2007年大会INDEX

2007年日本平和大会in沖縄 国際シンポジウム「沖縄からの発言」


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伊佐
真次

「ヘリパッドいらない」住民の会

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東村高江からの報告

 私の住む東村高江は、那覇から北へ車で約3時間、沖縄本島北部の東側に位置します。「やんばる」と呼ばれ、豊かな森がここにはあります。高江区民は150人、村でも一番人口の少ない集落です。
 沖縄は、基地の島と言われますが、山原も例外ではなく県内最大の演習場があり住民は道路を挟んで米軍基地と隣り合わせで暮らしています。そこは嘉手納や普天間、他の基地のようにフェンスはありません。米兵が生活道路に出てくることもあり、過去には演習場外で訓練をしたり、国有地内に基地内からゴミを不法投棄、さとうきび畑を踏み荒らし、射撃訓練を行うなどやりたい放題の感があります。
 広大な森林には多種、多様な生物が生育し、その自然環境や生態系は世界的にも貴重だと言われ、世界自然遺産に推薦されるほどです。
 1996年沖縄に関する特別行動委員会(SACO)で、北部訓練場の過半の返還が合意されました。しかし返還予定地にあるヘリパッドを残りの訓練場内に移設するというのです。高江区は2度反対を決議、今でも騒音に悩まされているのに新たに6つも建設されたら暮らしていけない。
 そして、今年7月にも建設着工という報道があり7月2日(月)から座り込みを始めました。住民のほとんどが反対運動などしたことのない人々です。静かな山原で子どもを育てたいと那覇から移住して来た家族、農業をしたくてやっと納得できる環境が高江という家族、工芸を志した者、若者にとっても魅力ある地域です。多少の生活を犠牲にしても、子どもたちのため、次世代のため、今我々がその環境を守らなければ一生後悔する。そのおもいで国や県とたたかうことになったのです。
 翌日3日、早朝5時半工事車両が数台やってきてわずか1時間ほどで新たなゲートを設置、住民に納得のいく説明もなく我々が座り込みを始める前に、こっそりと作業を強行、姑息なやり方に怒り心頭。座り込みを始めたころ、しばらくは、作業員も夜は仕事にならないだろうと夕方にはテントをたたみ引き上げていましたが、ある日7時半ごろ大型車数台とすれ違うメンバーがいて、もしやと思いUターンして追いかけたところ、すでにゲートは開けられ、重機1台、建設資材を積んだトラックが入ったところでした。3台目の大型車がゲートを通過する直前若い2人は車の前に立ちふさがり、体を張って止めつつ携帯で仲間を呼び、数人集まったところで追い返すことができました。後で聞くと体は震えていたと語っていました。
 そんな事もありその夜から見張りが必要になりました。業者も必死です。夜中3時ごろあの大型車がやってきました。まさか夜も座り込んでいるなど思わなかったでしょう。慌てて退散しました。
 この間、工事業者、那覇防衛施設局とのゲート前での攻防が何度か繰り返されましたが、9月以降から目立った動きは見られません。
 非暴力による座り込みという抗議で工事を止めています。これも県内外多くのみなさんの協力があってのものです。カンパも多く寄せられています。この場をお借りしてお礼申し上げます。どうもありがとうございます。これで報告を終わります。