2006年大会INDEX

2006年日本平和大会in岩国・広島 国際シンポジウム特別報告

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今野 宏


非核の政府を求める神奈川の会
神奈川県原水協代表委員

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米原子力空母配備に反対する横須賀市民


 日米安全保障協議会が06年5月、日米同盟の新たな段階として、1)地球規模の同盟への拡大、2) 米軍と自衛隊が海外で共同作戦をとる体制の強化、3) 在日米軍基地の強化と恒久化、を示したことと軌を一にして、横須賀では空母キティーホークの08年退役後に米原子力空母ジョン・Fケネディーを配備する計画が進められています。
 横須賀市は日本における最初の西欧式製鉄所が1865年に建設され、鉄の船が造られたところでした。 1884年に至り、明治政府は横須賀に鎮守府を設け、造船所と名を変えた製鉄所は軍に属することになりました。それ以後、1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、1931年の満州事変に始まる中国東北部への侵略などを経て、横須賀は日本帝国最大の海軍基地となりました。
 日本は敗戦後、現在の憲法を定め、戦争の放棄と非武装を世界に誓ったことは、海外の皆さんも知るところです。いままでの広大な軍港の施設と土地は無用のものとなり、平和な都市発展のために供されるべきものとなりました。そこでこれを実現するために1950年に「旧軍港都市転換法(軍転法)」が制定され、横須賀市の有権者87%の賛成で施行されることになったのです。
 ところが、ちょうど時を同じくして勃発した朝鮮戦争に出動するために、軍港はひき続き米占領軍が使用を続け、市民の願いは叶いませんでした。しかし、これは明らかに日本の占領という本来の目的を逸脱した行動だったのです。アメリカは52年に日米講和条約が発効した後にも、講和条約と同時に締結した日米安保条約により、引き続き日本に基地を置く権利を確保したのです。
 その後、部分的な基地の返還はあったものの、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン空爆、イラク戦争など、アメリカが行う戦争ごとに、基地機能はむしろ強化され、自衛隊の協力の度合いも大きくさせられてきました。いまや、さらなる協力のためには平和憲法を変えなければならないところまで来てしまっているのです。
 横須賀への原子力空母配備は、二つの点で大きな問題を抱えています。一つは日本の基地負担がさらに増大することです。二つには原子炉事故によるリスクが従来より一層大きくなることです。
 第1の点では、空母の艦載機積載能力、その他弾薬・火器等の積載量の大幅増、乗り組み人員の大幅増等による日本側の負担が増大することです。決して明らかにされない核兵器の持ち込みの可能性、およびその推測される量の増大です。またすでに艦載機の岩国基地への割り当て増などに現れている、騒音公害の全国的拡散です。
 第2の点もまた深刻なリスクをもたらします。もしも原子炉が放射能の大量放出を伴う事故を起こした場合を考えることは、それだけで恐ろしいことです。世界で最も人口が多く、かつ過密な地域、半径100キロメートル以内に日本の全人口の4分の1に当たる3000万人が生活している日本の首都圏では、震度5弱の地震があっただけで交通機関が麻痺し、何十万という人は帰宅さえできなくなります。何百万という人がどうして一度に避難することができるでしょうか。軍が保有するテントを総動員してもなお、これらの人たちは野外にさらされ続けなければなりませんし、いつ帰宅できるか分からないのです。放射能をかろうじて逃れたとしても、過酷な避難生活で命を落とす人が出るでしょう。このような状況では、日本の首都機能は麻痺せざるを得ません。チェルノブイリで実際に起こったことが、ここでは起きないと誰が断言できるでしょうか。
 アメリカ政府は、海軍の原子炉は完璧に安全だと主張する「ファクト・シート」を示しましたが、具体的な理由の説明がないファクト・シートを見る専門家は、首をかしげるしかない代物で、説明になっていないのです。疑問を解決するには実物の原子炉と詳細に見比べてみる以外に方法はありません。しかしそれは軍事機密で見せられないのですから、それでも信用する日本政府の無責任さは、形容しようがありません。
 いま、横須賀市民は、原子力空母の配備の是非を、住民投票で決するよう求める署名運動に立ち上がりました。基地の町の住民がこのような積極的行動を起こしたことは、横須賀市100年の歴史を通じて始めてのことです。
 あまりにも横暴なアメリカの植民地的軍事支配に、日本人民がもう黙っていられなく日が、必ず来るでしょう。わたしたちはその日が早く来るように、闘っていきたいと思います。
 世界の人民が、皆兄弟となる日のために!