気にするということについて、甚だしい幻滅と冷笑があります。ある部分、それは具体的に、ブッシュ政権に対してです。反対意見をあざ笑い、特に、2003年のイラク侵攻以前、空前の内外の反戦デモを傲慢にも振り払った態度。しかし、ある部分、世代的なものでもあります。ベトナム戦争以来、アメリカの世論は戦争を止めたことがありません。そして、私も含めほとんどのアメリカの活動家にとって、ベトナムは昔の歴史であり、意味のないことなのです。

 人々は変化を起こすことができます。比較的最近にも、各国の大衆の反対世論が悪い政策を撤回させたり、抑圧的な政府を倒すなどの多くの事例があります。しかし、これらの話はアメリカ国内ではめったに語られません。それは、私たちの政治家やメディアの報道、あるいは文化的アイコンの中で、明らかに人気のない民主主義の一形態なのです。そして、アメリカの平和行動主義は、ベトナム以来、最近も多くの成功を成し遂げてきました。しかし、私たちもこの話を上手に伝えることができていません。世論の反対が1980年代の中米、1994年のハイチへのアメリカの直接軍事介入を阻止したことはほとんど間違いありません。そして、それはレーガン時代に核戦争の阻止にも貢献したといえるかもしれません。より最近では、世論の反対が、直接であれイスラエルを介してであれ、アメリカがイランへの軍事行動を始めていない理由のひとつになっています。

 地元でも、私たちはいくつか勝利をおさめています。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、エーレン・ワタダ中尉の裁判です。米陸軍の将校としては初めて、イラクへの派兵を公に拒否したのです。彼の主張の法的根拠は、戦争自体が違法であるから、それを遂行するいかなる命令も違法であるというものでした。彼の勇気ある態度は国際的な注目を浴び、彼のために大規模な支援運動が特に地元で発展しました。というのも、彼は陸軍によって軍法会議にかけられ、私が住むシアトルから約40マイルのところにあるフォート・ルイスに拘留されていました。軍事法廷は彼の罪状に対し今年初めに未決定審理を宣言し、そして約2週間前、連邦裁判所は、彼の不服従を再び裁こうとする陸軍の試みは違法であるとの判決を下しました。ワタダ中尉は裁判で勝利し、米軍での将校の抵抗とアメリカのイラク占領の違法性について重要な判例を打ち立てました。間違いなく、彼は国民の広範な支援がなければ勝つことはできなかったでしょう。

 もう一つの事例ですが、この2週間のあいだ、多数の活動家がシアトルの南にあるオリンピア港で、イラク戦争への兵器や装備の移送を中断させるための直接非暴力行動の中で逮捕されました。昨年、陸軍はフォート・ルイスから異なる3つの港を使わざるをえなくなりました。というのも、戦争のために公共施設を使用することへの抵抗が、私たちの州でとても激しくなったからです。特に、若者が体を張って、輸送を中止させる活動をおこなっています。この活動は移送を遅らせただけではなく、戦争のために民間のインフラを使用することが適切かどうかについて、国民の議論を大いに高めました。

 また高校や大学での軍隊への勧誘に反対する統一した運動も発展しています。米軍は現在、志願制であり、とても不人気な戦争を行っているので、勧誘はより弱い立場の青年を軍隊に誘い込むために、普段に増して詐欺的な手口を使い、経済的に劣悪な状況に置かれている青年をねらっています。学生自身が率先してこれに立ち向かっています。ついこの前の金曜日私は、400万の人口をもつシアトル市全域で高校や大学の授業をボイコットした学生が集まった集会で話をしました。このような抗議行動はかなり一般的になっています。そしてこの種の抗議と抵抗は、大規模な全国組織によってうまく調整されていないにもかかわらず、発展しています。大規模な全国的抗議行動もありますが、この戦争へのほとんどの抵抗は草の根の、地域に根ざしたもので、資金の後ろ盾がないものです。これは、人々がこの問題について深く憂慮し、自分の時間を割いて行動したから、起こったことなのです。

 これらの励まされる兆候にかかわらず、両方の政党の主要な政治家たちは、様々な段階で世論を無視し、イラクとアフガニスタンの戦争を続けようとしているようです。実際、誰もアメリカ国民が要求していること、すなわち、「今すぐアメリカの占領の終結を」よびかけたり、それにとりくもうとしていません。そして彼らの多くがまた、ブッシュ政権のイラン攻撃に賛成するために、進んで国民を無視しています。これは、もっと悲惨な中東地域全体を巻き込む戦争を防ぐために、現在、私たちの国民への教育や動員の焦点となっている問題です。

 このような緊急事態が目前にあるため、米軍や外交政策への広い視点での考察については、アメリカの平和運動からでさえ、ほとんど注意が向けられていません。最近は私たちのなかでも、アメリカを植民地主義的なエネルギー・貿易政策から抜け出させる問題や、沖縄やディエゴ・ガルシアにあるような基地の問題も含め、最近はイランに対する空爆も容認するほど拡大された、世界でのアメリカの軍事力の突出に反対するという問題について、取り組む時間のある人はほとんどいません。ほとんどのアメリカ人は、ディエゴ・ガルシアはもちろんのこと、地図でインド洋がどこにあるかも知りません。アメリカでは、わが国がディエゴ・ガルシアをイギリス人から「借りている」こと、そして、イギリスが米軍を受け入れるために、その島から先住民を追い出したことなど、知っている人はほとんどいません。
 まだまだあります。私たちは多額の国民のお金が軍国主義に湯水のように使われていること、破壊的な兵器貿易をわが国が支配していること、核兵器の引き続く惨害にわが国が大きな責任を負っていることなど、吐き気を催すことばかりですが、このようなことを無視しています。アメリカの平和運動は、アメリカ文化と同じくしばしば狭量で、国際的な運動の同盟者たちから孤立しています。アメリカの平和運動はすばらしい創造性、エネルギー、献身性を兼ね備えていますが、まだ、私たちが取り組むべき点がたくさんあります。

 このために、私たちは世界中の人々の生活に影響を与えるワシントンの政策に挑戦するという、ほかにはない立場にある者たちとして、世界に対する責任を痛感しています。みなさんが、みなさん自身にとっては重要であってもアメリカ国内であまり注意を向けられていない問題で、私たちの助けを必要とされていることを、私たちは自覚しています。しかし私たちも、みなさんの助けを必要としているのです。みなさんから学ばなければなりません。どうすれば私たちが最もよくみなさんの役に立つことができるか、どのような戦略や戦術がうまくいくのか、新しくわくわくするような方法でいかにして組織するのか、新しいテクノロジーをいかに利用するのか、そして何より、いかにみなさんに耳を傾け、みなさんから学ぶかということを学ばなければなりません。

 世界中の様々な平和運動は、同じ目標にむかって活動しています。私は個人として、十分長い間平和運動に携わってきたので、わざわざそれを一からやり直すことにもはや関心はありません。私が今関心のあることは、すでにそのようなことを学んだ人たちの知識を頼りにし、私が知っている限りのことを人々と共有し、ともに、より平和で公正な世界を作るための道を探すことです。世界が小さくなるにつれ、アメリカの平和運動は全体として、国際連帯と、――同胞の政治家たちと同様に――いかにして世界の他の地域から進むべき方向とリーダーシップを学ぶかに、より多くの時間をかけるべきだと思います。私がここに参加しているのは、その方向で私ができる貢献をしたいからです。

 この機会を与えてくださったことに、再度感謝を申し上げ、私の発言を終ります。